銀の詩篇――1


「君の言う通り、ディラン警察の一部がノーランに買収されていた。残りの金の在処は分からずじまいだそうだ」

 立っていても居眠りしてしまいそうな気温の午後。テオはヨルノリア王宮の応接間にいた。


「なぜ早く報告しなかった」

 ヴォイドが言葉を切り、テオを見た。応接間にはテオとヘンドリクセン、そして側近のヴォイドの三人しかいない。ダンよりもさらに長身のヴォイドは黒に近い短髪をしっかりと整え、ヘンドリクセンの側に立っている。若くとも王の側近に相応しい佇まいは、たとえ図体と態度ばかりが大きい年上の役人たちの中にいても見劣りしない。その生真面目な性格から先の言葉も感謝の上での問いであることはテオも分かっていた。

「それはそちらも同じでしょう」

 テオも真意を問うべくヘンドリクセンを見据えた。

「今ヨルノリアで起こっている不穏な動き、記録作家なんて使わずとも警察や密偵を使って探らせる事くらい容易な筈です」

「……」

「……レーゲン卿、ですか」

 ヘンドリクセンはゆっくりと息を吐き出した。

「……彼がどこまで手を伸ばしているのか正直私にも分からないんだ。それに今まつりごとが分裂すればこの国は容易く崩れ落ちる。王が私であろうとなかろうとな」

「レーゲン卿の息がかかっているかもしれない組織警察よりはご自分が創設した作家団の方が信頼出来ると?」

「私は君たちに頼んで良かったと思っている」

 ヘンドリクセンの語気はどこか弱い。彼が生まれつき病弱である事は限られたごく少数の者しか知らない。

「そう言うにはまだ早いです」

 事件は解決したわけではない。金を流したとされるブックエンドについて警察がノーランを問い詰めたが、会ったことはなく名前しか知らないとの事だった。また、利益を独り占めしていたノーランがディラン記舎に出資した理由が謎だったのだが、出資者は実はノーランではなく匿名の募金であることが判明した。ノーランは街での信用を得る為に自分であると吹聴して回ったらしい。

「今回の召集、呼ばれたのは俺たちだけですか?」

「何?」

 ヴォイドが眉を寄せる。

「すぐに報告しなかったのは警察のこともありますが、内部に敵がいるかもしれないと思ったからです」

 テオはポケットからシーリングスタンプを取り出した。

「これが配られた時、俺は一つ多い事に違和感を感じました。王宮直通なんて代物に予備があるとは考えにくいですから」

「召集した記録作家は全部で六人だった。そうだなヴォイド」

 ヘンドリクセンが問い、ヴォイドが頷く。

「ええ。協会からの推薦で六名が選ばれています。応じたのは五名でしたが」

 やはり。

「それなら協会が偽の手紙を握らされていた可能性があります」

「では……六人目というのは」

 テオは召集された日のことを思い出した。王宮の中庭で感じた気配。あの時、六人目もここに来ていたのだ。姿を隠して。一体、何の為に――。

「ブックエンドについては俺も調べてみます」

「……あの事件の事は、今でも調べさせている」

 今度は出て行ってしまう前に言おうと決めていたのだろう。ヘンドリクセンが言い置いた。

「いえ……その件はもう」

 テオはそれ以上は口にしなかった。




      *




「リイリーン劇場?」

 ルシカが本の山の向こうから聞き返した。

「そういえば今有名なのやってたわよね。ええっと、銀色の……塩?」

「銀の詩篇だ」

 ディランでの一件から四日。テオはセントラル記舎でルシカの執筆作業を手伝っていた。そんな折、テオの元に一通の手紙が届いたのだ。

「私も行きたかったなぁ」

 リイリーンといえば格式高い劇場で、富裕層の娯楽にもよく使われる。手紙にはチケットが二枚同封されていた。

「継承式が早く終わったら間に合うかな」

 ルシカがまたバサバサと手帳をめくる。テオは欠伸し、机に頬杖をついた。せわしく動くルシカを眺めながら寛ぐのはテオの好きな過ごし方だ。窓からはセントラル記舎の真ん前に建つ噴水が見える。外は快晴で、首都の人間たちがそれぞれの向かう方向へ歩いて行く。

