第22話
両親が死んでから、誰にも知られたことがなかった秘密だ。私が治癒の魔法使いであることは、ジャンですら知らない。
エクトルを助けるために力を使ったことは後悔していない。けれど、その後のことは考えていなかった。
「君が、魔法使い」
エクトルは傷が癒えた己の右腕を呆然と見つめながらそう呟いた。魔法使いは、絶滅危惧種で。人に知られたら、平穏には生きていけない存在だ。
彼なら、お願いすれば黙っていてくれるとは思う。でも、本当にそうだろうか。魔法使いの価値に、人は目がくらむのだとずっと思っていた。知られたら誰かに捕まって売り飛ばされるかもしれないし、人の身に余る力を気味悪がられるかもしれないし、逆に祀り上げられてしまうかもしれない。それはどれも、私が望む生き方ではないのだ。
(……怖い)
彼の傷を治したことは後悔していないのに、知られてしまったことが急に恐ろしく思えてくる。エクトルが酷いことをするとは思えないのに、何故か頭の中では彼がカイに私のことを伝え、治癒魔法使いなら話は別だと監禁される未来が思い浮かんでしまう。
「秘密ですよ、他に誰も知りませんから。カイ様にも言わないでくださいね。知られると困ってしまいますし、私は」
次にエクトルが何を言うのか聞きたくなくて、矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。声が震えないように、恐怖を悟られないように、出来るだけ明るい笑みを浮かべて、明るい声で。
「ねえ、シルルさん。そんな顔で笑わないでよ」
私の言葉を遮るようにそう言ったエクトルは、とても悲しそうな顔に見えた。同じ感情の色も見えるから、彼は悲しんでいる。そして何より強い感情が、不安と心配の藍色――この場合、私への心配、だろうか。
「俺は絶対に誰にも言わないよ、だからそんな顔しないで。お願いだから、俺から距離を取らないで」
「……私は……そんな、つもりは」
「じゃあ……隣に座って、話してくれる?」
いつの間にか腰を浮かせて、いつでも立ち上がれるような姿勢で身構えていたらしい。私が逃げ出しそうに見えたのだろう。
彼の頭上に見える色に、悪意はない。それでもまだ、どこかで怖いと感じている。魔獣の死骸から離れ、敷物に戻って隣に座ったものの、少し距離を開けてしまった。
「君の秘密は守ると約束する。俺は約束を守るよ、騎士に二言はない」
「……そう、ですか」
「もし俺が口を滑らせて、誰かに知られたならそいつを殺してもいい」
「は……?」
空耳だろうか。今、恐ろしい言葉が聞えたような気がする。そっと彼の顔を見上げてみると、とても優しい顔で笑っていた。そんな顔で、放つ言葉ではなかったはずだ。彼には私を心配する色が長く見えるから、安心させようと冗談でも言ったつもりなのだろうか。
「君が人に知られることに怯えるような秘密なんでしょう? そんな力を使って俺を助けてくれて、ありがとう。……だから俺も、それくらいの覚悟で秘密を守るよ」
ああ、これは本気だ。エクトルは本気でそう言っている。もし口を滑らせることがあれば責任を持ってその相手を消すつもりだと、それくらいやっても秘密は守るから私に安心してほしいと、そう言っているのだ。その言葉に強い意志を感じて、こくりと喉が鳴った。
「別に、そこまで……しなくても」
「だって君が……俺に、怯えてるから。俺は君の敵には絶対にならないって、信じてほしい。君にそんな顔をされたら、俺は苦しくて仕方がない」
悲しみと苦痛の両方を抱えている彼を見て、心が迷う。本当に信じてもいいのだろうか。エクトルなら大丈夫だという気持ちと、それでも疑いそうになる気持ちのどちらもあって、上手く言葉が出てこない。親にずっと怖いことだと教え込まれたこともあるだろうし、初めて知られてしまったという混乱もあるのだろう。気持ちが、まとまらない。
「ジャンさん、だっけ。君が魔法使いだってことはあの人も知らないのかな?」
無言で頷くと、
「せっかく俺しか知らない秘密なんだから、絶対誰にも言いたくないなぁ……なんてね。それは冗談だけど、本当に誰にも言わないから、安心してよ。ね?」
