第46話

何故かその日はいつも通りの朝といった感じで、特段緊張する訳でもなく、たんたんと仕事をこなす自分に恐怖すら感じるほどだった。12月31日、ご存知の通り大晦日という訳だが、日本の音楽業界に生きる者達にとって、この上なく重要な日と認識されているに違いない。日本レコード大賞が行われるからだ。


恐らく、日本の音楽賞の中で最も高名かつ名誉な賞であると思うし、異論はないと提唱する。数十年前から行われているという歴史の長さ、数々の名だたるビッグネームが名を刻む大賞のトロフィー、それら全てが音楽の端くれに生きる俺のような人間にとっては魅力極まりないものであるからして、本来その舞台に立つと決まった日には緊張すると思っていたが、上記の通り、かなりリラックスしていた。


どこからか来る漠然とした自信のせいである。新人賞の受賞対象として今回この名誉な舞台に立つことがかなったわけであるが、正直いってメディアは出来レースと口々に言った。


『今回最優秀新人賞を獲得するのは厳島裕二で間違いない』と


当人の俺からすれば迷惑千万なもので、同じく出場する同期とどんな顔して挨拶すればいいのかと眉を顰めた。ただ確かに自覚はあった、今回新人賞ノミネートの対象として選ばれた楽曲はデビューから2曲目の『SNOW XMAS』で、現在も音楽番組『ランキング・テン』において上位ランクインを記録するヒット曲であった。


この曲が受賞せずして何が選ばれるかと、宇治正さんも言うほどだ。大船に乗った気持ちというのもおかしいが、自然にこの楽曲に身を任せ、パフォーマンスをすれば確実に最優秀新人賞を獲得するのは夢じゃないと思っている。





46




雑誌の写真撮影が終わったのは午後3時で、撮影場所である名古屋から東京までは新幹線で戻ることになった。丸みを帯びた顔が可愛らしい車両に乗り込み出発まで暫し待つ。


「あ、あの厳島 裕二さんですよね」


「えぇ」


「さ、サインお願いできますか」


大学生くらいの年齢と思わしき女性がカセットテープ片手にサインを求めてきた、傍らにいる宇治正さんはどこか何食わぬ顔をしつつ鼻の下を伸ばしているが、女性は気にも止めていなかった。


「そう言えば、今日レコード大賞でしたね。これから出るんですか」


「まぁ、この後の予定に入ってまして。年末は家族と過ごしたかったんですが...」


「それはまぁ...芸能人って大変なんですね」


「はい、信じられないくらいに...」


他愛もない会話を繰り返しながら俺はカセットテープにサインを書いていく。今の時代、音楽を聴くといえば主流はレコードだが、カセットも普及しつつある。とりわけ、そういった需要はウォークマンなどの携帯型再生機を持っている人に限る。


「ありがとうございました。」


「いいえ、どういたしまして」


サインを書いたカセットを渡し、再び席に座る。女性は、なるべく気を使って声を抑えていてくれたのか、存外周りには気づかれている様子はなかった。


「もう、鼻の下伸ばすのやめてくださいよ」


「違うって、これはいつもの観察ってやつで...」


女性を目で追う宇治正さんを注意するも、言い訳に逸らされる。宇治正さんは、行く先々で若者を目で追っては芸能人として売れるかどうかということを吟味する癖があるため、傍から見れば変態と勘違いされることもしばしばある。その度に俺は彼に対して注意するのが毎度のお約束であった。


「疲れた...」


「これから日本レコード大賞なんだから、帰路は寝ときな」


「最初から...そのつもりですよ...」


だんだんと意識が遠のいていく。

これから向かう舞台に向け英気を養うため、俺は寝ることに専念した。


気がつくと、東京にいた。名古屋とはまた違った都会の景色にホッと息をつく。それと同時に若干のプレッシャーがじわじわと湧いてきた。

東京駅に着いた我々は新幹線を降りすぐさま駅前でタクシーを拾った。これから事務所に向かって準備を整える者、そのまま会場である帝国劇場へと向かう者、俺はどちらかと言うと後者であった。


駅でパニックになることを避けるため持参していた伊達メガネとマスクをかけつつ、タクシーに乗り込む、夕方近い東京は大晦日と言うだけあってか人集りも多く、新年に帰省するためキャリーバッグを転がす者もチラホラ見かけられた。


「ここからさほど会場は近くないから、今のうちに色々準備しときな」


「はい...といっても、何を準備すれば」


「ほら、例えば深呼吸を繰り返すとか...ま、とにかく準備っぽいこと」


「準備っぽいこと...」


その準備っぽいことをする時間もなく、直ぐにタクシーは帝国劇場へと着いた。地下駐車場へと向かう入口で警備員による検問が行われた後、料金を払って我々はタクシーを降りた。

