42 魂の役割

 静流と呼ばれた女の子は、憲と目が合うや、ひゃっと小さな叫び声をあげて縮こまった。その勢いで子供を強く抱きしめる。子供はさらに大きな声で泣き叫んだ。


「おそれいります。皆様は鬼に攫われてここに閉じ込められた方々ですよね」


 凱の場違いともいえる丁寧な言い方に、先ほどの猿人の女性は鼻で嗤って口元を歪めた。


「当たり前様でございますですよう。誰が好き好んでこんなところに押し込められるかってんだ。それよりお前らはなんなんだよ。けったいな見てくれのでかい野郎どもばっかりごろごろと」


 あたしのすぐ後ろにいた焔が、歯をむき出して前に出てきた。それを押しとどめ、前に出る。ここは多分、あたしが話したほうがいい。

 彼女の態度は確かに腹が立つ。凱をばかにしたのも腹が立つ。だが、責めることはできない。

 彼女は両腕をぎゅうっと固く組んでいる。語尾も微かに震えている。

 彼女も、あたしたちがこわいんだ。


「ごめん。あたし、でかくないし、女だし、けったいじゃないと思うんだけど。どうかな、ほら」


 顔を猿人の女性に近づける。彼女は少し身を引いてあたしを見、曖昧に首を縦に振った。


「いきなりこんなのが来たら何事かって思うよね。あのね、あたしたちは鬼退治をして皆を助けるために来たの。えっと、この人たち以外は異国人だよ。鉄砲の名人揃いで、凄く強いんだ。んで、凄くいい人たち」


 全て言い終わらないうちに、奥の方から男の怒鳴り声が飛んできた。


「おお鬼退治なんかできるわけねえだろ!」


 声の方に目を凝らす。うずくまった人の中から、髪を振り乱した人間の男の首が飛び出した。


「ゆ夢みたいなこと言いやがって。どっどうせ鬼の手下なんだろ。ここで俺らを見張るんだろ。そんで言うこと聞かなきゃ刀で斬るんだろ。おお女、おおお前が一番信用ならねえ」


 震える声でわめき散らし、両手を突き出す。男の手には、木の手枷のようなものが嵌められていた。


「ももっともらしく男のなりして刀なんか差しやがって。おお前に刀なんか振れるわけねえだろ。そんな、そんな野郎どもに囲まれた、男好きするツラの色っぺえ姉ちゃんなんか、ろくなもんじゃ」

「はあ? 小夜がなんだとてめえ!」


 焔が怒鳴り返す。どこかから風が吹いてくる。とても弱々しいが、鋭い熱を含んだ風。


 そうか。鬼ヶ島の邪気のせいで、無意識に吹かせる風が弱いのかな。でもさっきは強い風を吹かせたり、この場所が視えたりしたのになあ。


 そんなことを頭の隅で思いながら、あたしは焔と凱に向かって抑えるよう身振りで示し、微笑んだ。

 焔が何度も否定してくれた、あたしが一番嫌な言葉。見世物小屋を思い出す言葉。だけど今なら、耐えられる。

 勿論、そういう風に見られるのは嫌だ。でも男はあたしの過去を知らない。それになにより、あたしは、あたしが一番愛している人に愛されている。だからその他の奴がどう思おうと、立っていられる。


