第91話 五年前

 巨大な屋敷の敷地内の地下に、昔掘られた坑道があった。


 みがき砂を採掘していた跡らしいが、今はもうほとんどの人から忘れられている。


 その忘れられた坑道の中に、私はいた。


 その中から、私は上の屋敷の主に向けて式神を放っていたのだ。


 今回私が受けた依頼は呪殺。脅しではなく、完全な殺害依頼。


 しかし、ただ殺すだけなら簡単だが、今回は殺害対象者に自分がこれから呪殺されると分からせてから、殺せという依頼だった。


 こういう依頼はたまにある。


 復讐や見せしめで呪殺依頼する者に多い。


 今回は復讐が目的だ。


 私は依頼を遂行するため、一週間前に対象者の元へ式神を送り『七日後に呪い殺す』と宣告しておいた。


 それに対して、向こうは霊能者協会に護衛を依頼。


 だが、この程度の事は想定内。


 霊能者協会なら屋敷の周囲に強力な結界を張るだろう。


 だが、私自身が結界内に入ってしまえば問題ない。


 屋敷の地下に坑道がある事も調査済み。


 私は坑道から結界内に侵入して式神を放ったのだ。


 想定外だったのは、護衛についていた御神楽姉妹の式神が意外と強力だった事。


 だが、式神が強いのなら術者を狙えばいいだけ。


 私は、ネズ子を放って術者を探させた。


 程なくして、ネズ子が術者を見つける。


「ヒョー様。御神楽姉妹の一人を見つけました」

「姉の方か? 妹の方か?」

「姉の槿です。近くに置いてある携帯電話に、名札が貼ってありました」

「携帯もあるのか。それは好都合」


 私はふところから憑代を取り出して床に叩き付けた。


「出でよ。式神」


 紙の憑代は見る見るうちに黒い大蛇の姿になる。


「行け。御神楽槿を捕えて来い」


 大蛇は坑道の天井を抜けて外へ出た。


 そのままネズ子の案内で御神楽槿のいる部屋に入り込む。


 大蛇の目を通して見ると、一人の若い巫女が和室の真ん中で結跏趺坐けっかふざしていた。


 大蛇は大きく口を開き、長い舌で巫女をからめ取る。


「しまった!」


 巫女はもがくがもう遅い。


 そのまま大蛇の口の中に引き摺りこむ。


 同時にネズ子が人の姿に変身すると、携帯電話を拾って大蛇の口の中に飛び込んだ。


 私はそれを確認すると大蛇の口を閉じる。


 後はネズ子に任せるとしよう。


 蛇の舌に絡み取られて、もがいている御神楽槿の前にネズ子が歩み寄る。


「初めまして。御神楽槿さんでちゅね?」

「そうよ。あなたがヒョー?」

「いえいえ。あたしはヒョー様の式神でちゅ。ネズ子と呼んで下さい」

「なにがネズ子よ。くっ! 放せ」

「いやでちゅね。ここは『クッ! 殺せ』と言わないと萌えないでちゅ」

「誰かそんな事。私にとって最も大切なのは私の命よ。殺せなんて、口が裂けても言わないわ」

「そうでちゅか」


 そこで、私は蛇の舌をゆるめて御神楽槿を放した。


「なんのつもり?」

「ここは大蛇の口の中でちゅ。口が閉じてしまえば、ここから逃れることはできないでちゅ」


 そう言ってネズ子は携帯電話を差し出した。


「私の携帯?」

「それで妹さんに、電話をかけてほしいでちゅ。今の状況を伝えるでちゅ」

「分かったわ」


 御神楽槿は携帯を操作した。


 ほどなくして相手が出る。


「もしもし。芙蓉。私よ。槿よ」

『お姉さま、どうしたのですか? さっきから、お姉さまの式神が止まっているのですが』

「ヒョーに捕まっちゃったのよ」

『なんですって!?』

「奴は大蛇のような式神を放ってきたわ。その式神に飲み込まれてしまったのよ」

