43 桃の風
皆に言葉をかけるにも、まずはあたしの頭の中をどうにかしなければ。再び声を上げ始めた自警団員をなだめているロンに声をかける。
「あの、こんな時にすみません。えっと、鬼は魂を『大切な供物』と言いましたが、海の神は女神も神も魂を食わないって言っていましたよね。それに神は生き物の肉がないですよね」
「え、ああ、はい」
いかにも面倒くさそうな顔をされた。当然だ。
「神は肉がないですけれど、女神は肉があるは違いますか」
「ああ、ううん……」
それはたぶん、違うと思う。
凱はどこでも風を吹かせているけれど、本来神が守るべき範囲は限られている。海の神は、反対側――鬼ヶ島の反対側、という意味か――は自分の海じゃないような口ぶりだったし、空は空で別の神がいるらしい。ということは、神って、物凄く大勢いるのではないか。
長様の奥様の、お子様八人だって結構大変だなあと思って見ていたのに、生き物の体を持ってそれだけの神を産むのは無理な気がする。
ええっと、ううん……。
「小夜さん。そもそもなのですが」
人々に自分たちの目的を説明していた凱は、こちらの話も聞いていたらしく、声をかけてきた。
少し疲れたような表情をしている。よく見ると目の焦点が合っていない。
「邪気に満ちた鬼が活力の素とするものを、弱った女神が取り込んだら良くないと思うのです」
その一言で、あたしの頭の中の何かがぴかりと光った。
そうだ。女神の肉云々は考えたってわからない。これはもっと単純な話だ。
ヒトから奪った魂は、ヒトの命そのものだ。だからもし女神が魂を食べられたら、一時的に元気になるような気はする。けれども。
「恐ろしい思いをして奪われた魂は、命であると同時に苦しみや恐怖といった気の塊でもあるでしょう。邪気に満ちた鬼にはそれも含めて活力になるでしょうが、もし神を産む女神がそれを取り込み、養分とし」
そこまで言ったとき、凱の体がぐらりと揺れた。その場でうずくまり、顔を手で覆っている。突然の彼の様子に、今まで彼に向かって声を上げていた人たちが、戸惑うように口をつぐんだ。
「凱、どうしたの」
背中に触れようと手を伸ばす。するとあたしの掌がきゅっと冷たくなり、凱の背中に吸い込まれるような感覚を覚えた。気にせず触れると、今度は掌が嫌な痺れに襲われ、体の力が抜けていく。
「すみません、触らないで……。この場に、気を、吸われたので、今、触ると、小夜さんの、気を、奪ってしまう」
周囲から「なんだこいつ」みたいな声があがる。奥の方にいる人たちが、立ち上がって凱を見ている。
気を吸われるとか奪うとかってなんだろう。確かにここは邪気の塊な鬼ヶ島だし、洞穴の空気は悪い。だけど鬼ヶ島に入ってからは問題なく動けたのに。
焔が駆け寄ってきて凱の手首を取った。手首の内側に自分の指を添え、首をひねった後、あたしを見る。
「脈が弱ってら。あのな小夜、うろ覚えなんで間違えているかもだけど、気って生き物や場所に吸い取られることがあるんだよ。俺みたいに鈍感だとなんでもねえんだけど……ってことですよね。ねえ凱さん、今、『気を抜いて』いませんでしたか」
「お恥ずかしい。その通りです。邪気には、『気を張って』いたのですが……」
「気を抜く」って、普段の会話で使う「ぼーっとする」という意味ではないのだろう。
顔を上げ、自分なりに周囲の気を感じ取ってみようとしたが、よどんだ空気や臭いくらいしかわからなかった。それでもなんとなく焔の言っていたことは理解する。
鬼に攫われ、魂を奪われるのを待つ人々が、狭い洞穴に押し込められている。彼らの放つ気に、凱のような人はなんらかの影響を受けてしまうのかもしれない。
拳を握る。
立ち上がる。
大きく息を吸い込み、口を開く。
こわい、という思いを叩き潰す。
目の前の女がわめいた。
「出ていきな! こんな弱っちいのが鬼退治できるかい! 神はヒトを食うんだよ! 鬼と一緒さ。神の手下の助けなんかろくなもんじゃ」
「ふざけんじゃねえよ! なんで鬼の言うことを信じて神様を信じられねえんだ! 鬼がそんなに偉いのかよ!」
