第9話 事故現場
トンネルを抜けると、そこは雪国……じゃなくて、事故現場だった。
ドアミラーやら、割れたガラスやら、バンパーの一部やらが散乱し、それをまき散らした大元の車が横転して走行車線を塞いでいる。
おかげで、池田さんの車が走り始めた時には渋滞が始まっていた。
渋滞の影響を受けないバイクで先行した
ただ、駆けつけた警官には『幽霊のせいで事故った。俺は悪くない』と叫んでいるらしい。
「池田さん」
僕は横転している車を指差した。
「あれも軽自動車ですよね」
「そのようですが……」
「ひょっとして、あの幽霊は軽自動車にしか現れないのでは……」
「え? そうなんですか?」
「昨夜はワゴン車で何度もここを通りましたが、まったく出なかった。しかし、この車で通ったら一発で出た」
「なるほど」
軽自動車に出る理由も分かる。
さっき
ナンバーもしっかり見たし……ん?
路側帯に停止した池田さんの車を降りた僕は、横転した車に駆け寄った。
という事は……
「だから、幽霊のせいだと言ってるだろ。でなきゃ天才的運転テクニックの俺が事故るかよ!」
若い男が警官と樒に向かってそんな事を怒鳴っている。
その男の顔は、煽り運転をしていた男と同じだった。
「樒。ちょっと、耳貸して」
僕は樒の袖を引っ張った。
「なに?」
僕の口が届くように樒は背を屈める。
「この男だ。煽り運転をしていたのは」
「マジ?」
「ああ。ただし、
「分かったわ」
僕は、男の前に立った。
「なんだ? このガキは?」
男は僕に怪訝な視線を向ける。
「幽霊を、見たそうですね?」
「おおよ! さっきから、そう言ってるだろう」
僕は今来たばかりなんだが……
「幽霊の特徴を、教えてもらえませんか? 一週間前から、このトンネルで幽霊の目撃が続いています。同じ幽霊か確認したいのですが」
「なんで、おまえみたいなガキが、そんな事を……」
「ガキではありません」
僕は名刺と原付免許を差し出した。
「霊能者協会? おまえもこの姉ちゃんの仲間か。しかし……」
男は警官の方を向いた。
「原付免許って、小学生でも取れるようになったのか?」
ムカ……高校の制服が目に入らないのか……いや、こいつには私立小学校の制服とでも思われているのか?
樒が僕の頭に手を置く。
「あのさ、こう見えても、彼は十六歳の高校生だから……」
「え? マジかよ? ひょっとして悪の組織に、おかしな薬でも飲まされたか?」
どっかのアニメじゃあるまいし、そんなわけあるか!
「僕の身長の事は、どうでもいい。幽霊の特徴は?」
「血まみれの女だったよ。歳は二十代ぐらいかな。とにかく、恐ろしい表情で俺を睨みつけてきやがった。でなきゃ天才的運転テクの俺が事故るかよ」
こいつ……よっぽど自分の運転テクニックを自慢したいみたいだな。
「その女に、見覚えはありませんでしたか」
僕がそう言った途端に、男の顔は引きつった。
見覚えがあるのだな。
「し……知らねえな。あんなおっかない女……」
樒が口を挟む。
「そんなに恐ろしい女だったの? 私とどっちが恐ろしいかしら?」
「はあ? なに言ってんだよ。姉ちゃんみたいな、いい女が怖いわけないだろ」
樒を見る男の目が、スケベ色に染まった。
まあ、樒って出るところは出てるから、何も知らない男はこうなるか。
「よお、姉ちゃん。新しい車が手に入ったら、助手席に乗らないか? 俺の天才的運転テク見せてやるからよ」
「お断り。あんたみたいな下手くその運転なんて」
「なに!」
ニヤニヤしていた男の顔が、途端に怒りの形相に変わる。
「俺の運転を見たこともないくせ……」
樒は横転している車を指差した。
「運転しているところを見なくても、車をこんなにしちゃう人の腕なんて信じられないわね」
「だから……それは、幽霊のせいだと……」
「幽霊を見たぐらいで、普通こうはならないでしょ」
