第37話 駅の幽霊

 ゾク!


 なんだ? 今の悪寒は……


「優樹。どうかしたの?」


 僕のほぼ頭上から、樒が心配そうに声をかけてくる。


「いや、ちょっと寒気が……」

「風邪?」

「いや……誰かに狙われているような……」

「悪霊の気配!? 私は感じないけど……」

「いや、そういうのとは違うような……」


 気のせいかな?


 周囲を見回した。今、僕たちがいるのはJR多摩線八名駅のホーム。古い駅なので、まだホームドアが設置されていない。


 数日前、痴漢が逃げようとしてこのホームから飛び降り、そのまま電車に轢かれて死ぬという事件があった現場だが、その日からその痴漢の幽霊が出るらしい。

 今回、僕と樒はその調査に来た。その痴漢被害に遭った女子高生にも同行してもらっている。というのも、その幽霊は主に彼女の周囲で現れるから。通学でこの駅を使っているのだが、通る度に幽霊が現れる事にたまりかねた彼女が霊能者協会に相談をもちかけたのは一昨日の事だった。


 そんな分けで、僕と樒は学校が終わった後にこの駅まで来て、改札で彼女と落ち合った。


 そのままホームまで行く途中、事情を聞いてみると……


「その幽霊は、いつもあたしがホームで帰りの電車を待っている時に現れるのです。そして『僕はやっていない』と言い続けて……」


 冤罪だと言うのか? しかし……


「その人は……その……」


 言葉を選ぶのが難しいな。痴漢の被害者に、その時の状況を聞くなんて……


「優樹。なんで、そこで黙るの?」


 樒が怪訝な視線を僕に向けた。


「だってなあ、話しにくいだろ。痴漢に遭った時の状況なんて」

「そういうものかな? あたし、痴漢に遭ったことないから」


 そうだろうな。身長百八十センチ以上の大女なんて、恐ろしく手が出せないだろう。


「優樹は痴漢に遭った事あるの?」

「僕は男だけど……」

「分かんないわよ。ホモの痴漢だっているし、優樹だと女と間違えられそうだし……」

「んな事どうだっていい」


 僕は彼女の方を向いた。


「その……ですね。その幽霊の男は、間違えなくあなたに悪さをしたのですか?」


 この言い方なら問題ないな。彼女もすぐに答えてくれた。


「分からないのです」


 え? 分からない?


「だって、あなたが捕まえたのでしょ?」


 樒の質問に彼女は首を横にふった。


 どういう事だ?


「あの日、あたし……満員電車の中で触られて……怖くてずっと動けなくて……背後から頬に息を吹きかけられ時……なんとか勇気を振り絞って……『止めて下さい。大声を出しますよ』って言ったのです」


 その直後に彼女を触っていた手が離れたそうだ。ほっとしたのも束の間。背後から『この人痴漢です!』と大きな声が聞こえてきた。


 振り向くと、一人の小太りした男が中年男性の手首を捕まえ持ち上げている。


 中年男性は必死に否定しているが、誰も聞く耳を持たない。


 一方、捕まえている方の小太り男は彼女に向かって……


『君、今この人にお尻を触られていたよね?』


 彼女は、どうすればいいか分からず、ただ頷くしかなかった。


 そして次の駅で中年男は強制的に電車から降ろされたが、駅員に引き渡される前にホームから飛び降りて電車に轢かれたという次第だ。


「あたし……電車の中で誰かにお尻を触られていて……でも、それが本当にあの人なのか分からなくて……だから、駅員さんの前で、その事を言うつもりでした。だけど、その前にあの人がホームから飛び降りて……」


