12 この国いちばんの団子

 山に向かいながら、憲に集落のことを少し聞いた。

 昔は農業でそれなりの生活をしており、長様に相当するような人もいたらしい。

 だが鬼がよく出没するようになってからは、若い人は攫われるか集落から出るかしてしまい、まとめ役の人もいなくなったので、このような状態になってしまったのだという。


「じゃあ、ここってうちの村より鬼が出るってこと?」

「うん、多分。何年か前までは、よく人も攫われたらしいよ」

「さっきのお爺さん、爺婆ばかりだからどうのって言っていたけど、そういや鬼って、お年寄りはあんまり攫わないよね。抵抗する力という点では弱いはずなのに」


 さっきのお爺さんは「食う気がしない」なんて言っていたけれど、どうなんだろう。

 そう、口から出かかったが、やめた。

 焔の前で、これ以上この話を続けるのは残酷すぎる。


 腰に佩いた刀が、じわじわと重さを増してくる。




 集落を抜け、再び延々と続く荒れ地を歩く。

 日差しは穏やかで、道も平坦。それでも単調な道を休憩なしで歩き続け、さすがに疲れた。まだ山に入ってもいないのに疲れたなんてみっともないが、とにかく皆、歩くのが早いのだ。

 大柄な憲や脚の長い凱はあたしに比べて一歩が大きいし、焔はとにかく身が軽い。あたしは脚が丈夫だと自負していたが、単なるうぬぼれだったのだろうか。


 雀が気持ちよさそうにさえずりながら飛んでいる。あの雀は自分が羽で飛べることに、何の疑問もありがたみも持っていないんだろうな、と思う。

 雀に当たっても仕方がない。とにかく疲れたそぶりを見せないよう、ついていかなければ。

 息があがりそうになるのをおさえ、焔や憲のおしゃべりにつきあう。遅れないよう、とにかく脚を動かす。


 心の中で拳を握る。

 足手まといになってはいけない。あたしは凱を守るんだから。弱音を吐いてはいけない。


「やあ、結構歩きましたね」


 あたしがそう覚悟を決めた途端、凱はいきなり立ち止まってのんきな声を上げ、大きく伸びをした。


「もうすぐ山に入ります。どうでしょう、これから山登りをする前に、少し休憩しませんか」


 なんという都合の良さ。凱はあたしを見て微笑み、さっさと道の端の草の上に腰を下ろした。ふう、と大きく息をつき、眩しそうに空を見上げる。


 ああ、さっきのお爺さんが言ったとおりだ。

 凱は、お天道様みたいだ。


 蜂蜜色の髪の輪郭が、太陽の光と一緒になって透き通っている。光は長い睫毛にそっと降り立ち、滑らかな頬の上を滑ってゆく。このまま全身がほわりと発光して、太陽になって空を飛んでいくんじゃないかと思う。

 この人は、光と笑顔がよく似合う。


 檻の中で、世の中全てに怯えて生きてきたあたしとは違う。


 頭を振る。いけないいけない。卑屈なことを考えても疲れは取れない。あたしは凱のそばにどかんと座って草鞋わらじを脱いだ。


「しょうがないなあ。凱がそう言うんなら少し休もっかな。これからどのくらい歩くか分かんないもんね」


 両脚を前に突き出し、足首をぐるぐる回す。草鞋は歩きやすいが、やはりじわじわと足裏に疲れがたまる。


「えー。僕、まだ疲れていないのに。だって全然歩いていないですよ。凱さん、普段山に入った時は、もっとたくさん歩い」

「うるせえ黙れこの脳みそ筋肉小僧。凱さんの心と空気を読めよ」


 あたしのすぐ隣に座ろうとしていた憲を、焔は襟首を掴んで立ち上がらせ、少し離れたところに連れて行った。焔が早口でわめいていたが、空気を読む、って、なんの空気のことだろう。

 それより困った。二人が離れてしまったので、あたしと凱が変に近寄って座っているように見える。


 やだな。恥ずかしいよ。あの二人、なんであんなところに座っているんだ。みんなでごちゃごちゃしていないと、自然な態度が取れないじゃないか。

 でも今さら距離を取って座りなおすのも変だし。どうしよう。涼しいはずなのに、首筋に変な汗がにじむ。


「なんか暑いねえ」


 暑くないのは百も承知だが、そんなことを言ってみる。襟を大きく抜き、束ねて垂らした髪を持ち上げ、うなじに浮かんだ汗を拭く。

 ふと凱の視線を感じたので彼の方を向くと、明らかに目を逸らされた。なんだろう。顔を見ようとすると今度はそっぽを向かれた。なんなんだ。よく見ると頬と耳がほんのり紅い。まさか暑いんだろうか。


