第92話-2

 白い肌に、細い首筋に、首輪のように刻まれた赤を、男は見逃さなかった。

 俄かに双眸を見開き、纏う空気が一瞬で張り詰める。ぴりりと痺れそうな雰囲気に、ルーヴァベルトは言葉を飲み込んだ。



「…ハル」地を滑る低音が、少年を呼ぶ。頭を垂れたままの少年は、はい、と短く返した。



「誰が、やった」


「…そこに倒れている黒装束の男、が」



 ゆらりと王弟殿下が立ち上がる。灰色の夜会服が、夜闇の中に、白に似て見えた。

 ランティスは振り返り、つま先を倒れた男へ向ける。数歩の距離行く間、ブーツに踏みしめられた芝生が、じゃくりと濁った悲鳴をあげた。

 男の傍でしゃがみ込んだ赤髪は、「おい」と平坦な声で呼んだ。



「俺の女の首、絞めやがったのか」



 返答はない。

 当たりまえだ。既に事切れているのだから。

 そんなことなど知らぬランティスは、再度「おい」と男の頬を手の甲で叩いた。



「旦那様」と、控えめにハルが口を開いた。



「既に息はありません」


「はぁ? 何、お前がやったのか」


「はい」


 ふうん、とランティスが鼻を鳴らす。興味を失ったかのように立ち上がると、庭師の少年へ視線も向けずに吐き捨てた。



「燃やせ。骨も残すな」


「承知しました」



 彼の脇をすり抜けた時、僅かに、柔らかな巻き毛が揺れた。顔にかかる髪で、少年の表情は窺い知れない。

 ルーヴァベルトの傍に戻ると、男は手を差し出した。



「立てるか」気遣うような問いかけにぎこちなく頷くと、素直に手を取る。それに、ランティスの表情が幾分か和らいだ。

 と、不意に灰青の双眸が迷宮の先へと向けられた。

 そこに立つ粗末な恰好の男を見止め、顔を歪める。見覚えのない相手に警戒の色を見せた。

 それがわかったのだろう。エーサンもまた、緊張した様子で身を硬くした。



「あ、違う!」慌てて立ち上がったルーヴァベルトが、ぐいとランティスの手を引いた。もう一方の手で彼の腕を掴むと、赤髪の男を覗き込む。



「敵じゃない! あの人は、私の知り合いだ!」


「はぁ?」



 眉を顰めた王弟殿下に、必死で説明する。「私が、来てくれるように頼んだ! 私が!」

 改めて灰青の視線がエーサンへ向けられる。場に不釣り合いな恰好をした男は、びくりと肩を震わせた後、深々と頭を垂れた。

 灰ピンクのドレスに包まれた腰を引き寄せた。細い身体を確かめながら、冷えた視線を男へ向け…何も言わず、踵を返した。



「戻るぞ」



 凍えた低い声が、そう指示する。

 是と答えたハルは、事切れた遺体を抱え上げた。後方では、エーサンが気を失った二人を担ぎ上げる。

 ランティスはルーヴァベルトの腰を抱いたまま、元来た道を戻り始めた。婚約者殿は逆らわず、歩調を合わせてついてくる。

 すぐの角を曲がった所で、ユリウスと鉢合わせた。どうやらランティスと共に駆けつけていたらしい。

 彼は赤髪の友人を見やり、緑がかった碧眼をゆっくりと瞬かせると、重く息を吐いた。それから視線をルーヴァベルトに移し、薄く笑う。



「無事でよかった」



 存外、優しい声だった。

 真意を測りかねたのか、少女の表情は動かなかった。彼女の首元の赤い痕に、ユリウスが双眸を細める。乱暴に頭をかき回すと、綺麗にまとめてあった明るい茶髪が乱れ頬に落ちた。



「ラン…」


「話は後だ、ユーリ」



 友人の言葉を遮り、ランティスが歩き出す。「他にも潜んでいる可能性があるからな」

 脇をすり抜けた時、ルーヴァベルトはちらとユリウスへ眼を向けた。

 表情が抜け落ちた横顔が、宙を睨み付けている。そこに、普段の軽薄そうな印象はどこにも無かった。



「ラン」と、もう一度、彼が呼ぶ。




 不機嫌そうに振り返った王弟殿下に、首だけ捻って眼を向けたユリウスが、苦笑交じりに続けた。



「ルーヴァベルト嬢は、裸足だ」



 え、と声をあげ、ランティスが足元を見やった。しかし、長いドレスに隠されて、裸足かどうかの判断がつかない。赤髪の男は問いたげに隣を見やると、彼女は苦い表情で小さく頷いた。

 それに、ランティスが額を押さえる。



「…早く言え」



 言うや否や、婚約者殿を抱え上げた。ぎゃっと色気のない悲鳴をあげた少女を無視し、灰青の視線を友人へ投げた。



「礼を言う」


「それほどでも」



 にこり、といつも通りの笑顔で答えたユリウスを一瞥した後、ランティスは歩き出した。腕の中でルーヴァベルトが「降ろせ!」と暴れるが、流石軍人、物ともしない。露わになった素足は、葉っぱと土で夜目にも汚れて見えた。


 そうして迷宮の出口へと消えて行った背中を見送ると、ユリウスは目元を抑えた。

 幾度目かのため息を吐く。



 重たい想いは、人知れず、夜闇へ溶けた。

  

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