第14話

「やむ気配は…無いね」


「折りたたみ傘の大きさで十分対応は出来そうですけど…これじゃたぶんレコーディングに影響出ますよ」



山手線の特徴的な黄緑色の車両から降り、着いた先は新宿駅。伝言板を頼りに宇治正さんと無事落ち合うことが出来た俺は未だに止む気配のない大粒の雨を降らす雨雲を見上げた。


今日はレコーディング日、ただ運も悪くあいにくの雨天で湿度が高い。以前、藝大で録音をした際に作曲科の中留教授から、レコーディングする日はなるべく湿度のないカラッとした日が最適だといわれていたため若干不安が残る。



「湿度高いですけど…大丈夫ですかね」


「まぁ大丈夫かな…ギターとか木製の楽器はコンディション変わっちゃうから無理だろうけど、今日は声だけの録音だから」



デビュー曲、残る作業は声の録音だけとなった。

今日のために喉の調子や鼻づまりをしないよう体調面を整えてきた。あれほどのど飴を舐めたことは今までで一度もない。



「じゃあ、行こうか」


「はい」



我々は雨が打ち付ける新宿の街に消えた。





14




たどり着いた先は大きなスタジオだった。

青い外観が特徴的で、見た目は体育館ぐらいの大きさの倉庫のようだ。



「ここがうちが所有する新宿W&Pレコーディングスタジオ」


「凄いですね…」


「あぁ、昔はこういったのを建てられる余裕があったんだけどね…今は狭い事務所で精一杯生きながらえてるけど…」


「ここに事務所は入れられないんですか?」


「ここは他の事務所の歌手も使用するから事務作業には不向きでね」


「なるほど…」


「じゃあ、行こうか」



折り畳み傘を傘立てに入れ、スタジオの中に入る。

内部は外観の無骨な倉庫とは違ってしっかりとした作りであった。



「広い…」


「でしょ、このレコーディングスタジオも元々ホワイトバルーンのためにあったんだけどね…」


「なるほど…スタジオはどこです」


「Dスタジオ」



そう言われてもここに来るのは初見中の初見なので宇治正さんに案内してもらう他なかった。

たどり着いたスタジオにはすでに音響スタッフの方や、社長がおり、大勢の大人に見守られながらレコーディングをしなければならない空間が既に形成されていた。



「じゃあ、どうしようか声出しは必要?」


「した方がいいですか?」


「おまかせするよ」


「じゃあ…大丈夫です、もう時間的に声も十分でますし」



現在時刻11:30、時間を理由に声出しは断ったが本音を言うとこんな大人の前で声出しなんかしたくないという恥ずかしさ故である。



「じゃあ、行こうか」


「はい」



ブースに入りマイクの前に立つ。

ヘッドホンを耳に当て、傍らにある譜面を確認する。



「じゃあ、本番行きます」



ヘッドホンから音源が流れてくる。

いつ聞いても素晴らしい演奏だ、シンセサイザーがいい味出している。


俺はイントロが終わったと同時にゆっくりと吸っていた呼吸を声に変換した。

・・・

・・



今回厳島くんが作詞作曲を務めた『東京ロープウェイ』という楽曲は、一番のシンセサイザー 二番のアコーディオンの音色が印象的といえるポップな曲だ。

大抵、アイドルの曲といえば俗にアイドル歌謡と呼ばれる若い世代に向けた音楽で、大衆的かつ無類の音楽好きにとっては物足りないものであるが、この曲に限ってはその心配は無用と言えるだろう。


惹き付けられるようなリズムとともに恋愛的な歌詞を少なめにした曲であるが故に、毛嫌いする人は少ないと思われる。ただ、正直いって心配なのはアーティスト路線を走ってしまうことだろうか。

まだ厳島くんには話していないが彼は事務所の方針としてアイドル路線で売り出していくことに決まった。アイドルの方が若年層かつ根強い固定ファンが着きやすく、レコードの売上も一定をキープし続けられる、言わば業界で生き残るためには無難な選択なわけだ。


