05-1.リリー・アレクシア・キプリングの悲劇


* * *


 戦争のない平和な時代とはいえ、幼い子どもが夜道を歩くのには危険が生じる。特に微弱な魔力はあるものの、魔法の才能には恵まれなかった元貴族の子どもは危機管理が甘い傾向にあり、夜間を練り歩く理性が欠けた魔物や他人の命を簡単に踏み弄る盗賊等からすれば狙いやすい標的である。


 八歳の少女、リリーは狙ってくれと言わんばかりに夜道を歩いていた。


 先日、実家に置いてあった馬車と見間違え、孤児院を飛び出した彼女は酷い目に遭った。こうして五体満足で生きているのが不思議なほどに痛い目に遭わされ、理不尽な暴力を振るわれ、操り人形のように投げ捨てられ、その上、絶望的な実力差を見せつけられた。幼い子どもながらもようやく理解をした。両親や兄姉から見捨てられ、古びた孤児院に置いていかれたのはリリーには才能がなく、弱いからなのだと理解をしてしまった。


 リリーは男爵家の生まれだった。


 貴族の端くれとはいえ、今の生活とは比べようもないほどに恵まれた生活をしていた。金銭の余裕がないのだと知ることもなく、与えられたものを享受し、努力をしようともしなかった。


 リリーには微弱な魔力があった。生まれつきの魔力があった。


 両親はそのことに気付いていたのだろう。だからこそ、いずれは偉大な魔女になる可能性を信じ、リリーの我が儘を叶えていたのだろう。残念ながらリリーは両親の期待に応えることはできず、微弱な魔力はあるものの、魔法の才能には恵まれていなかった。そのことが発覚した次の日、リリーは孤児院に捨てられた。


 ……どうしよう。


 暗い夜道を歩く。


 リリーは孤児院に馴染めなかった。貴族の生まれであるというだけで孤児院の子どもたちからは距離を取られることも多く、リリーも声を掛けてきた子どもたちとは自分は違うのだと自己暗示をかけることにより、自分自身を守ろうとしてしまった。そのことにより子どもたちとの距離は縮まることなく、気に掛けてくれた年上の子どもたちも先日の一件により危険視するようになっていた。


 ……思わず、飛び出てきちゃったけど。どこにも私の居場所なんてないわ。


 孤児院にも居場所はなく、実家にも帰ることはできない。

 リリーは絶望の淵に立たされていた。


 ……どうしよう。


 孤児院での生活の中で手入れも出来ず、埃に塗れた金髪には艶がない。先日までは強い気力を持っていた緑色の眼は光がなく、気力を感じられない。俯いているからか、背筋は曲がり、男爵家にいた頃とは別人のようにか細くなってしまっている。リリーは自身の変化にも気が付いていないのだろう。


 月の光を頼りに夜道を歩く。


 普段ならば危ない連中が潜んでいるから近寄ってはいけないと言い聞かされている森に近づいていることへの自覚は無いのだろう。まるで導かれるように森の中へと足を踏み入れていく。


「――あれは失敗だ。どうする」


「同じ手が通じる相手じゃねえさ。他の手を使うしかねえべ」


「考えがあるのか」


「いんや、手駒が足りねえ。乗り込むわけにゃあいかんだろう?」


 リリーの足が止まる。


 木々に視界を遮られ、確かなことはわからなかったものの、はっきりと声が聞こえた。その内、一つは聞き覚えのある声だった。


 ……あの時の男!!


 ヴァレンティ伯爵領では聞き馴染みのない訛りの強い口調を覚えていた。


 リリーが馬車を追いかけている最中、遭遇をした男の声だ。その声を耳にした途端、リリーの足は地面に縫い付けられたかのように固まった。緊張と恐怖で動けなくなったのだろう。冷や汗が頬を伝い、背中にも嫌な汗が流れる。


 ……ど、どうしよう。


 一人で孤児院を飛び出て来てしまった。


 誰にも行き先を告げることもなかった。二度目は探し出してはくれないだろうということは理解をしている。その日暮らしの孤児院の子どもたちにとっては、食事を探そうともしない食い扶持がいなくなったことを悲しむ者はいない。


「真っ正面からバカみてえな作戦は通じやしねえべ」


「裏工作も失敗しただろう」


「そりゃあそうだが。他の方法を考えるしかねえべ」


「なにかないのか」


「あー……。一先ず、例の嬢ちゃんを引っ張り出す餌を確保しねえ話になんねえ。今回ばかりは兄さんの手を貸してくれや」


 今のところ、リリーの存在には気付かれていないようだ。

 しかし、聞いてはいけないことを耳にしてしまった。


 ……どうしよう。


 逃げる方法を考えなくてはいけない。捕まってしまえば、利用されるということは身をもって知っていることだった。働かない頭を動かし、懸命に方法を模索する。


「餌の調達か?」


「そうさぁ。大きな魚を釣る為にゃあ、でっかい餌がいるってもんよ」


「場所は?」


「ヴァレンティ伯爵領にあるダーティ孤児院。偉大な教会様も見捨てた孤児たちの廃棄場でなぁ。魚釣りの餌集めには絶好の機会でなぁ」


 男の言葉にリリーは眼を見開いた。


 ヴァレンティ伯爵領にあるダーティ孤児院。


 教会から見捨てられた半倒壊の孤児院。聞き覚えがあるどころではない。そこは、数時間前、リリーが飛び出てきた個人だった。


 ……みんなが、狙われている?


 リリーが情報を掴まなければダーティ孤児院は崩壊に追い込まれることだろう。先日、リリーを操り人形のようにした男は場所を指名した。その男はリリーのような微弱な魔力を持っている人間ならば簡単に支配下に置くことができる魔法使いだということは身をもって知っている。


 ……別にあんな子どもたち、どうでもいいわ。私には関係なもの。


 親しくしていたわけではない。

 同じような場所で寝泊まりをしていただけの関係である。


 ……別に、どうでもいいわ。


 そう思っているのにもかかわらず、なぜ、心が痛むのだろうか。

 リリーの心臓は大きな脈を打つ。それは決断を迫っているかのようだった。


 頭の中を過るのはなにかとリリーのことを構おうとしていた同い年の孤児の姿、気に入らないと言いたげな顔をしつつ、食料を別けてくれた年上の孤児。何かあれば遠慮なく言えと頭を撫ぜてくれた大人びた孤児の少年。


 彼らの顔が頭を過って離れない。

 親しくしていたつもりはない。だけども、彼らはリリーのことを見放さなかった。


 ……ここで逃げていいわけないじゃないの。


 リリーは覚悟を決めた。


 情報を持ち帰り、孤児院の皆と逃げることが最善策だ。幼い子どもでありながらも、それが最善の方法であると導き出したのである。


 音を立てないように一歩ずつ後ろに下がる。ゆっくりではあるものの、確実に男たちの距離を取っていく。


「孤児を集めりゃ使い捨ての駒くらいにゃあなるだろうしなぁ!」


 足元に注意をしていたものの、気が逸れてしまったのだろう。

 男の大声に思わず足音を立ててしまった。


「お? アンタ、あの時の嬢ちゃんじゃねえか」


「ひっ!」


 男の視界にリリーの姿が入ってしまった。

 リリーは慌てて駆けだした。しかし、一度、男の術に落ちたリリーの存在を認識した男の口元は歪んでいた。


「逃げられるわけねえだろ、嬢ちゃん」


 リリーの右腕が掴まれる。

 強引に引っ張られ、地面に叩き付けられた。

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