第89話

「前回よりも随分リードが上手いじゃないか、ラン」



 皮肉めいた言葉に、赤髪の男はふて腐れた顔で双眸を細めた。

 しっとりとした音楽がホールに響いている。男女が身体を寄せ合って踊る中、ランティスとユリウスもまた、抱き合ってステップを踏んでいた。

 というのも、ルーヴァベルトがユリウスと一曲踊るのを見た御令嬢達が、ならば自分たちもランティスと一曲…と挙って申し込みに来たのである。内何人かは随分しつこく、社交顔で対応していた王弟殿下もいよいよ我慢の限界か、という時に、ユリウスが助け舟を出した。



「残念だけど、次の予約は俺なので」



 群がる娘たちに割って入り、見事赤髪の王弟殿下を助け出した…と言えば恰好が良いが、実際は先の夜会での意趣返しだ。ランティスは、安堵半分、苦さ半分の表情で、曖昧な笑みを浮かべる。

 ちなみに件の婚約者殿だが、令嬢方の迫力に押され、表情を無くし遠巻きに見ていた。勿論、王弟殿下を助けようなどと言う頭は微塵も無い様子であった。

 かくして、男二人が手を取り腰を抱き、踊っているわけである。

 少し離れた場所で、アンリも苦虫を噛み潰したような顔をして踊っている。お相手は妹のマリシュカ嬢。彼女もまた、渋面。ランティスとユリウスの騒ぎに巻き込まれ御令嬢方に取り囲まれたアンリが、妹に相手を泣きついたのだが、彼女は彼女でルーヴァベルトと軽食を見に行くのを邪魔されご立腹なのである。ルーヴァベルトはアーベルと並んで壁の花だ。



「何でまたお前と踊らにゃならんのだ」


「おいおい、助けてやったろ? 感謝しろよ」


「お前がルーヴァベルトと踊らなきゃ、こんなことにはならなかったろ」


「済んだことをぐちぐち言うなって」



 軽やかな声を上げ、ユリウスはちらと壁際へ視線を流す。灰と薄ピンクのドレスを纏った少女は、物珍しそうにホールのシャンデリアを見上げていた。

 眉を顰めたランティスが、灰青の眦を吊り上げ、低く唸った。



「お前、あいつと何を話した?」



 視線を彼に戻したユリウスは、口端を持ち上げ、肩を竦める。



「別に、大したことじゃねぇよ」


「その大したことじゃない話を教えろ」


「やだ、どんだけ嫉妬深いのラン様」


「ぶっ飛ばすぞお前」



 下唇を突き出してふて腐れた友人に、しししと歯を見せて笑った。

 ランティスの腰をぐいと引き、右足を軸にしてぐるりと回す。突然ターンを決めたにも拘わらず、赤髪の男の軸はぶれない。たたらを踏むことなく綺麗に身を翻す仕草に「流石」と緑がかった碧眼を細めた。



「なぁ、ラン」歌うように、問う。



「本気であれを傍に置くつもりか」



 黒髪の婚約者殿を「あれ」と呼ばれ、俄かに顔を顰める。



「それがどうした」



 舌打ち交じりに返すと、無表情に、けれど口元には笑みを張り付けたままのユリウスが、唇を小さく震わせ囁いた。



「うちのが黙ってないぞ。こないだみたいなことが、また起こる」


「わかってる」


「あれに惚れてるなら、もうちょっと賢い選択をしろ。周りが納得するような女を正妻に据えて、彼女は囲えばいいだろう」


「お前…つまらんことを言うなよ」


「何かあった時に傷つくのは、彼女と…お前だ」



 覗き込んだ緑の瞳に、男は、くっと喉を鳴らした。瞼を伏せたかと思うと、底意地の悪い笑みを顔に浮かべる。

 そうして口を開くと、並びの良い白い歯が覗いた。



「お前の叔父のように、か」


「…っ!」



 ユリウスが眉を顰め、ランティスを睨む。が、男はどこ吹く風だ。

 カッと身の内で炎が経つ感覚がした。内臓が、骨が、焼かれている気がして、ユリウスは唇を噛む。



 同時に、脳裏に浮かぶのは―――記憶の向こうにしかいない人の、姿。

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