第40話
「お初にお目にかかります。宮廷薬師兼、第一王子専属相談役のシルル=ベディートと申します。イージス殿下にご挨拶を申し上げます」
薬師塔でソフィアを迎えた時と違い、すれ違いざまに興味を持った貴族が声をかけてきたという状況だ。そして声をかけられたのは私だけのため、エクトルは一言も発することができない。ここは私が一人で切り抜ける必要がある。
名前が間違っていたら首が飛ぶ程の失態だが、相手はイージスその人であったようで彼は興味深そうに片眉を上げた。頭上にも
「……ほう。お前が兄上の相談役という平民か。離れの塔にこもっていると聞いたが何故ここに?」
「今日はカイオス殿下の毒見役を賜っておりました」
「何、毒見役だと?」
驚きと、そしてほんの少しの
(……つまり、この方はカイオス殿下の食事に毒が入っていることを知っていた)
そしてそれを毒見した私も死ぬと思っているのだ。しかし使われた毒の種類までは知らないのだろう。あれは直ぐに症状が出る毒だったから、それが効いていたら今頃私はここにいない。
「毒見役までこなすとは大した忠誠心だ。これからも兄上のために励むように」
「……ありがたきお言葉を賜り、光栄にございます」
イージスはその後、私から興味を失くして別れの挨拶を切り出すこともなく去っていった。もうすぐ死ぬ者に関わる意味もない、ということだろうか。
直接手を下している訳ではないが、カイオスが消えてくれればいいとそう考えている。だから自分の支持者たちがカイオスに何をしているか知りながら、静観しているのだ。あまりいい性格とは思えない。
「……帰りましょうか、エクトルさ……大丈夫ですか?」
「……ああ、うん。大丈夫」
イージスの姿が見えなくなって立ち上がり、振り返ったらエクトルの表情が険しかった。声をかければいつもどおりの作り笑いになったけれど、私に感情を隠すことはできない。
「大丈夫じゃありませんよ、帰りましょう。帰ったら思いっきり抱きしめてあげますから物騒な気持ちは収めてください」
エクトルが咽た。そして藍鼠色の線も消えた。「いや、大丈夫だから気にしないで」と言いつつ、期待するように橙色が伸び縮みしたり、自制するようにそれが徐々に短くなっていったり、茜色が現れて消えたり、忙しない心の様子が見て取れる。こういう心の動きを見ると、この人は本当に私のことが好きだなと実感してしまう。……いや、色を見て充分知っているのだけれど。
私の言葉や行動は、容易く彼の心の色を変えてしまう。苦しみや悲しみを明るい色に塗り替えることもできるが、その逆もまた然り。私はこの人を幸福にも不幸にもできてしまう。
(……私がこの人を不幸にすることだけは、したくないな)
だから私は気を引き締めて生きていこう。エクトルを幸せにできるのはきっと、私だけだから。
扉番からランプを受けとり、薬師塔へ帰るまでの道でエクトルはとてもそわそわしていた。もちろん顔には出ていないが、橙色の線が妙に伸びたり縮んだりしているのである。私にとってはとても分かりやすい人なので、再びこみあげてきた笑いを噛み殺す。……戻ったら本当に抱きしめてあげた方がいいだろうか。
「食事が届く前に温かいお茶の準備でもしましょうか。落ち着く効果があるものがいいですね」
「そうだね、そうしよう。……俺も落ち着きたいなーって思うし」
いまだに心が落ち着いていないエクトルの冗談っぽい調子の言葉に頷いて、リラックス効果のあるお茶を淹れることにした。
私の治癒魔法自体に精神作用はないが、私が作った物の効果は高まりやすい。私が作った茶葉のリラックス効果なら高い、はずだ。
「ああ、やっぱり……落ち着くなぁ」
「それはよかったです」
実際、落ち着きがなかったエクトルの予想線は穏やかになっているので効果があったのだろう。
私が見ている予想線は常に動き続けているが、感情色の動きは心の動きであるため、本人が落ち着いていれば緩やかに、そうでなければ激しく伸びたり縮んだりして見える。いつも通りの色が並び、激しい動きも見えないから今のエクトルは平常、ということだ。
イージスのことも話しておきたいが、今はまだ藍鼠色が伸びてしまうかもしれない。まずはカイオスについて、思いついたことを相談したいと口を開いた。