 彼女は辛そうに話してくれた。


「その日からずっと……あたしが駅に入ると幽霊が現れて……」


 しかし、幽霊の声はよく聞き取れないし、短時間で消えてしまうので事情がよく分からない。


 まあ、一般人では仕方ないよね。


「ちょうど本人も出たし、話を聞いてみましょう」


 樒が指さす先にビジネススーツに身を固めた一人の中年男性が立っていた。


 樒と同じくらい長身の男。しかし、生きている人間ではない。


 僕は男の元に歩み寄って名刺を差し出した。


「初めまして。霊能者協会から派遣されました社 優樹と申します。あなたが名刺を受け取れない事は分かっていますから見るだけでいいですよ」


 男は一瞬驚いたような表情浮かべた。


「僕を払いに来たのか?」

「最終的には成仏していただきますが、あなたが悪霊化さえしなければ強制除霊はいたしません」

「僕は除霊されてもかまわない。だが、話だけは聞いてくれ」

「ええ。そのため僕たちはここへ来たのです」

「良かった。このまま痴漢の罪を着せられていては、残された女房子供に肩身の狭い思いをさせてしまう。職場にも迷惑をかけてしまう。そんな事になっては、死んでも死にきれない」

「では、あなたは痴漢をしていないのですね」

「当然だ。僕はあの時左手で吊革を掴み、右手で鞄を持っていた。痴漢などできるわけがない」


 なるほど、確かにその状態で痴漢ができるとは思えないな。言っていることが事実なら……しかし、持っていた鞄はどうなったのか聞いてみたら、男に腕を捕まれ持ち上げられた時に落としてしまったというのだ。


 辻褄はあっているが……だからと言って簡単に信用するわけには行かない。


 などと言っていると、樒が妙な提案をした。


「それなら再現実験やってみたら」


 再現実験?


 樒は幽霊の方を向いた。


「おじさん。身長はいくつ?」

「え? 百八十六センチだが」

「私より少し高いわね」


 次に樒は女子高生の方を向く。


「あなたの身長は?」

「百四十八ですけど……」


 僕と同じ身長だな。


「やはりね。これだけ身長差があると、満員電車の中で痴漢は難しいと思うわね」

 

 そうなのかな?


「優樹。ちょっと、彼女の横に立って」

「こうか?」

「身長はほぼ同じね。じっとしていて」


 そう言って樒は僕の背後に回り込み……


「ひゃうう!」


 思わず情けない悲鳴を上げて僕は飛びのいた。


 何があったのかって? 樒がいきなり僕の尻を撫でたのだよ。


「優樹。動いちゃだめよ」

「いきなり尻を触られて、動くなって方が無理だろ!」

「それもそうね。じゃあ、今から優樹のお尻を触りまくるからジッとしていてね」

「いや、予告したってダメだから……」


 僕の抗議などおかまいなしに、樒は背後から僕を左手で押さえつけ、右手で僕の尻を触りまくった。


 やめろう!


「ふむふむ。私の身長で優樹のお尻をなで回すには、かなりしゃがみこむ必要があるわね。身動きのとれない満員電車の中では無理だわ」

「それを確かめるだけなら、手のひらを僕の尻の高さに持ってくればいいだけだろ。なで回す必要がどこにある?」

「何言っているの。再現実験よ。正確に再現しないと意味ないじゃない」


 あのなあ……


「とにかく、これでおじさんの無罪は確定したから、後はもう成仏してもらってもいいんじゃない?」

「あのう……」


 幽霊おじさんは困ったような顔をして言った。


「あなた方に納得して頂くだけでは困るのですが……ちょっとスマホでこの事件を検索してもらえませんか」


 幽霊おじさんに言われた通りスマホで検索すると、ヤッホーニュースに『痴漢男ホームから飛び降りる』という見出しの記事が見つかった。記事ではもう完全におじさんが犯人と決めつけているし、記事についたコメントもおじさんを避難する書き込みで溢れている。


 悪名高い某掲示板も、専用スレが立っていた。

 

「そうか。世間一般に納得してもらわなきゃだめね」


 しかし、どうやって?


「そりゃあ、本物の痴漢をとっ捕まえて白状させるのよ」 


 いや無理だろう。だいたいどうやってやるつもりだ?

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