第102話
顔を上げたルーヴァベルトは、すうと双眸を細め、表情を消す。
頬は涙で濡れたままだったが、拭う素振りもない。それよりも目の前に現れた相手から眼を逸らすことを拒むように、じいと部屋の出入口を睨めつけた。
鋭く凍えた視線に、茶の髪を揺らし、男は嗤う。
「存外君は、綺麗に泣くな」
嘲りを含んだ言葉を吐き、ユリウスはくっくと喉を鳴らした。ルーヴァベルトは応えず、ゆっくりと眼を瞬かせる。目尻に溜まった涙が、ぽたりと雫になって落ちた。
開け放たれた扉に寄りかかり、男は小首を傾げる。
「もっと大声を上げて、小煩く泣き喚くかと思っていたのに」
言いつつ、室内へ足を踏み入れた。革靴の踵が床石を鳴らす。規則正しい音と共にベッドへ近づいたユリウスは、ぬっと身を乗り出し、黒髪の少女の瞳を覗き込んだ。
赤茶の一対が、臆することなく見つめ返す。そこに怖れも不安も見当たらない。歳に似合わず綺麗に感情を隠す様に、ユリウスは嗤う形で顔を歪めた。
「面白くないなぁ」独りごちる。
「鶏みたいに喧しいのも困るけど、こう、取り澄まされるのも腹が立つ。少しくらい怯えて見せりゃ可愛げがあるけど」
それに、ルーヴァベルトの表情が崩れた。くっと、嘲笑を口元に浮かべたかと思うと、小さく肩を竦めて見せた。
その仕草に、男が俄かに顔を顰める。急に少女が、娼館の女に似て見えたからだ。
「ごきげんよう、ユリウス様」令嬢然と彼女が鳴く。
「兄共々、強引なお誘い、光栄ですわ。このような形で再度お会いできるなんて夢にも思いませんでした。…こんなことなら、もっと身嗜みを整えてくればよかったですわね」
化粧も装飾品も無く、褪せた色の古びた衣服。流行遅れの貴族服を縫い直したのだろう。それを纏うルーヴァベルトは、一見少年のようにも見えた。
ぼろの男装で令嬢の振る舞いをする彼女の表情、眼差しは…娼婦のよう。相手を絡め取り、心の臓を抉り取って、骨の髄まで抜いてくれようという、甘い甘い殺意。
彼女はそれを隠そうとはしなかった。今すぐにでも喉を噛みきってくれようと、そう囁かれている気がし、思わずユリウスは口端を引き上げた。
領分を犯せば殺す、と。
少しでも手を出そうならば許しはしない、と。
暗に彼女は告げる。横たわったまま身じろぎひとつできぬ兄を、そっと手で庇いながら。
ぞわり背筋を撫ぜた感覚に、ユリウスは身を引いた。
ランティスがこの少女に惹かれた片鱗を垣間見た気がした。
夜会で美しく着飾っている彼女よりも、今の方が眼を奪われる。研ぎ澄まされた刃先に触れるような、傷つくとわかって手を伸ばすような、そんな危なげな気持ちになる。
手に入れたら、彼女を口に含んだら、一体どんな味がするのだろう。
そんな想いを腹の底に沈め、笑みを張り付けたままの顔で彼女を見つめる。。孤を描き薄く開かれた唇の間から、赤い口内が覗いた。
「美しい兄妹愛だね」
歌うように茶化した。
「随分仲がいいんだねぇ」
「二人きりの兄妹ですので」
「だから依存してんの?」
「お互いが思いやっているだけですわ」
「なるほど」
余所で見せたことのない艶めいた口調に、エヴァラントは思わず瞼を持ち上げそうになった。寸前で堪え、ぐっと唇を引き結ぶ。
動かない腹の上に置かれた妹の手の重みを感じた。
彼女は今、戦っている。自分の為に、エヴァラントの為に。
ぎゅっと顔を強張らせたままのエヴァラントを一瞬見やり、ユリウスはふんと鼻を鳴らす。
かと思えば、突然「例え話をしようか」と言い出した。
「そう、これは例え、だ。付き合ってくれるかい? ルーヴァベルト嬢」
僅かに眉を潜めたルーヴァベルトだったが、すぐに作り笑いを返す。是とも否とも答えず、ただ兄の身体に触れる手で拳を握った。
「例えば」気にせずユリウスが口を開いた。
「君が兄上の傍に居るだけで、兄上が傷つくとなったら、どうする?」
それでも一緒いるか、と。
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