「今日の毒見は……カイオス殿下の御心にも負担をかけてしまいましたね。罪悪感を覚えていらっしゃったので」
「ああ、うん。カイオスは……君に毒を食べさせる気はなかったはずだよ。毒見は形式的なもので、君に豪華な料理を食べさせる口実というか……褒美の一種のつもりだろうから」
……そうか。私は苦行の一種だと思っていたのだがあれは褒美だったらしい。たしかにご馳走だったが、平民の中でもさらにただの庶民である私の心臓と胃に優しくない環境で味も分からなくなりそうだったのでまさか褒美だとは思っていなかった。
そして毒見をやらせているつもりがないなら、カイオスは私の力について誤解している可能性が高い。
「カイオス殿下には私の力についてお話しした方がいいと思うんですが」
「……色が見えることかい?」
「はい。殿下は私の力を……出会った頃のエクトルさんみたいに、もっと便利なものだと勘違いしていらっしゃるのではないでしょうか」
私たちが初めて一緒に森に入った時のことを思い出す。危険が分かる力だと思って気楽に考えていたエクトルと、護衛が居るからと油断していた私の前に魔獣が現れた。あの時は私がエクトルを信用しきれていなかったから仕方ないのだが、認識のずれがなければ回避できる危険だったと言える。
カイオスも同じだ。話しておけば避けられる事態というのはあると思う。私はカイオスの人柄を知っていて、彼を信頼できる主だと思っている。予想線の力を話すことにためらいはない。
「君が決めたならいいとは思うんだけど……」
「……少し嫌そうですね。何が嫌ですか?」
ほんの少しだが赤紫色と浅葱色が伸びた。ほんのりとした不満と、この場合の浅葱色は嫉妬というより独占欲だろうか。すぐに押し込められるような動きで消えてしまったのでエクトル自身もその感情をよくないと思って抑えたようだ。
「……ごめん。ちょっと羨ましいと思っちゃって……俺は偶然知った形だけど、カイオスは教えてもらえるんだなってさ。くだらないよねぇ」
「貴方の気持ちをくだらないとは思いません。絶対に」
自分の気持ちなんて考慮する必要はない、と思っている節が彼にはあるのだろうか。だからこそ自分の感情を殺してしまえるのか。そうだとすれば悲しい。きっとそれは、周りに自分の感情を顧みてもらえないことが多かったせいだ。
エクトルは片手で口元を覆って橙色を伸ばしている。よく心の声が口からそのまま漏れる彼だが、今回は出かかったそれを押し込めることに成功したらしい。何を言いかけたのかは普段漏れる言葉から大体想像できるけれど、咳払いで誤魔化した彼はにこりと笑って見せた。
「ありがとう。君は、ずっとそうだったね。俺、最初は君のそういうところに興味持ったんだよ。……いや、好意だったのかな。いつから君のことが好きだったか分からないけど」
「そうですね……初めて森の採集をした翌週には、恋の色がありましたよ。短いものでしたけど」
懐かしい話だ。あの時のエクトルにあったのはまだまだ短い、憧れに近いくらいの淡い恋心だった。それが今や天井を突き抜けて室内にいると上限が見えない程に長く成長しているのだ。
あの時私はエクトルの恋の相手が自分だとは思っていなかったし、その恋が成就しないだろうと思っていた。人生何があるか分からないものだと思う。
「えっそんな頃から? なんだか恥ずかしいなぁ。その頃から君が好きだって知ってたのかい?」
「いえ、それに気づいたのは……エクトルさんが自覚した時ですね」
「……そんなことまで分かるんだ。やっぱり君の力はすごいな」
すました顔で笑っているが耳の先と頭上に薔薇色がある。私が頭上を見ていたせいか、薔薇色がさらに伸びた。エクトルは結構恥ずかしがるというか、照れ屋なところがあるのだ。……私限定の反応かもしれないが。伝わっているのが分かっているのに顔に出さないようにしてしまう、そんな不器用な人。見ていると自然と頬が緩んでしまう。
「うん。君の力のことをカイオスに伝えれば危険が少なくなるっていうのは俺も同意だよ。ただ、アイツは鋭いから君の魔法のことに気づいてしまうんじゃないかって心配もあるかな」