「残念だけど、あたしは見た目と中身が違うので有名なんだ。そんなことより」


 男から視線を外し、声を張り上げる。


「皆さあん! 助けに来ました! あたしたちだけじゃないです。しばらくしたら、があります! だからこんな狭い所じゃなくて、もっと別の所、ええと」


 あたしの言葉を引き取って凱が声を張り上げた。


「少し歩きますが、鬼が出入りしない岸があります。そこでお待ちいただけますかあ!」


 洞穴の中がざわめきで揺れる。人々の声は岩に跳ね返り、わんわんと響く。


「助けてくれるだって? どうやってだい。こんなに大勢いるってのに」

「騙されるな! こいつらは鬼の手下だ!」


 人々の言葉に、今まで黙っていた自警団の人たちが口々に怒鳴りだした。


「あなたたちは酷いことを言う人です! 私たちが助けに来たにもかかわらず、失礼なことを言いますね!」

「お前たちは・・・です! だから・・・悪い・・・!」


 鉄砲を振り回し、わからない言葉で叫ぶ。それに被せるようにうずくまっていた男たちが叫ぶ。

 金切り声、嘆く声。それらはどんどん大きくなり、岩に跳ね返る音と一緒になって、耳が痛いほどに膨れ上がっていった。


 ぎゅうぎゅうに詰め込まれた人たちがうごめく。澱んだ空気がうねる。

 静流の腕の中の子供が泣き叫び、暴れだした。それを静流が必死になって押さえている。小さな声で語りかけながら、ぎゅっと強く抱いている。やがて彼女もべそをかき始めた。


 この中で救出を喜んでくれている人はどのくらいいるのだろう。皆、好き勝手に叫び、呟き、うごめき、だんだん収集がつかなくなってきた。

 もう、どうしたらいいのだ。


「ねえ静流、さん、だっけ。ちょっといいかな」


 捕らわれている人たちの声と自警団員たちの声で、乱打する鐘の内側みたいになっている中、憲が静流と子供の前まで行き、隙間に小さくなってかがんだ。

 静流は涙に濡れた顔を上げ、身を引く。憲は子供の方へ手を差し出した。


「その子ね、たぶん、周りがうるさくて怖いのと、そうやってぎゅーってされて痛いので泣いているんじゃないかな。ちょっと抱っこさせてくれる?」


 憲の言葉に怯えた表情を見せながらも、子供をかばうように背中を丸めた。


「奥様からおりをいいつかったんです。初めて任せていただいたんです。若様は、とても大事あっ」


 ほんの一瞬の隙に、憲が子供をひょいと抱きかかえた。乱暴気味な「高い高い」をした後、太い腕でふんわりと横抱きをする。


「大きな声がいっぱいして、びっくりしたよねえ。でも大丈夫だよ。僕たちが来たから大丈夫だよ。僕たちには神様がついていてくださっている。だから大丈夫だよ」


 優しく、穏やかで、包み込むような口調で、何度も「大丈夫」と言う。

 憲が語りかける声につられたのか、彼の周囲が少しずつ落ち着きを取り戻していった。ロンが自警団の人たちに黙るよう指示をする。

 静流はべそをかくことを忘れて憲と子供を見上げている。子供はしばらくぐずぐず泣いていたが、やがておとなしくなった。

 静流が憲に向かっておずおずと手を差し出した。


「おそれいります、旦那様。若様をあやしてくださり、ありがとう存じます」


 憲が子供を渡す。憲の手が静流の手に触れると、彼女はきゃっと叫んで手を引っ込めかけた。


「え、何? あ、ごめん、なのかな」

「いえあの、その」


 子供を抱きかかえ、黒目がちな瞳で憲を見つめる。


「申し訳ないことでございます。あの、びっくりしたのです。あ、でも、旦那様は、大人でいらっしゃるから。えっと、私、同い年くらいの殿方に、いつもいじめられてしまうのです。後ろからつつかれたり、のんびり屋ってはやし立てられたり。それに私がお仕事をしているところを、じっと見ていたりするのです。ですから、殿方がこわくて」


 二人の会話を聞いていたらしい焔が、ぶっと吹き出して呟いた。


「ガキの男ってばかだよなあ。なんでかわいい子にわざわざ嫌われるようなちょっかい出しちまうんだろうなあ」


 静流に見つめられた憲は、ふんと鼻を膨らませて腰に手を当てた。


「僕はそんなことしないよ。大人だからねっ。もう十二歳だし」

「え、十二……。私、十一なのです。え、では、それなのに、なぜこんなにお優しいのですか」


 大きな目がじっと憲を捕らえる。すると今まで落ち着いた物腰だった憲が体を引き、目を逸らし、視線を泳がせ始めた。


「なんでって、なんでって、なんでだろ。ぼ僕は、僕は、その」


 焔が物凄く嬉しそうな顔をして体をくねらせている。怒号と悲鳴の飛び交うこの状況で、憲と静流の間にだけ、妙にほわほわとした空気が漂っている。


「やっぱりお前らは敵じゃないのさ! おい、でかいガキ! なんだい神様って! 神はあたしらを食うんだよ!」


 ほわほわした空気をを突き落とすように、先ほどの女が怒鳴った。途端に空気が荒れる。


「おお鬼が言っていたんだよ。あたしらの中で活きのいい『いのち』は、女神の供物になるんだって。女神が弱っているから、いのちをたくさん食わせて、肉を保たせるんだって。鬼や神のいのちは長いから、肉を保つには、ヒトの命を食うんだって。だから」


 彼女の言葉に乗って、他の人たちもそうだそうだとわめき出す。

 あたしは凱と顔を見合わせ、首をかしげた。


 変だ。

 神は、魂を食わないと言っていた。それに神は生き物の肉を持っていない。それなのに、女神は肉を保つために魂を食う、って、なんだ。

 あれ、そうじゃなくて、ええと。どの辺が本当でどの辺が嘘なんだろう。

 そもそも鬼が女神のために、と、何かをするのも変だ。


 自分らが魂を食うのは、なんとなくわかる気がする。

 だが、鬼はなぜ、女神に魂を供えるのか。

 鬼は、何をしたいのだろう。

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