茶化してみせているが、本当にそう思っている時こそ、冗談っぽく言葉にするのがエクトルという人間である。場を和ませたいという気持ちもあったのかもしれないが、それは本音が滲んだ言葉だった。
そして、その頭上に一瞬伸びた浅葱色は――あまり、いい印象がない色だ。
(嫉妬か、独占欲か、執着か……そのあたりの感情だと思うんだよなぁ、あれは)
あまりにも重たい恋心を抱えた女性は、恋の色と共にこの色を持っていることがある。そういう彼女たちの相談事は決まって、どうすれば彼を自分だけのものにできるかというもので、下手すれば閉じ込めてしまいたいとまで言い出す者もいて。……つまり、好きを拗らせて病んでいるような人間に見かける色である。
その浅葱色は直ぐに消えてしまったけれど、エクトルはそういう気持ちを一瞬抱いていた。だから私の秘密を誰にも話す気がないのは、本当なのだろう。
(あの色があったから……誰にも言わないつもりなのは、信用できる)
先の過激な発言も心底本気だ。浅葱色は、そういう感情色である。だが、だからこそ彼は本気で隠してくれるだろうし、それで秘密が漏れないなら人命にかかわる問題も起きないはずだ、と思う。
彼が信用できる性格で良かったと肩の力は抜けたものの、対応を間違えると恋心を拗らせる人だということもハッキリ分かったので、違う意味で頭を悩ませることになった。……そういう人だからこそ絶対に秘密は洩らさないだろうという安心感はあるのだが。別の意味で不安というか、なんというか。
(うん。でも、もう怖くない。少なくともエクトルさんは、大丈夫)
私が魔法使いであることを利用して何かをしようとする人ではないのだと、信じられただけで充分だ。ちょっと、掘り起こしてはいけない感情を刺激してしまったような気はするけども。そちらは、私の秘密が知られることに比べれば些細な問題だろう。……多分。
安心したら今度は、彼に傷を負わせてしまったことがとても申し訳なくなってきた。私が予定外の行動をしたから未来が変わり、魔法がなければ彼は命を、助かったとしても右腕を失うところだったのだ。責任を、感じてしまう。
「……腕、痛かったですよね。ごめんなさい」
「君が謝ることじゃないと思うよ?」
「いえ、私が予定外の行動をしたので未来が変わってしまったというか……お弁当を開けたから、近くにいた魔獣が匂いにつられて寄ってきてしまったんでしょうね」
たまたま昼間に活動している魔獣が近くにいて、それがしかも嗅覚の鋭い狼の魔獣だった。そして魔獣は魔法を使えないが、魔力の耐性はあるのでシュトウムの花にも惑わされない。魔獣には私たちの姿がはっきり見えているのに、エクトルには魔獣が見えないという最悪の状況に陥った。本当に、運が悪い。
「君の予知はそこまで便利じゃないって言ってたもんね」
「はい。行動を変えれば、未来はいくらでも変わりますから。やっぱり、予定外の行動はするべきじゃありませんでしたね。ここでお弁当を食べたらいいだろうなと、思ったんですけど……」
「俺も同じことを考えてたよ。だから、君だけのせいじゃないし、悪かったのは運だと思う」
怪我をした当人であるエクトルに慰められてしまうのがいたたまれない。せめて表面上だけでも、あまり気にしないようにしようと思う。
色々あったので食欲が失せてしまった。特に視界の端にちらちらと映り込む、狼の死骸と赤く染まった花のおかげで全く空腹を感じない。時間的にはとっくに昼食の時間なのだけど。
「……採集地に戻ってお昼にしましょうか」
「ここで採集しなくていいのかい?」
「それは……」
なんというか、流石に悪い気がする。魔獣の死骸も転がっているし、もしかしたら別の魔獣も寄ってくるかもしれない。そうしたらまた、エクトルは怪我をしてしまうのではないだろうか。……今のところ、怪我の予想線は見えないけれど。
「今は白い花もしっかり見えてるから、大丈夫だよ」
「え?」
「君が魔法を使ってくれたから、かな。今なら何か襲ってきても、君をちゃんと守れる」
治癒魔法をかけたら魔力耐性もできるのかと驚く。時間が経てば消えてしまうのか、ずっと続くのかも分からない。親以外の他者に使ったことがないから、知らなかった。
