第93話
庭園に面した廊下の端に人影を捕えた。
それは向こうも同じだったのだろう。ルーヴァベルトを抱えるランティスが足早にそちらへ近づいた時、ぱっと飛び出してきた。
「ルーヴァベルト様!」
泣きそうな顔で声をあげたのは、マリシュカだ。ドレスの裾を翻し駆け寄ってくる。その後ろにアンリと、真っ青な顔をしたアーベルが続いた。
亜麻色の髪の乙女の姿に、ようやっとランティスは婚約者殿を解放した。
途端、今度はマリシュカが彼女に飛びつく。
「心配しましたわ! 心配しましたのよ!」
取り乱した様子でくしゃりと顔を歪ませた相手に、ルーヴァベルトは酷く驚いた。猫眼をぱちぱちと瞬かせ、困ったようにアンリを見やる。彼は、怒ったような、呆れたような、曖昧な表情で肩を竦めた。
ええと、と小さく呟く。
「すみませ…ん?」
どう答えるのが正解なのかわからぬまま、とりあえず口にした言葉は、尻すぼみに闇へ溶けた。
綺麗な菫色の双眸が、きつい眼差しをルーヴァベルトへ向ける。心なし、瞳が潤んで見えた。
「勝手な行動はやめてくださいませ! 心臓がいくつあっても足りませんわ!」
「えーと…はい」
「またこのようなことがあるのであれば、勝手なことが出来ぬよう、首輪をつけさせて頂きますわよ!」
「えっ! それはちょっと…」
「でしたら!」
眦を釣り上げた令嬢は、ぐいと顔を寄せた。
「自重して下さいませ」
普段からは想像もできぬ低音で言い含める。そこに。妖精を思わせる可憐な表情はない。言いようのない圧を感じ、首を縦に振るしかなかった。
もう一度、じいと赤茶の双眸を覗き込んだマリシュカだったが、ようやっと身を離した。そうして、そっぽを向いてしまう。横顔が拗ねた幼子のように見えて、ルーヴァベルトはまたもや目を瞬かせた。
後ろに立ったランティスが、一つ咳払いをする。
王弟殿下を見やるマリシュカは、挑むように彼を睨めつけた後、綺麗に礼をし後ろに下がった。
「アンリ」少し硬い、けれど低く甘い声が、亜麻色の髪の友人を呼んだ。
「前回に続き悪いが、俺達は帰る。夫人への言い訳を頼む」
「わかってるわ。どうにか誤魔化しとくから…ねぇ、ユーリ」
遅れ迷宮から戻ったもう一人の友人を見つけ、そう首を傾げて見せる。乱れた髪を、櫛も鏡もなく器用に結び直しつつ、ユリウスはにんまりと眼を細めた。
「ああ、任せとけ」
いつも通り、調子よく胸を張る。少しだけ、ランティスの纏う空気が柔くなったように感じられた。
彼の後ろには、黒装束の遺体を抱えた少年と、気絶した二人を担いだ不精髭の男が立っている。先程から、アーベルの眼が、彼ら二人にくぎ付けになっていた。
自分が眼を離した隙に、王弟殿下の婚約者殿に一体何があったのだろうか。
よく見れば着衣も髪も乱れている。ドレスの裾には葉っぱが。
何より、あの二人は何なのか…。
(あ、れ…生きてるの…?)
眩暈がして倒れそうな気がした。いっそ倒れてしまいたかった。倒れれば、きっと赤髪の上司に横っ面を張られて起こされるだろうから、倒れるのはやめた。
止まりかけた思考の片隅で、能天気な自分が「怒ったマリシュカ嬢も可愛い」なんてほざくのが聞こえた気がして、思わず一人、薄笑ってしまう。
そんな部下の姿をちらと見やり、ランティスが深く息を吐いた。
「安心しろ、一人は俺の屋敷の護衛だ」
顎で指示した王弟殿下に、少年が小さく頭を下げた。
続けて「もう一人は知らん」とぶっきらぼうに吐き捨てる。それにひゅっと不精髭の男が身を縮ませた。
「だが、身元はしっかりしている…だろ? ルーヴァベルト」
棘のある言葉に、凍えた視線で婚約者殿へ眼を向けた。彼女が頷くと、続いてハルが控えめに声をあげた。
「旦那様。この方に関しては、僕も、保証します」
「どういうことだ」
「あの、それは…」
言いづらそうに唇を引き結んだ少年を、たっぷり一拍、冷やかに睨みつけたランティスだったが、埒が明かないと踏んだのか灰青を逸らす。
「まぁ、いい。戻ってから説明しろ」
「承知致しました」
ほっと息を吐いた彼に、隣に立った男が申し訳なさそうに項垂れた。
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