第99話-3

 怖気に揺れたヘーゼルグリーンを見据えた銀眼は、やがてゆっくりと瞼を閉じた。もう一方の瞳で、憐れむような視線をマリーウェザーへ向ける。右目はルーヴァベルトと同じ赤茶だった。

 逃げる様に身を引いたメイドは、一足飛びに男の視界から外れた。身動きの取れないエヴァラントの視線に自分が絡め取られない場所まで来きて、初めて自分が息を止めていたことに気付く。唾を飲み込み吐き出した息は、微かに震えていた。

 その様子に、ユリウスが笑い声をあげた。



「そんなに警戒しなくても大丈夫だろ。彼は何もしない」


「…でも」


「大丈夫だって。考えても見ろ。エヴァラントは俺の事も、お前の事も、『知っていた』はずだ。なのに今まで何もしなかった。妹が何度襲われようが、だ。そんな奴が、今更一体何をする?」



 ちらとマリーウェザーはエヴァラントを盗み見る。彼は黙ったまま、両目を瞑っていた。

 本当は耳も塞いでしまいたいのかもしれない。酷く痛む表情をしていたから。



「なぁ、エヴァラント」嘲る様に、呼ぶ。



「そうだろう? 俺達の本心がどこにあるか、ずっとわかっていたんだよな。けど、お前は何もしなかった。俺が何度会いに行こうが、お前は何もしなかった!」



 怒鳴る様に、悲鳴のように、ひっくり返った声が狭い室内に響いた。そうして、黴臭い石壁に吸い込まれ消えていく。

 エヴァラントは応えない。下唇を噛み、堪える様に目を瞑っていた。



「なぁ! 俺が会いに行った時、どう思った? 『銀の眼』に、俺の姿はどう映った? ランの友として、婚約者がどんな令嬢か気になるなんて、そんな建前が嘘だと知っていたんだろう?」



 立場上、ランティスに直接聞くわけにはいかないから…と、数度エヴァラントの研究室へ足を運んだ。

 祝福したいのだ、と。

 ランティスが選んだ娘なら、と。

 けれど彼女を知ることを、周りはきっと許さない。下手な勘繰りは、ランティスの足を引っ張ってしまう。

 だから教えて欲しいのだと、そんな言葉でエヴァラントを訪ねて。



「本当は、君がどう使えるか考えていた。君は見えていたはずだ! なのに、何もしなかった! 何故だ? 『銀の眼』が公になることを恐れたからか?」



 それとも、と口元をにんまりと三日月に歪めた。



「妹に、知られたくなかったから、か」


「…ッ!」



 思わず反応したエヴァラントが、双眸を見開いた。が、すぐに苦しげに細め、天井を睨み付ける。

 はっはと身を仰け反らせ嗤うユリウス。その声は渇いていた。



「やっぱりか! そりゃそうだよなぁ。自分のせいで親が死んで、挙句ずっと貧乏生活させてたんだから。本当なら男爵令嬢としてそれなりな幸せ掴めてただろうに、全部! お前のせいで! 駄目になったんだからなぁ!」



 身を捩り嗤うユリウスは、手にした瓶底眼鏡をエヴァラントへ放り投げた。頬に当たって、顔の側に落ちた。



「言えないよな! だって、親が死んだことすら隠してるんだもんなぁ! 失踪したなんて嘘、いつまでつき続けるつもりだ? 真実を司る王の獣が、嘘まみれだなんて滑稽じゃないか!」



 ひぃひぃと喘ぎながらひとしきり嗤い続けたユリウスの声は、やがて弱々しく小さく萎んで行った。前屈みに椅子に腰かけ直した男の顔から、ごっそりと表情が消える。

 打って変わって虚ろな瞳が、冷たい石の床をぼんやりと見つめ、独りごちた。



「あの双子は、俺の悪意に気付いていたぞ」



 色の違う両目を俄かに見開いたエヴァラントは、哀しげに顔を歪ませた。

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