02-1.悪役令嬢は未来を語る

 ……後悔などしていなかったのに。


 服毒自殺を決めた日のことを昨日のことのように思い出すことができる。一方的に婚約破棄を告げられたことも免罪によりバレステロス監獄に幽閉された時も恐怖はなかった。それが運命ならば受け入れるのが正しいことだと心の底から思っており、命を絶つことにより公爵家に迷惑かけないのならば、それですべてが解決をするだろうと思っていた。


 それなのに、何故なのだろうか。

 メイヴィスにとっての最善策は家族の心を傷つけるものだった。


 それを知ってしまった。知ってしまえば、知る前には戻れない。


 ……今は、あの時と同じような死に方はしたくはない。


 大切な人を苦しめることになるのならば、意地汚いと煽られようが生き残る方法を探すだろう。そのことを考えると家族の顔が思い浮かぶ。

 そして、家族と同じくらいに大切な人の姿が頭を過る。


 ……お父様たちだけじゃない。なによりも私が傷を残したのは、セシルだ。私の最期は愛した人の姿と声で終わりを迎えたけれども、セシルは、目の前で死なれたのと同じだ。今の彼のように私のことを大切に思ってくれていたのならば、彼の心に酷い傷を残したことだろう。


 同じことを繰り返してはいけない。


 それはメイヴィスを愛している人たちがいると知ってしまったからこその決意だった。メイヴィスの返答を待つニコラスの視線が恐ろしいと感じてしまうのは、与えられている愛を信じることもなく、死という形で裏切った自覚があるからなのかもしれない。


「お前に死ねと命じたのは、私か?」


 ニコラスの声には力がなかった。

 その結論に至ったのはメイヴィスが黙ったままでいるからだろう。


「だからこそ、お前は私たちに愛されていないと思っていたのか?」


 十三歳の誕生日のことを思い出す。

 メイヴィスは誕生日を祝う両親の言葉を信じられなかった。その時に初めて両親からの愛が向けられていることに気付いたと言わんばかりに涙を流した。


 それが前世によるものだと気付かれてしまった。


 メイヴィスがなにも言わずにいれば、ニコラスはメイヴィスを死へと追いやったのは自分自身だと結論を出してしまうことだろう。


「いいえ、お父様とお母様は私の死を食い止めようとしてくださりました。私は王国の為に道具であれと自分自身に言い聞かせて生きていましたが、それは、与えられた役目を全うする為には致し方がないことだったのです。お父様とお母様はなにも悪いことをしていません。勘違いをなさらないでくださいませ、前世では、バックス公爵家の者として正しき行動を自らの意思で選んだのです」


 口調が前世の頃に使っていた言葉遣いに戻っている。

 メイヴィスはそれに気づくこともなく、父の勘違いを正す為に言葉を並べる。


「こうして二度目の人生を歩むつもりなどなく、自らの意思で命を絶ちました」


 執務室の空気は張り詰めたものだった。


 この部屋に訪れた時も雰囲気はよくはなかったものの、話をすればするほどに冷たい視線を感じる。それはニコラスから向けられている視線だけではなく、メイヴィスの後方に立ち、話を聞かされることとなったハーディとエルマーからの視線も含まれている。彼らには信じられない話に耳を疑いたくなる気持ちもあるだろう。


「お父様、お母様には遺書を残しましたの。私のことなど忘れ、復讐には知らず、穏やかな日々をお過ごしいただければ、私はそれだけで幸せだと書きましたわ。私の弟子には公爵家を守るようにと託しましたの。……お父様、信じられないでしょうけれども、私の弟子は、お父様が連れてきた遠縁の養子でしたのよ。ですから、心配なさらないでくださいませ。とても優しい子ですの、公爵家の為に生きてくださる子ですわ。私のようにお父様とお母様の悩みの種にはなりませんわ、今度は、バカな真似をしないように言い聞かせますから」