「シルルさんが楽しみにしてた場所だし、ちょっとした事故はあったけど俺としては最後まで楽しんでほしいっていうか」
「ちょっとした事故、ですか」
「うん。君は責任感が強いから、俺を怪我させてしまったのが気になるだろうけど……俺は結構喜んでるし?」
魔獣に腕を噛み千切られそうになったのはちょっとした事故で済む問題ではないと思うが、エクトルは本当に気にしていないらしい。喜んでいるのも、色を見れば事実だとわかる。……喜ぶべきところなんて、あっただろうか。ちょっと、というかかなり脱力してしまう。やっぱりこの人は、変な人だ。
それでも、やはり今は気が引ける。だから無言でうなずいた後、シュトウムの株を数本引き抜いて、戻ってきた。
「もう終わりで、いいの? ここ、珍しい薬草の群生地、なんでしょう?」
「はい、そうなんですけど……今回はこれだけで」
「そんなに少しだけじゃなくても……ん? 今回は?」
そう、今回は、である。シュトウムの花を使えば、この花に抗うことができる専用の気付け薬ができるはずだ。それがあれば、エクトルが花に惑わされてしまうこともなくなるだろう。
今度こそ、万全に。絶対に怪我などさせないようにするから、その時は。
「これでシュトウムの幻覚を消す薬を作りますから……それができたら、また一緒に来て、くれますか?」
今日はもう、採集を楽しむ気にはなれない。けれど、怪我をした本人であるエクトルがそうして欲しいと望んでくれるから、次回を考える気にもなれたのだ。
そっと窺うように見上げたはちみつの瞳は、驚いたように少し見開かれた後、ゆっくり逸らされていった。
「……ああ、うん、もちろんだよ」
その声はいつも通りに聞こえたけれど、予想線は歓喜で跳ね上がっていたので私の提案は心から喜んで受け入れてもらえたようだ。恋の色がまた伸びたので一段と好かれてしまったのは予想外だったが、まあ、これは予想できるものではない。私などを好きになるエクトルのツボはよく分からないのである。
「えーと……その、狼の処理をしたら戻ろうか」
「ああ、それは多分、大丈夫です」
すこし耳を赤くしたまま何でもない顔で首を傾げるエクトルに、シュトウムのとある性質について話す。
通常、シュトウムの幻覚作用は生き物を近づけないためにある。しかし、弱っている生き物は逆に引き付けられてしまう。そして、引き寄せられた者はシュトウムの花畑の中で力尽き、眠りにつくのだが。
「それを素早く養分として取り込みます。シュトウムの上で暫く動かないものがあると、根がせり出てきて……」
「……うわっ」
私は魔獣の死骸に目を向けないようにしていたが、エクトルはそちらの方向を見て声を上げた後、張り付けるように笑みを浮かべた。きっと死体に根を張ろうと動き出した魔の花が見えたのだろう。
「……ここでお昼を食べる気には、なれないね、確かに」
「はい。だから、今日は戻ってお昼にしましょう」
「うん。そうだね」
次に来る時には狼の姿は綺麗に消えて、シュトウムの花が増えているに違いない。エクトルが湖の水で腕に残る血を洗い流している間に広げていた敷物などを鞄に仕舞う。
帰り道は行きで木につけた印を辿って歩けばいいので、楽だ。印を見落とさないようにあたりをしっかり見ていれば迷わない。
採集地に戻ったら今度こそ、予定通りに昼食とする。以前よりも具材に幅のあるサンドイッチを見たエクトルは嬉しそうにそれを口にしていて、ほっとした。
「うん。やっぱり君が作ってくれたのが一番おいしい」
「これが好きだというので、色々と用意したんですけど……喜んでもらえたようで、よかったです」
酷い目に遭わせてしまったが、彼が気にしておらず、喜んでくれているならよかった。今日の私たちは遊びに出かけたのだから、せっかくなのだし楽しまなければ。
揚げた肉を具に挟んだものをかじりながら、これは正解だったなどとのんきに考えていた時のことだ。エクトルが思い立ったように顔を上げて、こう言った。
「シルルさん、俺と結婚しない?」
「んぐっ」
色々すっ飛ばしすぎだろう。驚いた私はサンドイッチを思いっきりのどに詰まらせた。
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