自分が思った以上に、叫び声が響き渡る。あたしの声が洞穴の中を震わせた途端、一気にざわめきが引いていった。
全ての視線があたしに集中しているのがわかる。
震える脚に力を込め、背筋を伸ばす。
あたしは強い。あたしは大きい。
あたしたちが彼らを救い、鬼を退治する。
あたしは強い。あたしには神がついている。
あたしには、凱がいる。
「なんだよ、あんたこそ偉そうに! なに神をかばってんだ」
「かばっているつもりはないよ。でもあたしらには神様がついている。あんたたちもいずれわかるよ。ねえ、あんたらの住んでいたところだって、祠とかあったよね。でさ、困ったときに神頼みして、いいことあったりしたでしょ。あん時あんたらを守ってくれて、いいことをもたらしてくれた神様だよ。そこまでのこと、単なる
言いながら、自分の過去を思い出し、胸が痛くなる。でも実は、そのことの結論はすでに出ているのだ。
少し離れた所にいる年配の女が叫んだ。
「神があたいらを守っているなんざ嘘八百だよ! じゃなきゃなんであたいらはここにいるのさ!」
「守る気はあるけど万能じゃねんだよ!」
海の神に会った時に思った。神様、なんていっても、順序だてて話せなかったり、使いの尻に敷かれたり、あたしたちに鬼退治を託したり、あたしたちを想ってぽろぽろ泣いたりする。
神なんて、そんなものだ。でも、だからこそきっと、ヒトを食ったりなんかしない。
「凱」
かがんで彼の背に触れる。嫌な痺れが体に広がり、力が入らなくなる。それでも両手で背中を包むように触れる。
「触れないで……」
「いいから。あたしたちはひとつになれば強くなれる。頑張って。あたしの気をあげるから、魂を」
魂を。なんて言ったらいいんだろう。うまい言葉が見つからない。腕が重い。体がだるい。それでもいい。凱の魂は、きっとまた気を満たしてくれる。
凱の背中が震えた。張りのある筋肉の隅々に力が流れる。
まだだ。もっと気を。もっと力を。
吐き気がして視界が狭くなる。「気が弱く」なり、魂が縮こまる。
だめだ。頑張れあたし。頑張れあたしの魂。もう一つのあたしの魂に、力を。
二つの魂は、ひとつになれば強くなる。あたしの魂も、凱の魂も、こんなもんじゃない。
だから、だから、あたしたちの魂。今だ。今こそ。
立ち上がれ。
突如、暗くなりかかっていた視界が、真っ白な光に満ちる。
体の奥の何かが膨れ上がり、光が破裂する。
背中の傷痕がうずき、肌の下で何かがうごめく。
凱の体から跳ね返るような空気が湧きあがる。
凱の体とあたしの手が白く発光する。
あたしたちから風が吹きあがる。
人々がどよめいているのが遠くで聞こえる。
風が洞穴の中を駆け巡る。あたたかく澄んだ風が、よどんだ空気を押し流す。充満していた臭いが洞穴の外へと吐き出される。
暗い洞穴に澄んだ風が満ちる。
甘くふくよかな桃の香りが舞い降りる。
「ぴかぴか、きゃきゃ」
静流が抱えている子供のものらしき笑い声が聞こえた。
「何、あの人たち。光っていない?」
「え、別に光っていないけど」
「光っているじゃない。だよね……え、なんで皆わかんないの?光っているじゃないほらあ」
「何、なんか匂う」
皆が口々に発する声を聞きながら、あたしは凱の背中をぽんと叩いた。
彼がゆっくりと立ち上がる。見えないけれど光っている、そんな何とも表現しがたい光を
「すみません。助けていただき、ありがとうございます。小夜さんのおかげんはいかがですか」
そう言われて気づく。あたし、さっきよりも元気が満ちている。
下を向いて自分を見る。あたしもまた、見えない光を纏っていた。
そうだ。あたしたちは、ひとつになると強くなれるんだ。
「なんともない。凱が元気になってよか」
よかったよ、と言って、かわいく作ろうと思っていたあたしの笑顔は、近くにうずくまっていた犬人の女性の悲鳴で切り裂かれた。
その悲鳴と同時に、犬人の自警団員が叫ぶ。
「鬼が来る!」
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