 話をしていながらメイヴィスの眼からは涙が零れ落ちた。


 自らの意思で言葉を紡いでいるのにもかかわらず、この場には相応しくはない涙だった。これから先の公爵家のことを前向きに提案しているつもりのメイヴィスは自らの頬を濡らす涙を指で拭い、不思議そうな顔をする。


 ……なにも悲しくはないのに。


 エドワルドを養子として迎えてはくれないだろうか。


 似たような言葉を口にしている自覚はなかった。なぜ、その話をしてしまったのかも自覚がない。脈略のない話になっているのは動揺しているからだろうか。


「私がいなくなっても、公爵家はなにも困りませんの。その辺りのことはしっかりと覚えておりますわ、ですから、万全の策を考えますけれども、不測の事態が起きる前に養子をお迎えになってはいかがでしょうか。お父様、そうすれば、私がいなくなっても、お父様もお母様も寂しい思いはなされないでしょう……?」


 公爵家の存続が危ぶまれる危険性があるのならば、それを回避する為の方法を選ばなくてはならない。その為にはニコラスにはエドワルドを養子として公爵家に引き入れてもらわなくてはいけない。


 それが正しいことなのだとメイヴィスは信じている。

 それ以外には方法は無いのだと信じてしまっている。


 それなのに、メイヴィスの眼からは涙が零れて落ちていく。


「それならば、なぜ、泣くのだ」


「どうしてでしょう。わかりません」


「悔しいのではないか」


「なにが悔しいとおっしゃるのですか」


「遠縁の子さえいれば、自分は不要だと。お前はそう言っているではないか。メイヴィスは悔しくはないのか、実子ではなく、遠縁の子がいればいいと本気で思っているのか」


 ニコラスの言葉が胸に刺さる。

 十三歳の子どもが口にする会話ではないだろう。前世云々の話を耳にしなければ、ニコラスもメイヴィスに対してそのような話題を持ち掛けなかった。


 余計なことは知らなくていいと、メイヴィスを守る為だけに情報を隠したことだろう。余計なことは考える必要はないと、自答自問のような会話をする機会を与えなかっただろう。


 そうすることでメイヴィスを守ることができるのならば、ニコラスはいつだって情報を閉ざした箱庭の中にメイヴィスを隠してしまうだろう。


「それは、仕方がないことなのです。私は、私の所為で、禁忌を犯した弟子を許す術を持ちません。それならば、どのような方法を用いても、弟子を前世と同じような生活に戻してあげるべきだと思うのです」


「罪を犯した者など、気に掛けるのを止めればいい」


「それはできません。あの子は、泣いていたのです。私の死を悔やんでいたのです。そのことが禁忌に手を染める切っ掛けとなっていたのならば、私は、あの子を見捨てることなどできません」


「いいや、メイヴィスが不幸になるのならば、弟子など切り捨てるべきだ」


「私は不幸ではありません。お父様、私は、前世では幸せでした。お父様とお母様の娘として十八年間の人生を過ごすことができたことは誇りなのです。こうして、再び、お父様とお母様の娘として生きることが許されたことは、なによりも幸せなのです」


 顔をあげる。

 ニコラスと眼が合った。一度、眼を逸らす前よりも厳しい目付きをしていた。


「泣きそうな顔で言う言葉ではないだろう」


 ニコラスは腰をあげる。

 それから腕を伸ばし、メイヴィスの頭を撫ぜた。


「メイヴィス。お前の弟子を悪く言うのは、お前のことを愛しているからこその話だ。それには前世云々の話は関係がない。お前の頭の中にはある前世での私たちも、ここにいるお前の父親としての私も、メイヴィスの幸せを願っているのは変わらない。そのことは頭の良いお前ならばわかるだろう」


 ……暖かい。


 速まっていた鼓動が落ち着いていくのを感じる。

 幼い子どもの頃も頭を撫ぜられたことは少ない。両親と接する時間が少なかったこともあるが、言葉では褒められることはあっても触れられることは少なかった。そのことを思い出しても寂しいとは感じなかった。

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