『自力で出られないのですか?』

「無理よ」


 そこでネズ子は手を差し出した。


「電話を代わってほしいでちゅ」


 御神楽槿は、ネズ子に携帯電話を渡す。


「もしもし。御神楽芙蓉さんでちゅか? あたしは、ヒョー様の式神でネズ子と申しまちゅ」

『姉を人質にしたと、解釈していいのかしら?』

「そうでちゅ。さあ、御神楽芙蓉さん。お姉さまの命が惜しかったら……」

『惜しくないです』

「は? 今なんと?」

『惜しくないと言ったのです。勝手にそっちで、煮るなり焼くなりして下さい』

「だって。実のお姉さまでちゅよ」

『それがなにか? 私よりちょっと早く生まれただけの人が、どうかしましたか?』

「ええっと……仲の良いお姉さんの命が、危ないのですけど……」

『あのですね。兄弟姉妹だから、仲がいいなんて決めつけないでもらえませんか。迷惑なのですよ』

「ええっと……」


 ネズ子は、助けを求めるような視線を御神楽槿に向けた。


「妹さんに、嫌われていたのでちゅか?」

「そんなはずないわ。私は妹から、敬愛されているはずよ」

「でも、妹さんは、煮るなり焼くなり好きにしろと言ってまちゅ」

「なんですって! ちょっと電話を代わりなさい!」

「はいでちゅ」


 美神楽槿は携帯電話を受け取ると、一気にまくしたてた。


「ちょっと芙蓉! 煮るなり焼くなり好きにしろとはどういう事よ!?」

『そのままの意味ですよ。このままとうとくない犠牲となって下さい』

「ははあ、あんたさては支部長の椅子を狙っているのね」

『そんなつまらない地位なんて、興味ありません』

「じゃあなんでよ? 敬愛する姉のピンチなのよ。なんとかしなさいよ」

『はあ? いつから、私がお姉さまを敬愛しているなどと錯覚していたのですか? 私は昔からお姉さまが嫌いでした』

「え? 私……嫌われていたの?」

『なぜ今まで、嫌われている事に気が付かないのですか? 散々私の嫌がる事をやっておいて』

「何かやったかしら? ああ! プリンを勝手に食べた事なら謝るわ」

『あれも、お姉さまがやったのですね』

「あら? 墓穴だったかしら」

『幼稚園児の頃、私に何度もオネショの罪をなすりつけましたね』

「そんな昔の事……子供にはよくあることじゃない」

『小学生の時も、花瓶を割ったり、窓ガラスを割ったりした罪を私になすりつけましたね』

「そんな事あったかしら?」

『中学生のころ、自分の自転車がパンクしたからと言って、私の自転車に無断で乗っていきましたね』

「やあねえ。芙蓉ちゃんたら、細かい事を……そんな細かい事ねちねち言っていたら、彼氏できないわよ」

『高校生の時、私の付き合っていた彼氏にある事ない事ふきこんで、私がフラれるように仕向けましたね』

「だって北村君って可愛いし、私が付き合いたかったし……それにある事ない事なんて言ってないわよ」

『違ったのですか?』

「ない事ない事言ったのよ」

『よけい悪い!』


 激怒した御神楽芙蓉は、式神を操って姉の式神を殴りつけた。


「きゃあ! 私の式神になにするのよ!」

『本人に手が届かないから、代わりに式神を殴ったのです』

「このお」

『ああ! 私の式神を殴りましたね』

「お返しよ」


 そのまま、姉妹の式神同士での戦いとなった。


「妹の癖に生意気よ!」

『ちょっと早く、生まれただけで威張らないで! それに式神の性能は私の方が上です』

「姉より優れた妹などいねえ!」


 二人の喧嘩を、ネズ子はただオロオロと見守っているだけだった。

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