「ああ、そうですね。私が魔法使いであることは……私達だけの秘密ですから」
橙色の線が「私達だけの秘密」という言った途端に伸びていった。とても分かりやすい反応をする人である。
彼の言う通り私が魔法使いであることをカイオスに気づかれる可能性は高いだろう。いや、むしろカイオスならばもう薄々勘づいているかもしれない。何の魔法使いであるかまでは知らないだろうが、私が魔法使いである、少なくともその血を引いていると気づいていてもおかしくはないと思う。だからと言ってそれを確認したり、教えたりするつもりはないが。
そして、あの王子様なら私が直接伝えない限り気づいていないフリをしてくれるだろうという信頼感があった。私が攫われて事件になるまで、あの薬屋で生きていけるよう放っておいてくれたように。むしろ裏で色々と手を回し、秘密裏に隠し事を手伝ってくれる気さえする。だから、カイオスになら安心して予想線の話ができる。……その分ちょっかいをかけられる予感はするが、そこは秘密を黙っていてもらう対価と思って飲み込もう。
「カイオス殿下なら察しても気付かないでいてくださるかと」
「うん、そうだろうね。……でもなんだろう。君がカイオスを信用してるのは嬉しいんだけど、ちょっと複雑だなぁ」
親友を信頼されるのは嬉しいが、婚約者が自分以外を深く信じているのは妬いてしまうらしい。そういう色の動きを見ながら全く仕方のない人だ、と思う。彼の心の動きは表情と違って本当に素直で分かりやすい。
「殿下にお伝えするのはエクトルさんのためでもありますよ」
「……俺のため?」
「はい。あの方は貴方の大切な親友でしょう? エクトルさんの心を守るためにも、カイオス殿下の危険はできるだけ退けたいと思っています。……私は誰よりも、貴方を幸せにしたいんですよ」
カイオスは信頼できる主だが、エクトルの大事な人だからこそ私も出来る限りのことをしたいのだ。予想線が見えることを自ら話すなんて普通なら絶対にしないのだから。
(あ、橙色が伸びてる。もう嫉妬はなくなったかな)
以前、危険を冒すのは俺のためなのかと尋ねてきた時は私への興味を失いかけていたのに、今は橙色を伸ばして喜んでいるのだから不思議なものだ。あの時私が「貴方のため」だと答えていれば、彼とこんな関係にはなっていなかったのではないだろうか。
エクトルのためならば何でもやろう、という気持ちになったのはいつからだったか。やはり、この城で暮らすようになってからだろうか。彼の恋の色が伸び続けるのと同じように、私の気持ちも深く大きくなっているのだろう。自分の線は見えないけれど、それは確かであると思えた。
そしてエクトルはといえば片手で目を覆い隠している。今日の彼は酷く動揺したからか随分心が乱れやすいようだ。
「……俺もシルルさんを幸せにしたいと思ってます……」
「私はもう、充分幸せですが……もっと幸せにしてくれるんですか?」
「そうなるよう、ずっと努力する。俺だって、君の幸せを望んでるんだよ」
呟かれたその言葉に笑みがこぼれる。お互いがお互いの幸せを望んで行動するなら、きっと悪い未来にはならない。もし何かあったとしても共に努力すれば乗り越えられるだろう。
その時丁度、外から食事が届けられた合図のベルの音が聞こえてきたので、遅めの夕食の支度をすることにした。
すっかりお腹も空いていたので温かい料理がとてもおいしく感じる。カイオスとの会食で出てくる料理は豪華で高級そうだが、私はやはりエクトルと二人で食べる方が美味しいと感じてしまう。王族に対しては不敬かもしれないが、私にとって気の置けない存在というのはこの人だけなのだ。
その時間は楽しく過ごしたかったので食事がまずくなりそうな話は食器を片付けた後に切り出した。
「イージス殿下のことですが……あの方は、知っていましたね。食事のことを」
「……ああ、やっぱり。君がそう言うなら、間違いないね」
カイオスが毒殺されそうになったり、暗殺されそうになることは珍しくないらしい。その度にイージスからは見舞いの品が届くのだが、様々な事情で内密に片付けたはずの事件でも見舞いが贈られたことがあるという。王族はお抱えの密偵を抱えていることも多くどこからか情報を得ていてもおかしくはないが、エクトルはイージスをずっと信用していなかった、と語った。
