05-8.秘密を打ち明ける
「そうですね、……旦那様と奥様が恐ろしいです。お嬢様を危険な目に遭わせたと知られてしまえば、俺は、首と体が別れることになるかもしれません」
「ふふ、そうか、それは確かに恐ろしいね」
「そうでしょう。お嬢様もお二人が恐ろしいと思いますか?」
バックス公爵と公爵夫人としての姿を思い出す。
家族であることは間違いないものの、仕事をしている時の両親の姿を思い出すと恐ろしいと思ってしまうことがある。その恐怖には、公爵家に生まれた者ならば背負わなくてはならない義務を果たせないことへと恐怖感や焦りによるものも含まれているだろう。
「時々ね。恐ろしいと思ってしまうよ」
公爵家の為ならばメイヴィスは道具にすらならなくてはならない。それが政治を動かす手段となるのならば、そこにはメイヴィスの個人的な感情は必要ない。その考えは前世での経験によるものである。今はそれを求められていないということは理解しているものの、簡単には考え方を変えることはできない。
この状況すらもニコラスの手の内の中にあるのだろう。
公爵領や友好関係にあるオルコット伯爵領外に足を踏み入れた時、メイヴィスは常に命の危機に晒されることになる。こうして刺客が拷問される姿を見るのもこれが最後とはならないだろう。今後もメイヴィスが誰かを守りたいと願い、行動を起こせば同様のことが引き起こされる。
これはニコラスから与えられた警告である。
その意味を正しく理解をする。
「私は試されているのだろう。お父様が私に与えた護衛騎士やメイドを上手に使いこなせるのか、他人の上に立つ才能があるのか、それを見極めることも公爵としての仕事の一部なのだろうね」
前世ではそれは出来なかったことである。
公爵家としての義務を全てエドワルドに託すことを選択したのは、メイヴィスだった。その代わり、彼女は国王から望まれた通り、アルベルトと婚約を結んだ。王族の一員となることにより他人の上に立つのは選ばれた者の役目である。メイヴィスにはそこに立つだけの知識が与えられたものの、彼女は自らの意思により命を絶ち、その地位を捨ててしまった。
それは大きな決断だっただろう。
今ではそれは過ちであったことを理解している。
「女である私は領主にはならない」
それに対して執着をする必要はないのかもしれない。
それに執着するのは前世の義弟であるエドワルドを生かす為である。再会を果たしたエドワルドの痩せた姿は見ていられるものではなかった。情けなく涙を流す元義弟の姿を見ながらも、自らの安泰だけを探すわけにはいかなかった。
そこに血の繋がりなくともエドワルドはメイヴィスの可愛い義弟である。
師匠の教えに背くような弟子であっても自慢の愛弟子である。
それだけは前世に置き去りにすることはできなかった。
「公爵邸の可愛らしい箱庭で生きることを放棄し、外へと手を伸ばしたのは私だ。お父様は外に興味を示した私に世間の厳しさを教えようとしてくださったのだろうね。信頼しようとした者であっても簡単に裏切る世界だと、それを知っても外に出る勇気はあるのかと。お父様が問いかけてきそうなことだと思わない?」
刺客を殺したのだろう。
刺客を捕えていた魔法が消えていく。メイヴィスは魔法を解除しておらず、強制解除の魔法を使用した者もいない現状において自然に魔法が解かれるということは、対象者が命を落としたということを意味している。
……人は簡単に死んでしまうんだね。
メイヴィスにとって死は身近なものではない。
前世でも他人の死を目にしたことはなかった。情報手段を通じて命を落としたと知らされることはあっても、死人を目の前にしたことはない。
……呆気ない。
他人事だからだろうか。
メイヴィスは自分自身の命を狙っていた刺客が命を落としたことに対して、悲しみや怒りを抱かなかった。ただ武器ではなく魔法により命を奪えてしまうということを教科書ではなく、現実として目にしただけの話である。
「お待たせいたしました、お嬢様」
「ハーディ先生、顔に血がついている」
「失礼いたしました。【水よ、汚れを落とせ】、お見苦しものを見せてしまったことをお許しください」
水属性の魔法で汚れを落としたハーディが普段と変わらない表情でメイヴィスの元へと歩いてくる。
「……お嬢様、俺は持ち場に戻ります。なにかありましたら、いつでもお呼びください。すぐに駆け付けますから」
「わかった。頼りにしているよ、エルマー」
「必ずやご期待にお応えいたします。それでは失礼いたします」
ハーディが傍に来るとエルマーはメイヴィスに声を掛けて離れた。
持ち場に戻るのだろう。その際、ハーディのことが気に入らないと言いたげな表情を浮かべていたことにはメイヴィスは気付かなかった。
「彼がどのような仕事を任せられているのかご存知でしょうか?」
「私の護衛と馬車の操縦でしょ」
「正解です。それぞれの役割を把握されておりましたか」
「出かける時はエルマーが馬車を操縦するからね。偶然、覚えていただけだよ」
急停止したことによる馬車の損傷や馬の状態を確認するのだろう。
エルマーの到着を待っていたかのような馬の嬉しそうな鳴き声が響いた。この場に似合わない大きな鳴き声にメイヴィスは笑ってしまう。
「ふふ、懐かしいな」
「いかがなさいましたか?」
「初めて乗馬をした時のことを思い出したよ。あの時もエルマーが馬に近寄ったら嬉しそうな鳴き声が聞こえたんだ。……私は馬が苦手だったのだけど、エルマーが懐かれている姿を見て、それほど怖い生き物ではないのではないかと思ったんだよ」
「さようでございますか。お嬢様は乗馬を嗜まれていませんでしたね」
「苦手なのは変わらないよ。以前と比べれば避けるようなことはしないけどね」
幼少期、馬の大きな鳴き声に驚いたのが苦手意識を抱いた原因だったのだろう。前世でも今世でも、その忌々しい思い出は変わらない。
「これからは苦手だけでは避けられなくなるかもしれませんよ」
……苦手なものはどうしたって好きにはなれない。
それは動物だけではない。人間だって同じである。
完璧主義の令嬢を求められていた頃はそれなりに振る舞ってみせた。心の中の声には耳を塞ぎ、求められる姿を演じてみせた。
それでも苦手なものを克服することはできなかった。
……それでも、挑戦してみるべきなのかもしれない。
知らないままで終わるのならば、知る為の挑戦も必要なのかもしれない。
「そしたら挑戦してみるよ。どのようなことだって苦手だから避けていられるわけではないからね」
「ご立派なお言葉を聞けて嬉しく思います」
「それはどうも」
「お嬢様は勉強熱心な方になられたようで家庭教師として安心しました。以前のように好きなことばかりに取り組まれるようでしたら、公爵閣下はお嬢様を屋敷の外に出すことはなかったでしょう。事情がどうであれ、これはお嬢様が選んだ道といってもいいでしょう」
「……ハーディ先生は私の心が読めるの?」
「いいえ、お嬢様が単純な思考をしていらっしゃるのです。公爵令嬢として他人の心を掌で転がせるようにならなくてはなりませんよ」
ハーディの言葉を聞き流し、メイヴィスは視線を馬車に向けた。
馬車の中にはアリーチェとクロエがいる。二人が馬車から逃げ出していない限りは対面を避けることはできない。
……苦手というわけではないのだけど。
望まなくても他人の上に立たなくてはならない立場にあった為、それなりの対処法は身につけているつもりだった。それが役に立っていないのだろうか。
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