第84話

「ルーヴァベルト様の、『花』になられた、とか」



 おっとりと微笑むジュジュの言葉に、菫の双眸を一つ、瞬かせた。

 是とは口にしない。ただ、否ともせず、意味ありげに小首を傾げて見せた。

 相手も、それ以上返答を求めなかった。優雅な仕草でソーサーごとカップを取り上げると、薄く色づく唇を寄せる。

 こくり、と口に含むと、飲み込んだ。



「陰日向に支えるということは、とても残酷なお役目ですわ」



 独りごちる口調で、ジュジュが言った。肉に押し上げられた目元は細く、その奥の瞳がじいとマリシュカを覗き見る。

 試されているのか、と思った。己の覚悟、を。

 それとも、懸念しているのだろうか。己と似た立場に立つマリシュカの事を。

 無意識に息を止めていた。力を抜くように、細く吐き出す。鎧の如く浮かべた微笑みを絶やさぬまま、口を開いた。



「私、あの方がとても気に入りましたの。仰る通り、容易き道ではございません。けれど…あの方の為に咲くと、決めましたの」



 それは、自分の意志で。


 役目を受けたのではない。己で選んだ。


 これは矜持。マリシュカの人生が、他人に舵を切られたわけではないという証明。


 真っ直ぐな眼差しを返す亜麻色の髪の少女に、ジュジュは表面から笑みを消した。痛ましさを含んだ瞳が俄かに揺れる。



「私は」と小さく呟いた。



「誰かの決意も、それに纏わる何にも、口出しをする権利などございません。決して咎めるつもりもないのです」



 ただ、と苦いものを噛んだように、口元を歪めた。



「愚かな懸念として…同じく陰に立つ者の言葉を、一つ、聞いて頂けますか」



 たっぷり一拍間を置いて、マリシュカは首肯した。緩く巻いた髪が、踊る様に肩に落ちた。

 ほっと息を吐いたジュジュは、大きな体を揺らし、居ずまいを正す。背筋を伸ばすと、真っ直ぐな視線を相手へ向けた。



「…陰に支えるとは、相手の為に、命を落とすこともありえるということ。けれど…守るべき相手がそれを望まぬ場合がありますわ」



 守るべき相手が、守られることを良しとしない。

 守るべき役目を負った人間を軽んじるわけではない。ただ、優しい情による、拒絶だ。



「場合によっては、貴女の仕事の邪魔をするのが、守るべき相手…ということもありましてよ。ルーヴァベルト様もまた、情の深い御方」



 確かに、とマリシュカは眉を顰めた。

 先の夜会を思い出す。傷つくことも厭わず、自ら戦いに飛び込んだルーヴァベルト。考えるよりも先に身体が動いているように見えた。踊る黒髪と、肌を汚す赤。

 きっと彼女は、自分の代わりに他人が毒を食むことを許さない。

 その時、マリシュカはどうするだろう。

 目の前に投げられた問いへ、安易な回答ができるほど、浅はかではなかった。



「残念なことに、それに対する答えを、今の私は持ち得ません」



 素直に心を声にした。「けれど私は、私の意志を持って、あの方の盾となりましょう」

 それだけは、本当。

 同じく背筋を伸ばし、逸らすことなく菫の視線を前に向けるマリシュカに、ジュジュは苦い笑みを浮かべた。


 羨ましい―――胸の内に浮かんだ想いを、そっと腹の底へ沈める。羨んでも仕方がないことだ。


 彼女と自分では、似た立場であろうと、決して同じではない。彼女のように堂々と、守りたい相手の傍に立つことを、ジュジュは許されない。


 マリシュカは、ルーヴァベルトの為に咲く「花」。


 けれど自分は。



(『存在しない仔』、ですもの)



 じゃりりとした感情を奥歯で噛み砕き、口に含んだ紅茶と一緒に飲み込んだ。胃に落ちたそれは、じわりと温かい。

 同時に、向かい合う少女へ、好感を覚える。

 


 ―――けれど私は、私の意志を持って、あの方の盾となりましょう

 


 あけすけに、そんな言葉を口にできるなど、まだまだ幼いと思う。

 けれど、その素直さが可愛らしい。

 これからきっと、彼女とはそれなりに長い付き合いになるだろう。王弟殿下の婚約者殿を通じて交流することが出てくるはずだ。

 改めて顔に笑みを作る。血色の好い頬に手をやると、愛想よく言った。



「戯言を申しましたわ。どうぞ、お忘れになって」



 マリシュカもまた微笑む。妖精の如くと称される可憐さに、ふっふとジュジュが笑い声を上げた。



「どうぞ仲良くしてくださいませ。きっと上手くやってゆけますわ…お互いの立場が、変わらぬ限り」



 含みのある言葉にも、マリシュカの表情は変わらない。彼女もまた口元を抑え小さな笑い漏らすと、肩を竦めて見せた。



「勿論です。それに私が主とするのはルーヴァベルト様。王弟殿下ではありませんの。私個人としては、皇太子殿下に何の思いもございませんわ」


「ふふ…素直な方」


 静かに扉が開く気配がした。

 新しいワンピースに着替えたルーヴァベルトが、扉の前で一礼する。その後ろに控えたミモザもそれに倣った。

 そそくさと室内に足を踏み入れた彼女は、「お待たせいたしました」と元の椅子へ腰を降ろした。

 二人が同じような笑みを浮かべ、ルーヴァベルトを迎え入れた。その空気に、彼女は曖昧な表情を浮かべる。



「ええ、と…」



 交互に二人を見やると、僅かに首を傾げた。状況を測りかねているのだろう。

 徐にビスケットを抓み上げたマリシュカが、それをルーヴァベルトへ差し出す。反射的に口を開けてしまった彼女は、「しまった」と眉を顰めたが、口が閉じる前にビスケットが放り込まれた。

 ふっふと二人が笑う。仕方なくルーヴァベルトは口の中の物を咀嚼すると、ごくり飲み込んだ。


「さぁ」とジュジュが言った。



「お茶会の続きを、始めましょう」

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