第89話-2

 彼の人は、思い出の中で、いつだって笑顔だ。ガラドリアルの人間特有の緑がかった瞳が、ヘーゼルナッツの色に似ていた叔父ヨゼフ。口端をにっと吊り上げ、大きく笑う人だった。

 好きなものは釣りと猫、嫌いなものは自分の一族。一貫して政治に興味はなく、精霊王の再来を熱望する一族郎党をいつだって批判していた。

 おかげで親族の集まりでは腫れもの扱い。現当主の弟であるというのに、常に末席に追いやられていた。そのため、ユリウスが叔父と親しくすることに、誰もが苦い顔をした。幼心ながらに懐くべきではないと思っていたが、陰湿な雰囲気が付きまとう親族の中で、ただ一人太陽のように笑うその人を、どうしても嫌いには慣れなかった。

 しかし、それら全てが、本人にとってはどこ吹く風。

 最終的には親族会議で兄に激しく叱責されたのをいいことに、勝手に出奔。直後、どこぞの農家の娘と勝手に結婚し、すたこらさっさと一族から逃げ出したのである。

 それを聞いたユリウスの父である現当主は大激怒。兄弟の母親である祖母は泡を吹いて倒れ、大騒動だったらしい。「売女に惑わされた恥さらし」だと。



 以後、叔父の名は、ガラドリアル家で禁句となった。



 けれど―――ユリウスは、知っている。



 叔父の妻となった女性は、決してそんな人ではなかった。馬鹿でも、売女でもなかった。

 出ていく直前、こっそりと叔父が合わせてくれたその人は、赤みを帯びたブロンドがたっぷりと美しい、そばかすのある娘だった。笑う時、唇をきゅっと引き結ぶ癖がある人だった。干し草と、お日様の匂いがする人、だった。

 自分は叔父の味方にはなれないけれど、どこかで二人きり、幸せにあってくれれば。

 そう、願って、想って。



「きっと、叔父の息子であれば、もっとお前の役に立てただろう」



 嘲りを含んで、ユリウスが口にする。自分は、骨の髄まで「ガラドリアル家」に浸かっていると、自覚があった。

 それに、ランティスは変な顔をした。困っているような、怒っているような、そんな顔で、舌打ちをして、更にため息もつく。



「居ない者など知らん。俺の傍に居るのは、ユーリ、お前だ」



 荒く吐き捨てた。

 丁度近くにいたペアにぶつかりそうになり、ランティスが乱暴にターンする。抱えられる形でくるりと回ったユリウスは、俄かに目を見開き…くしゃりと顔を崩した。



「…お前は、本当に…」



 そこで言葉を切った。続きを声にせぬまま、踊る。

 ランティスは大事な友人だ。それは、紛れもなく本当、で。

 叔父の様になって欲しくないと、思う。

 大切な人と引き離され、どこぞへ幽閉された挙句、若くして生涯を終えた、彼の人の様に、は。



「妄信者は、愚かで不可解だ」独りごちるように、ユリウスが呟いた。



「そして、己の道こそ唯一絶対だと信じて…それを全うするためなら、どんな行為も厭わない」


「それを俺が許すと思うか」


「許されないなど思わないから、手に負えないのだろう」



 くっとランティスが笑う。真面目に聞け、と顔を顰めると、彼は言った。



「一族を捨てられないくせに、俺に助言をするんだな」


「それは…」


「正直、お前の一族はどうかと思うが、一つだけ感謝している」


「は?」


「お前に、出会えた」



 灰青が、笑う。



「お前の一族はクソだが、お前が友であることは、きっと一生感謝し続ける」



 覗き込むような王弟殿下の瞳。そこに、自分が写り込んでいるのを、ユリウスは見た。

 たっぷりと余韻を楽しむ響きを残し、音楽が終わりを匂わせる。それに合わせて、誰しもが歩調を緩めた。

 右に倣いながら足を止めたランティスは、そっとユリウスから身を離し、恭しく終わりの礼を取った。

  

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