「あ、そうだ。ちょうどいいや、こんなの作ったんだけどみんなで食べない?」


 凱の変な態度は置いておこう。あたしは腰に下げていた包みを広げ、焔と憲に手招きをした。


「これから山に入るでしょ。これ食べて力つけてよ」


 朝、出かける前に作った団子を差し出す。もちきびを炊いて潰し、丸めてきな粉をまぶしただけの簡単なものだ。

 背後から凱の顔が飛び出してきた。団子を覗きにきただけなのだが、前触れなく視界に飛び込んできた顔に、心の臓が野太い悲鳴を上げる。


「黍団子ですか」

「そ、そう。黍の。えっと、あたし達は米の団子は食べないから。でも味はね、たぶん普通で。もし口に合えば、食べて」


 凱が何を言ったわけでもないのに、ついどもりながら余計な言い訳をしてしまった。

 あたしは黍団子作りが得意なので、よく作って使用人仲間と食べている。でも、凱の目に晒された途端、団子が急に地味なものに見えてきた。本当においしいのか自信もなくなってくる。

 

「おいしそうだね、小夜ねえ


 憲の言葉に少しだけ救われる。そろそろと凱に目を向ける。


 亜人のまかないなんか食べられないって思われたらどうしよう。喉が渇くきな粉を口にしたくないって思われたらどうしよう。


 凱の手が伸びる。ちいさなこわれものを扱うように、丁寧につまむ。引き締まった唇がわずかに開き、あたしの団子が吸い込まれていく。


 ああ、どうしよう、食べてくれた。


 凱の口から、ん、と声のようなものが漏れ、目が一瞬大きく開く。


「おいしい」


 ほろりと花が開くように微笑む。


「優しい味ですね。もちもちとして、これはおいしいです」


 言葉と同時にもう一つつまみ、口に入れる。それを合図に焔と憲の手が伸び、瞬く間に団子が消え去っていった。


「あ、小夜さんの分が」


 凱が申し訳なさそうな表情であたしを見る。あたしは微笑んで首を横に振り、包みに残ったきな粉を払った。


 一個も食べなかったが、そんなの全然構わない。

 お腹の中は、あたたかいものでいっぱいだ。


「おいしかった。ありがとうございます。お手数をおかけしてしまいました。朝早く起きて作ってくださったのでしょう?」

「ん? いいのいいの気にしないで。あたし普段から早起きだし、黍を炊いて丸めただけだから」


 お腹があたたかい。心があたたかい。ほわほわ光って、ちいさなお天道様を飲み込んだみたいだ。


 焔が指についたきな粉を舐めながら首をかしげた。


「意外だよな。がさつな小夜が団子作れるとか」

「放っとけよ。これでも煮炊きは一通りできるんだ。参ったか」


 言いながら、ありがたいことだなあ、と思う。

 ほんの何年か前までは、煮炊きはおろかまともに話すこともできなかったのに。こうして皆に団子を食べてもらうことができるまでになれたなんて。


「今までも何度か黍団子を食べたことがありますが、こんなにおいしいものは初めてです。小夜さんの団子はこの国一番ですね」


 また例によって凱が大げさな誉め言葉をぶつけてきた。この人はこういう人だとわかっていても、つい心が回転しながら飛び跳ねてしまう。

 凱はあたしの目を見て、微笑んだ。


「毎日作っていただきたいくらいです。そうして次からは小夜さんも一緒に食べましょう」


 その言葉に、あたしは何も答えず曖昧に微笑むことしかできなかった。

 飛び跳ねていた心が小さくうずくまる。


 今の言葉は、どういうつもりで言ったのだろう。

 あたしに仕えてほしい、という意味だろうか。団子を食べ損ねたあたしへの気遣いだろうか。それとも単なるお世辞の延長だろうか。


 心の中に一瞬、一つの絵が浮かんでしまった。

 その絵が心を苛む。


 出水のお屋敷。凱は縁側で座っている。

 あたしは団子を運び、彼に声を掛ける。

 並んで座り、二人で一緒に食べる。

 蜂蜜色の光が、あたしたちを包む。


 絶対にありえない。


 あたしは亜人だ。見てくれは人間と同じだが、人間じゃない。

 仮にあたしが出水家で仕えることになって、団子を彼に作ったとしても、彼と一緒に食べるのはあたしじゃない。

 そろそろ迎えるであろう、彼の奥様だ。


 出水家に仕えたくなんかない。


「ぼちぼち行こうぜ。小夜、さっさと草鞋履けよ。置いていくぞ」


 焔は立ち上がって声をかけた。あたしはぎゅっと目をつぶって頭の中の絵を追い払い、草鞋を履いた。


 そうだ。そもそも無事に帰ってこられるかもわからないのだ。今を見据えろ、あたし。


 未知の場所に行くのだ。鬼以外にも、何があるかわかったものじゃない。

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