「いや……それは……姉ちゃんが霊能者だからであって……」
「霊の目撃は一週間続いているのよ。だけど今まで事故はなかった。あんたを除いてね。つまり、あんたはそれだけ運転が下手くそだって事よ」
「ち……違う! 俺は……その……幽霊恐怖症なんだ」
いや、別に恐怖症じゃなくても、誰だって怖いだろ。
「それにさ。あんたみたいに、運転技術を自慢するやつって、すぐに煽り運転するから嫌いよ」
男は一瞬、ギクっとしたかのよう顔をひきつらせた。
「お……俺は煽り運転なんかしてないぞ……ただ、俺のペースで走っていたら、前の車に追いついてしまってだな……」
そういうのを、煽り運転て言うんだよ。
「だいたい煽り運転て言うけどな、そんなの高速道路を、トロトロ走っている奴が悪いんだよ」
なんつう身勝手な奴……
「高速道路っていうんだから、高速で走らない奴が悪い。いや、下手くそのくせにステア握るから悪いんだ。下手くそは車なんか乗るな!」
「煽り運転と言えばさ」
ここで、僕はいかにも思い出したかのように言った。
「あの幽霊も、変な男に煽られて事故を起こしたと言っていたな」
「その事故っていつあったの?」
よし! 樒。ナイスフォロー。
「一週間ぐらい前だよ。頭の悪そうな顔をした男の運転する車に煽られて事故を起こしたって言っていたな」
「何だと!? このチビ!!」
突然、男が激怒して、僕に胸倉を掴んだ。
「なんで、あんたが怒るんだ?」
まあ、自分のことだから当然だが……
「そ……それはだな……てめえ! 俺をはめたな?」
「なんの事かな?」
「幽霊の話を聞いたというなら、本当は知っているのだろう? 煽り運転をしたのは俺だって」
「ふうん、認めるんだ?」
「ああ、そうだよ。煽ったのは俺だよ。でもなあ、俺の車は奴の車と接触はしていない。勝手に事故を起こした、あいつが悪いんだよ」
「それでも、煽り行為は違法だよ」
「やかましい! 生意気言うな! このチビ!」
男は殴りかかってきた。
だが、男のパンチは寸前で樒に掴まれる。
「
樒から見たら、この男の方がチビだからな。
「痛てて……放せ! この怪力女!」
「怪力? 怪力というのはね……」
樒は男を引き寄せて、軽々と持ち上げた。
「こういうのは言うのよ!」
「ひいいい! 助けてくれ! 俺は高いところが苦手なんだあ!」
そのまま樒は、男に尾骶骨割りを仕掛ける。
男はアスファルトの上をのたうち回った。
のたうち回る男に、二人の警官が歩み寄る。
「おい、警官! 見ていただろう。暴行罪だ。あの女を逮捕しろ」
男は、樒を指さした。
「あいにくだな。あれは正当防衛だ。それよりも君。今、煽り運転をやったと認めたな?」
「な……何のことかな?」
僕は、ICレコーダーを突き出して再生ボタンを押した。
『ああ、そうだよ。煽ったのは俺だよ』
「もう一度、聞きたい?」
「てめえ、汚ねえぞ」
まあ、同意のない録音は、証拠として使えないんだけどね。
「さて、君。詳しい話は署で聞こうか」
そのまま男は、警察に連行されていく。
「樒」
僕は樒の方を向いた。
「なに?」
「その……助けてくれて……ありがとう」
「ええ!?」
「なんだよ? その意外そうな顔は」
「いや、優樹が私に礼を言うとは思わなかったから……」
「ぼ……僕だって、助けてもらったら……感謝ぐらいするさ」
「そう。じゃあ、感謝のしるしに罰金立て替えて」
「やだ」
「ケチ、でもさ……」
「ん?」
「これで、あの人も成仏してくれるよね」
「だといいけどね」
おそらく、そうはならないだろう。
あの女の人の未練は、もっと他にある
『カルマを出して』と、あの女は言っていた。
『カルマ』って、いったいなんなのだ?
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