楽屋へと向かう道中、宇治正さんは途切れることなく言った。


「ギター諸々は既に会場に届けるよう手配はしてあるから安心して、あと今日の衣装は日本レコード大賞仕様で白いスーツだから汚さないように。これは事前にも言ってあるけど、最優秀新人賞を獲った時に今の気持ちは?って質問されるから、あと記者会見あるから構えといて」


「はい」


「厳島裕二さんですね!!楽屋こちらです!!あぁ、そこ!厳島さん入られるからメイクさんに空いてるか確認しといて、では厳島さんこちらへ」


「はい」



かなり忙しい。それもそのはず、これから行われるのは2時間ぶっ続けの生放送、これほどの緊張感がなくては逆に心配になるほどだ。宇治正さんの注意事項を耳に入れ楽屋へと向かう。荷物を置き、宇治正さんと別れた俺はメイク室へと向かうこととなった。


楽屋が並ぶ廊下ではスタッフが交差するように移動しており、その中を掻い潜りながら向かうのは骨が折れた。


「厳島さん入られました、メイクお願いします」


「はーい」


スタッフに促され椅子に座ると、独特な風貌をした男性が近づいてきた。頭には大きな帽子をかぶり、細身のタイトなパンツを履いていた。


「お久しぶりー、厳島くん」


「あ、貴方は...ヘアーランウェイの」


「高峯よ」


現れた男性は随分と見覚えのある人物だった。以前デビュー直後に髪を切る際、宇治正さんに紹介してもらった美容師である。名を高峯さんといい俺の今の髪型を作り上げた創造主でもある。


「あの後、うちの店でも厳島くんの髪型にしてくださいって子が来てねぇ、色々と評判よ」


「それは、ありがたい限りで」


「正直いって、この髪型は私としてもかなりの大発明だと思ってるから中々普及してくれることは嬉しいものね...さてと、今日は私として全体的にファンデーションと眉を整える程度で済ましたいと思ってるんだけど、なにか要望は」


「なら、最近髪も少し伸びてきたので調整してもらえると有難いです」


「オーケー、やっぱこの髪型を作ったからには私に任せて欲しいわ」


そう言うと高峯さんは腰にささったシザーを取り出し、髪を整えていった。慣れた手つきでと言うよりも熟練の職人がごとく細やかかつスピーディーなカッティングに、周りにいるメイクさんも思わず凝視するほどであった。


「あれ、マサ」


「お、ユウくん」


ふと横に視線を向けるとそこには今しがたファンデーションを塗られている黒部雅隆マサがいた。


「日本レコード大賞か、いよいよ最後だな...」


「あぁ」


今年開催された様々な賞レースの最後を飾る日本レコード大賞が今まさに、行われんとする事にどこか感慨深く感じる。これで1982年も仕事納め、今年はさすがに紅白歌合戦に呼ばれることはなかったが来年こそ呼ばれるだろうと思っている。


「そう言えばマサ達はこれから紅白もあるんだっけ」


「あぁ、有難いことにな」


横にいるマサには正直先を越されたような気がしてならない。強力なライバルを横に俺は顔剃りへとうつった。顔に塗られる泡の感覚がくすぐったい、剃刀で剃られている時マサが言った。


「最優秀新人賞は、ユウくん。多分、君だから色々と受賞後のスピーチとか考えといた方がいいよ」


「まだ早いって、誰にでも獲得するチャンスはあるだろう?」


「いや、これだけは確実に言えるよ厳島裕二が取らずして誰が獲得するかって」


「...ありがと」


「なに、別に褒めてるわけじゃないんだ、俺だって正直悔しいんだぜ。圧倒的な実力の差をマジマジと見せつけられてんだからココ最近」


「謙遜したいけど...素直に受け取ってくれないんだろマサ」


「あぁ、ユウくんに謙遜されちゃ惨めに思えてくるからな」


見えない視界、横から聞こえてくるその友人の声に深くため息を着く。ここ最近、日本レコード大賞が近いと会ってかメディア各種は受賞者の予想を始めた。受賞者の中にはもちろん納得の名前が上がるばかりであったが、最優秀新人賞を獲得する人物にほとんどのメディアは俺の名を挙げた。


『圧倒的に厳島裕二が獲得する他考えられない』と言わんばかりの予想に、当の本人からしてみれば迷惑千万、極まりなかった。


「最優秀新人賞ねぇ...」


俺は若干の後ろめたさを感じながら、舞台に立つまで分からぬ曖昧な感情と感覚に再びため息を着いた。その複雑な心境は、メディアの予想による影響が、日本レコード大賞の選考に大きく作用しているのではないかという懸念から来るものだった。

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