第102話-2

 ルーヴァベルトは頭を捻り、猫目を細めた。思案気にじいと相手を見つめると、彼もまた作り物の笑みで彼女を見返す。



「質問の意味がわかりませんわ」



 そう返すと、ユリウスは自身の細い顎を指先で撫ぜた。一旦視線を天井へやり、改めてルーヴァベルトへ顔を向ける。



「だから、例え話。君がそこにいるだけで、兄上は傷つくし、辛い思いをする。ルーヴァベルト嬢の存在そのものが、エヴァラント・ヨハネダルクの毒となるんだ。…それでも君は、傍に居ることを選ぶのだろうか」



 語尾が、少しだけ跳ねた。僅かに滲んだ動揺を隠すように、ユリウスは目を伏せ息を吸う。ゆっくりと瞬きをした振りをしてから顔を上げた。

 小窓から差し込む朝日で、室内は随分明るくなっていた。向かい合うお互いの表情がはっきりわかる。

 ルーヴァベルトは僅かな嫌悪で瞳を揺らしながらも、唇は笑う形に歪めたまま、はっきりと口にした。



「当たり前、ですわ」



 その迷いのなさに、男が眼を見開く。緑がかった碧眼が、朝の光を吸い込んで、澄んで揺れた。

 ユリウスの様子を気にも留めず、ルーヴァベルトは続ける。



「何をお尋ねになりたいのかわかりかねますが、そのような事情で、私から兄の傍を離れるということは、到底ありえません」



 男の顔から笑みが消えた。



「残酷な女だな」ルーヴァベルトの内側を伺うように、片眉を持ち上げる。



「相手が傷つくとわかっていて、我を通すってか」


「まさか」



 間髪入れずに彼女は返すと、無意識に兄の手を探し、握った。令嬢と言うには節くれだった指は、緊張からか冷えていた。せめて、とエヴァラントが指先を動かすと、更にきつく握りしめる。

 そんなやり取りを隠すように、上目遣いにユリウスへ笑みを向ける。



「私はルーヴァベルト・ヨハネダルク。エヴァラント・ヨハネダルクではありません」


「それが…」


「私は兄ではない。だから、兄が痛く辛いとしても、それを想像するしかできないですから」



 不意に少女の顔が痛むように歪んだ。


 声が震えそうになるのを感じた。堪え、ぎゅっと腹に力を込める。笑え、と心の内で己を叱咤する。

 手を握った兄は、多分何かしらの理由で動けないのだとわかる。となれば、いくらエヴァラントがひょろりと痩せていようが成人男性。それなりの重さがあり、到底抱えて逃げることなど不可能だ。

 相手もそれがわかっているのだろう。だから、わざわざルーヴァベルトの手足を拘束しなかったのだ。

 腹の底で怒りがふつふつと音を立てて煮える。本当ならば、今すぐユリウスの涼しげな横っ面を張ってやりたかった。それをするのは、逃げる算段がついてからだと繰り返し自分に言い聞かせた。

 今、どうするのが最善かはわからない。正直、まだ頭の中はぐちゃぐちゃで、思考はまとまらなかった。

 ただ一つ、戦わねば、と思う。

 今ここでエヴァラントと自分を護れるのは、ルーヴァベルトただ一人だから。


 絶対に弱みを見せるな。


 虚勢を張れ。



(奪わせてたまるかよ)



 だからルーヴァベルトは顔を上げる。嗤ってやった。この男が何を思うかなど知らないが、問われたなら答えてやる。



「痛くて辛いだけなのか、そうじゃないのかなんて、私にはわからない。痛くて辛くても、それでも兄が私といることを選んでくれるなら、私は兄貴と一緒に居ますわ」



 そう、ルーヴァベルトが望むから。


 エヴァラントと居たい、と。


 傍に居たい、と。


 どれだけ彼が痛くとも、どれ程自分が痛くとも。



「兄が、私を拒絶するまで、ずっと」



 ぐっと握ったエヴァラントの指先が震えた。掌に更に力を込めた。横たわる兄の顔を見る程の勇気はなかった。相対した相手を真っ直ぐ見やり、嗤いながら睨めつけた。

 彼は唇を引き結び、嘲笑おうとして…失敗する。ただ歪んだ口元から、食いしばった歯が見えた。

 絞り出すような声で、ユリウスは呟く。



「勝手だ」



 擦れた響きに、ルーヴァベルトもまた、歪んだ表情のまま、孤を描く唇で答えた。



「私が勝手に兄に心を慮って、判断して、そして離れる方が、よっぽど勝手では」



 ユリウスはじいとルーヴァベルトを見つめる。

 逸らさずに睨み返した。

 先程まで、様々な感情が入り混じっていた彼の顔には、いつの間にか何もなくなっていた。

 怒りも、嘲りも、動揺も、何も。

 代わりに、無表情のままユリウスはことりと小首を傾げてみせる。

 呟いた。



「君、嫌いだなぁ」



 抑揚のない声は、まるで作り物のように響き、呆気なく消える。

  

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