そして彼の頭上に嫌悪や敵意が見え始めたので直ぐに話題を切り替える。やはり第二王子の話題は不穏になってしまってよくない。
「カイオス殿下と秘密のお話をしたい時はどうすればいいでしょうか?」
「ん、ああ、俺が話を通しておくよ。喜んで飛んでくる気がするけど」
そんな、まさか。と言おうとしたがあのやんちゃな王子様ならあり得なくもない。開きかけた口をつぐんだ私に「そんなに嫌がらなくても」とエクトルが笑う。私はカイオスを信用しているし、悪戯心に振り回されはするが根は善人であると知っていて、その性格を嫌ってはいない。ただ、何やら考えているらしい楽しそうな予想線とそれを顕わにする笑みを思い出すと――。
「嫌な訳ではないんですよ。……ちょっと胃が締め付けられるだけです」
「カイオスはシルルさんを気に入ってるからなぁ。あと多分、ソフィア妃殿下も」
王族に気に入られるとはなんと
まあ、とりあえずカイオスに話ができる目処は立ったのでよしとする。今日は色々あって疲れたので早めに休もうという話になった。
薬師塔の戸締りや侵入防止策の仕掛けなどを確認して回ったあとは、私の部屋の前でおやすみと言って別れるのが習慣なのだけど。
「じゃあ、おやすみ。俺は隣にいるから、安心してね」
そう言って笑うエクトルの頭上に、ほんのりと寂しさの色が伸びる。しかしこれは毎度のことだ。同じ建物内に住んでいて専属の護衛でもあるのだから、ほとんどの時間を一緒に過ごしているはずなのにそれでも寂しくなるらしい。……一緒にいる時間が長いからこそ、寂しいのかもしれないが。
そんな彼の色を見ているとふと、やると言ったのにしていないことを思い出した。有言実行は大事である。思い出したからにはやっておこう。
軽く手を振って私が部屋に戻るのを見届けようとしているエクトルの背に腕を回し抱きしめた。できる限り力を込めてぎゅっと。もう忘れているかもしれないが、帰り道では期待していた様子だったので喜んでくれるはずだ。
「帰ったら抱きしめるって言ったのにしてませんでしたからね。……おやすみなさい」
見上げるとエクトルの笑顔も予想線もピクリともせず固まっていたので、ちょっと効きすぎたようだと思いながらそのまま離れて部屋に戻った。私が居ない方が落ち着きやすいだろう。
そして扉を閉めて入浴の準備でもしようと浴室の方に一歩踏み出そうとして、突如上から現れた桃色の線に両断されそうになり、短く悲鳴を上げて体をのけぞらせた。
「シルルさん! どうかした!?」
「あ、いえ! ……問題ありません」
前にもこんなことがあったな、と思い出す。攫われた私をエクトル達騎士団が救出してくれた日の、宿屋でのことだ。
私がエクトルと別れて扉を閉めた後、線が飛び出てきたことに驚いて声を上げた。あの時よりもずっと長い桃色の線は部屋の壁から出て反対の壁を突き抜ける程であるため、勢いよく降ってきて斬られそうになったのだ。物理的に干渉するものではないから、本当に斬られる訳ではないのだけど。
(……まだ扉の前でしゃがんでる)
私を両断しそうになった線は、エクトルが心配して声をかけてきた時は彼が顔を上げたのか一度見えなくなったものの、今はまた部屋を一直線に突き抜けている。
エクトルは私の前で顔を隠しはするが、蹲る姿を見せたことはない。ちょっとだけ扉を開けて覗いてみたい気持ちになるけれど、彼が見せないようにしている姿なのだとすればいけないことだと思い留まった。
(本当に、まったく……愛おしい人だなぁ)
触れられない恋の色をそっと指で撫でて、笑う。熱もないはずのその線に触れた指が温かくなったように感じた。彼が私に夢中なのか、それとも私が彼に夢中なのか。私の予想線が見えれば、同じように長い恋の色があるのだろうか。
感じていた疲れはいつのまにか吹き飛んだようで、私は気分よく入浴を済ませ、心地よく眠ることができた。
――ただ、エクトルはあまり眠れなかったようだ。と知るのは翌朝顔を合わせてからである。
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