第97話
ぶるぶると震える肩を、そっとランティスは抱き寄せた。
ジュジュの丸い顔は、血の気を失い真っ白だった。心なし、唇も青紫に思える。化粧も何も落とした彼女は、夜着姿のまま、目の前に横たわる男をじいと見つめていた。
どうして、とか細い声が独りごちる。
肉に圧され細められた双眸は、俄かに涙に濡れている。それでも雫が零れないのは、彼女の矜持だろう。
しっかりしろ…と、今の彼女を叱咤することがどれ程酷であるか、知っていた。
けれど、ランティスはその言葉を口にする。
「しっかりしろ」
そう言えるのが、今、自分しかいないと、わかっているからだ。
緩く巻いた柔らかな金髪を撫ぜる。ゆっくりと眼を瞬かせたジュジュは、細く息を吐き、すいと背筋を伸ばした。
「大丈夫ですわ」
気丈な言葉は、震えていた。「もう、大丈夫ですの」
その姿にランティスは顔を歪め、視線を逸らす。その先に見えたのは、ベッドの上に横たわる男―――兄である王太子。
まるでただ眠っているだけのように、顔色もよく、呻き声一つ上げない。名を呼ぼうが、揺すろうが、決して目を覚まさぬだけで。
今、侍医が必死に毒の特定を急いでいる。…が。
「本当に、声一つ上げず、倒れましたわ」
務めて無表情を装い、ジュジュが告げる。すんと鼻をすすると、背中に流した長い髪が緩く揺れた。肩からずり落ちたショールをかけ直した手の震えを、必死に隠そうと全身に力を込めた。
王太子であるジークフリートと共に夕食を共にしたジュジュ。食後のお茶を終え、少しばかり席を外した僅かな時間…部屋に戻ると、彼は、床に倒れていた。
悲鳴も、物音も、人気も、何もなかった。
苦しむ様子もなく、ただ、静かに床に沈む。
そのまま目を覚まさない。弱々しい心音だけが、辛うじて彼の命を繋いでいた。
いつも通り、きちんと毒見はされていた。おかげで冷え切った料理も、ジークフリートは文句一つ零さず食べた。
その矢先、に。
傍に居ながら何もできなかった。あの時、席を外さなければ…と、後悔だけがジュジュの中で渦を巻く。
悔やんでも仕方がないのだとわかっている。それでも自分を絡め取ろうとする暗い感情を腹の底に押し込め、彼女は前を向いた。
「箝口令は敷きました。最悪の場合を考え、予定通り、王太子の業務は一旦私が引き継ぎます」
その言葉に、ランティスが苦い顔をする。気づいていたが、素知らぬふりで続けた。
「直ぐに準備に取り掛かりますわ。…幸い、私の体調は丁度、痩せやすい周期に入っておりますから」
「ジュジュ」
「心配無用。口出しも不要ですわ」
凛とした眼差しを、隣に座る王弟へと向ける。
灰青の双眸が苦しげに瞬き、ぐっと歯を食いしばる。言いたいことがあるのだろう。けれど、必死に飲み込んだ顔だ。
ジュジュは微笑んだ。ふくよかな頬が、先程よりは色を取り戻していた。
「大丈夫ですわ」そっと手を伸ばし、赤髪を抱き寄せた。
「これは、産まれた時よりの決まり事。ジークが終る時、私がその座を護る、と」
二人は一緒に産まれたのだから。
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