第70話




 リリィが四つん這いで動き回るようになった頃、ようやく故郷であるサムドラの街へと行く予定が立った。

 この子は大人しいとはいえ、赤子が居れば今まで通り薬を作るのは難しい。仕事を片付けるのに結構時間がかかって、まとまった休みを取れたのはリリィが生まれて半年以上経ってからだった。



「ジャンさん、きっと待ちわびてるだろうなぁ」


「そうですね。……手紙でもかなり楽しみにしてくれている様子だったので」



 手紙のやり取りをして予定を立てていたのだが、部屋を用意しておくから泊まっていくといいとまで書かれていた。どうやら長居をしてほしいらしい、というのは言葉の端々から察せられる内容だったのである。



「家の外に立って待ってるかもしれないよ」



 リリィを抱えたエクトルの台詞に笑う。昼過ぎ頃には着けるだろうという連絡はしてあるけれど、まさか家の外で待っているなんてことは――。


(……エクトルさんの、ジャンさんに対する理解の深さに驚かされる)


 私たちは目立たぬように街に入ってからはシュトウムで顔を隠し、ドバック家付近まできたら路地裏でマントのフードを被ってシュトウムを外すという方法で目的地までやってきたのだが。

 ジャンはエクトルの言葉通り家の前に腕を組みながら立っており、赤子を抱えたフードの二人組わたしたちを目にしてすぐ、片腕を上げて大きく振ってみせた。



「よくきたな! さあ、早く家に入れ! 子供を日差しにあてたら可哀相だからな!」



 輝く太陽のような笑顔が遠目にも分かる。隣を見るとエクトルと目が合って、お互いにくすりと小さく笑いながらジャンの元へと向かった。

 家の前まで来て気が付いたのだが、何故か建物が大きくなっている。……部屋数が増えているのである。



「あの、ジャンさん。家が大きくなりましたか?」


「おう、改築したんだよ。建築屋だからな、俺は。お前たちの部屋もちゃんと用意してるから、ゆっくりしていけ」



 どうやら私たちが泊まれるように家を改築したようだった。彼が得意とする仕事だからとはいえ、まさかそこまでしているとは。……なかなか会いに来られないので寂しいと思ってくれているのかもしれない。顔には出さないが行動とはしゃぐような感情の色にジャンの心境が表れている。

 そうして家の中に招かれると、笑顔のイルナも待ち構えていたように駆けつけてきた。



「よく来たね、シルル! それからエクトル。そして……こっちがリリィちゃんね。まあ、なんて可愛いんだろうねぇ」


「そうだな、シルルがこれくらいだったころにそっくりだなぁ……」



 エクトルに抱えられているリリィはイルナとジャンに覗き込まれ、にっこりと笑った。人見知りをしない彼女は初対面の大人であろうと顔を見れば笑いかける愛想のよさを持っており、そうして覗き込んだ大人は皆破顔することになる。

 例にもれずイルナどころかジャンまでかなりでれっとした表情を浮かべ、私が見ていることに気づいた彼は慌てて顔を引き締めていた。……しかし数秒後には笑っているリリィを見てまた笑み崩れていたので表情筋も彼の思う通りにならないようだ。



「俺としては可愛すぎて心配なくらいなんだ」


「ううむ、そうだな。男共が言い寄ってくる美女になるだろう。エクトル、しっかりと蹴散らせ」


「当然だよ」


「……何の話をしてるんですか」



 エクトルとジャンはすっかり気の合った様子で妙な話し合いをしている。イルナがリリィを抱きたがったので彼女に一度預け、私たちは休憩も兼ねてテーブルへとついた。



「リリィが心に決めた相手は追い返しちゃだめですよ」


「……分かってるよ」


「こいつくらいしっかりした男じゃないと任せられんぞ」



 その言葉に食い入るようにジャンを見つめた。彼はエクトルを信頼していると口にしたようなものだからだ。

 それがとても嬉しい。人付き合いに不器用で本音を隠してばかりのエクトルの理解者が、私の親代わりであるジャンであることが、本当に。



「リリィなら大丈夫ですよ。私と同じで人を見る目があります」


「……そうか」



 ジャンにはそれだけで伝わっただろう。私の予想線を見る目は、娘にも受け継がれていることが。

 魔法の話は出来ないままだし、そこまで巻き込むつもりはない。けれど私を娘のように可愛がってくれた彼は、リリィも孫のように可愛がってくれるだろう。それくらいは知っていてもらいたいと思ったのである。



「私がエクトルさんを見つけたように、リリィも素敵な人を見つけますよ」


「…………そうか」


「…………なんで不満そうなんですか?」


「それとこれとは話が別なんだ」



 照れ隠しに作り笑顔を浮かべているエクトルとは対照的に、ジャンは深々と頷きながら不満の色を伸ばしている。

 エクトルのことは認めてくれていて、気に入ってもいるはずなのだがどういう反応なのだろうか。



「まったく、男親ってのは仕方ないねーリリィちゃん?」


「うー?」



 さすが妻であるイルナは夫のことがよく分かっているようで、リリィの顔を覗き込みながらそんなことを言っていた。それが聞こえたジャンは頭をガシガシと掻いてそっぽを向く。どうやら少し恥ずかしがっている、というのは彼の感情の色で分かった。



「何年も先の話を心配したってね。ほら、あんたもリリィちゃんを抱っこさせてもらったらどうだい? 私は食事の支度をしてくるよ」


「ああ、私も手伝います。エクトルさん、ジャンさん、リリィをお願いしますね」


「おう。……ほーらリリィちゃん、じいじと呼んでもいいんだぞー」


「あはは。まだ早いよ、ジャンさん。俺がお父さんって呼ばれるのが先だから」



 誰も彼も気が早いものだ。リリィが意味のある言葉を話すのもまだだと言うのに、何故こうも将来の結婚相手の心配をするのやら。


(十数年は先の話だろう……と思っていたんだけどな)


 リリィが五歳になった年の春。その出会いは起こった。

 


「おまえ、わたしの妃になれ」



 父親そっくりの悪戯っぽい表情を浮かべた黒髪黒目の王子様は、初対面の娘に向かってそのように言い放ったのであった。



 

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