それにアイドルという殻をひとつ破って海外進出し成功を打ち立てるというのも話題性が大きい。

そのためにもまずは容姿をより磨かなくてはならない。


私はスタジオをでると、固定電話を借りてとあるサロンに電話をかけた。






「…はぁ」


「お疲れ様」


「はい……お腹空きました」



14:01 ようやくレコーディングが終了した。

納得いかない部分を何度も録りなおしていたせいか、気づかないうちに2時間半も経過していた。

あいにく、レコーディングのために昼食は食べていないためいま腹の中がペコペコである。


社長は知らぬ間に昼食をとりに行ったみたいだし、音響スタッフさんも既にレコーディングの前に食べてしまったので、俺と宇治正さんで何処か手頃な店に行くことにした。


たどり着いた先はどこか懐かしい雰囲気のある洋食屋だった。店内に入ると少し狭いものの、小綺麗な感じがして落ち着く空間だった。


宇治正さんは慣れたように席に座るとメニューを取り出した。



「何にする?」


「え…えーと、オムライスで」


「おぉ……じゃあ、私はグラタンかな…大将、オムライスとグラタン」


「あいよ」



傍らにあった水をグラスに注ぎ一口含む。

宇治正さんはポケットからタバコを取り出し火をつけた。



「この店はね、うちのレコーディングスタジオを使った数多くの歌手が訪れている知る人ぞ知る隠れた名店なんだ」


「へぇ…」


「大将、今までで有名な人誰が来た?」


「有名な人?あぁホワイトバルーンもそうだし山口百子だろ、あとは…蒲田 清子、 たわら敏夫としお…って挙げたらキリがねぇぞ」


「ありがとう、という具合にかなりの有名人がここを訪れている」


「なるほど…なぜそんな所に?」


「いやなに、運試しのために来たんだよ」


「運試し?」



宇治正さんは再びメニューを開くと、真っ先に俺の注文したオムライスを指さした。



「君が注文したオムライス…実はあるジンクスがあってね」


「ジンクス…」


「まぁ早い話、これを一番最初に自分で選んで食べた人は芸能界で成功するわけだよ」


「…本当ですか?」


「本当もほんと、かなり多くの芸能人がここのオムライスを食べて成功してる、それによく見てみ、店内にサインが貼ってないだろ?」


「確かに」



言われてみればあれほどの有名人の名前を挙げたのに、一枚もサイン色紙が店内に貼っていない。



「貼っていない理由はそういった噂を避けるため、芸能界ではとある店のオムライスを食べると大成するっていう噂が流れているだけで誰も店の名前も知らないし、どこにあるかも分からない」


「…サインが貼ってないのはカモフラージュってわけですか」


「そういうこと…あぁ、きたきた」



やってきたのは卵がはち切れんとばかりにチキンライスばパンパンに詰まったオムライスだった。

デミグラスソースと生クリームがかかっており、見るだけでも食欲がそそられる。


対して宇治正さんのグラタンは、チーズが溢れるほどのった、表面のきつね色が映えるいかにも美味そうな香りを漂わせるものだった。


手を合わせ、スプーンで一口。

大きな鶏肉がしっかりと伝わり、ソースのコクが感じられるものだった。ものの数分で平らげてしまいそうなほど美味しい。


オムライスを口に運ぶことに熱中していると、そういえばと言った感じで、宇治正さんは何かを思い出したように話し始めた。



「アイドル路線で売り出すからよろしく」


「ふぁい……………え?」


「…………」


「…」


「一旦、いったんグラタンを口に運ぶ手を止めて貰えますか」


「…」


「グラタンを、口に運ぶ手を、止めてください」


「…」


「はい、ストーップ、そこまでですグラタンは話し合ってから食べましょう」


「なに…グラタン冷めちゃうでしょ」


「ちゃんと、速やかに説明してくれれば冷めませんよ」



俺にとってアイドル路線で売り出されるというのは聞き捨てならない話であった。てっきり、作詞作曲をやらされたのだから、ミュージシャンとして売り出すのかと思っていた。それなのにこの宇治正から発せられた一言は、モチベーションを下げかねない衝撃の一言であった。



「ミュージシャンとして…じゃないんですか」


「…だから、アイドル兼ミュージシャン」


「…いやミュージシャンは大いに結構です、なんでアイドルなんです」


「単純に若いファンを獲得しやすいのとそういった子が固定ファンとして根強く君を応援してくれるから」


「…うわ、結構理由しっかりしてる…」


「ちゃんと戦略的にアイドルとして売り出した方がいいかなって話し合った結果だからね」


「…でもアイドルかぁ………」


「…」


「…はぁ」


「…」


「はぁ…」


「……そんなに嫌?」


「はい」


「即答だね」


「だってアイドルですよ、アイドルとミュージシャンじゃ方向性も正反対に等しいじゃないですか」


「じゃあなに、革ジャン着てパフォーマンスとしてギターをぶっ壊すことをしたかったわけ?」


「いや…別にそんなことは無いですけど」


「…厳島くん、君は才能もある。容姿もいい、だからどんなにミュージシャン路線に走っても私はアイドル的人気から避けられるとは思わないわけだよ… 」


「アイドル的人気?」


「そう、本格派の歌手として売り出した子が知らぬ間にアイドル路線になっていたなんてよくある話でさ、だったら最初からアイドル路線として走った方が戦略的にもいいわけだよ」


「…」


「なんなら海外進出して有名な賞を取りさえすれば世間はアイドルという型から抜け出せた、型にはまらないアーティストになれるわけ」


「海外進出…すればいいんですね」


「そう」


「…やってやりますよ」


「…」


「海外進出して、何千万枚もレコード売上て挙句の果てにはグラミー賞取ってやりますよ」



俺は立ち上がった。



「お、グラミー賞かぁ…あそこはかなり険しい道だよ」


「なんのこっちゃです、どうせアイドル路線は避けられぬ運命、ならさっさとそこから脱却してやりますよ」


「頑張ってくれ…さてとグラタンっと…あ」


「どうしたんです」


「冷めちゃったからチーズカチコチだよ」



宇治正さんは固まってしまったチーズをスプーンで叩いた。俺は申し訳なく思いつつもゆっくりと席に座りオムライスを頬張った、食べ終わる頃には降りしきる雨雲は消え失せ店の扉のモザイクガラスから橙色の日差しが漏れていた。




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後半終始雑になっているのは作者の文才がないせいなのでどうぞぶん殴ってください。


今回の話は厳島が海外進出を決意するいわば「俺 武道館ライブ目指すよ」的な流れの話です。



なお、今回の話で『ダイヤの原石編』は終了になります。次話から『デビュー編』がスタートしますので引き続きご愛読のほどよろしくお願いします。

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