「あの二人は?」

 ロゼとダンは休養という事で記舎内の医務部屋で寝泊まりしている。

「暇してるみたい。ロゼさんにこの間のお酒を差し入れしようとしたらお医者さんに怒られちゃった」

 残念そうに眉を下げるルシカに苦笑いする。

「その依頼、テオ一人でやるの?」

 テオは片眉を上げる。

「そのつもりだが」

「長編だよ? それにテオ、こないだ大きい案件抱えてるって言ってなかった? 何かネタ譲ろうか?」

「そっちは粗方片付いた。時期モノじゃないならとっておけばいいんじゃないか」

 テオもルシカも滅多に頓着とんちゃくしないが、ネタの所有権はいつでも記録作家たちのいさかいの元なのだ。

「……長編となると三時間くらいか。確かに俺一人だと眠ってしまいそうだな」

 近頃の劇はますます大作になっている。

「あんなすごい劇場で寝ちゃうのなんてテオだけだよ」

 他に頼めそうな知り合いもいない。残るは――。



「わ、私、ですか?」

 ロビーに呼び出されたレインは潤いを湛えた瞳を見開いて睫毛をしばたかせた。

「無理にとは言わないが」

 テオたちがディランにいた間、レインはセントラルで資料の整理をしていたらしく、昨日の夕方に事件の事を話すとひどく心配そうな顔をした。

「テオが居眠りしないように見張ってて欲しいの」

「そ、そのような大役……」

 どんな大役だ。

「劇作品の記録はやった事あるのか?」

「はい、一度だけ」

 なら問題は無いだろう。

「悪いがよろしく頼む」



 よく晴れた日。蒸留酒の香りがメインストリートを抜けていく。遠くからカンカンと金槌の音が響く。この数年でどの街も姿を変えていた。技術の発達に伴い古きものは新しいものに取って代わられ、人々はその恩恵を自らの生活に引き込んでいた。記録作家は長い間その繰り返しを記してきた。

 劇作品の記録は殆どが単純作業だが、依頼主のお眼鏡に敵わなければ永久に終われないという難点もある。依頼主との初対面で仕事の効率が決まると言ってもいい。そういうわけで楽屋の前に立つテオとレインも黒の正装に身を包み、依頼主を待っていた。

「……大丈夫でしょうか」

 レインが不安そうに自分の腕をさすった。細く滑らかなワンピースは品の良い形で、レインの手の甲まで包んでいる。客席で目立たぬようにと装飾は袖口のレースのみで、他は何の装飾具も身に付けていない。それでも後ろで結われた銀髪が時折照明に反射して光を放つので、充分だとテオは思った。

「心配か?」

 レインは俯きっぱなしだ。

「メイエット様は有名記録作家のテオさんに来て欲しくて依頼したのに、私のような者がいては気を悪くされるかもしれません」

「あんまり面倒な人なら断るさ」


 ぶわっと音がしそうな勢いで風が角を曲がって来た。香水をこれでもかと染み込ませたようなツンとする風だ。それを纏って現れたのは華々しく着飾った女だった。女はテオたちに気付くと話していた男に手を振り、ヒールを鳴らしてこちらへ近付いた。化粧のせいか目力が強く、透き通った林檎色の大きな瞳はどこか鬼気迫る表情をしている。

 テオがお辞儀し、レインもワンピースの裾を摘んで腰をかがめた。

「初めまして。ヨルノリア作家団所属、ブルーアイズです。こちらは補佐のレイン。私の居眠……至らぬ点を補う役割で来てもらいました。構いませんか」

「初めまして。ドロシーです。記録作家さんが二人も来て下さって助かりますわ」

 目の醒めるような青のドレスに眩い金髪。堂々とした佇まいは流石一流女優といったところか。ドロシー・メイエットは圧倒的な存在感そのままに軽く微笑んでみせた。

「今夜が初演ですの。細かな違いも記して欲しいので最終日まで観てもらいたいのだけど、長過ぎるかしら」

「大丈夫です」

 その事は手紙にも書いてあったので承諾する。同じ内容の劇を一週間観るというのは正直腰が引けるが、そのうちの二日は休みであるし、昔受けた「農作物の成長を記録して欲しい」という依頼と比べれば何倍もマシだ。あの時は畑で一生を終えるのではないかと本気で危惧したものだ。

「中を案内しますわ」

 ドロシーは颯爽とドレスを翻した。



「リイリーンが出来て何年になるかご存知?」

「五百年ですか」

 楽屋のある建物から一度外へ出たテオたちは正面玄関へ通された。神殿を模した立派な門から黄金の両開き扉をくぐり、赤の絨毯が張り巡らされた広間を進む。

「五百三年よ。その間に様々な困難に直面してきたけれど今日まで耐え抜き、数えきれない程のお客様を楽しませてきましたわ」

 開演前の劇場はおごそかな、教会にも似た雰囲気がある。天井の派手なシャンデリアですらその瞼を閉じているかのようだ。

「あなた方が本という作品を書かれるように、わたくしにとってはこの舞台が作品ですの。だから、きちんと形にして残したい……舞台の上だけでなく、この劇場と共にあるものとしてね」

「ご要望は分かりました。精一杯記させて頂きます」

「それと、何か気付いた点がありましたら私に教えて下さるかしら」

 分かりました、というテオの返事は短い女の悲鳴に掻き消された。

「あ、すみません」

 見ると舞台上にいた女性がこちらに頭を下げていた。役者たちはダンスの練習中らしい。エプロンドレス姿の彼女は謝り慣れているような、気の弱そうな顔をしている。するとドロシーが響く声で呼び掛けた。

「ハンナ、怖がらないで。思いきりが大事よ」

「はい、ありがとうございます」

「彼女の見せ場なの」

 ドロシーがテオたちに向き直る。

「それじゃ、開演までゆっくりしてらして」

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