第83話

 マリシュカがにこにこと笑っている。

 向かいに座るジュジュもまた、おっとりとふくよかな頬に笑みを浮かべていた。

 二人に挟まれる形で腰掛けたルーヴァベルトは、少しばかり気まずさを噛み殺し、右に倣えで顔に笑みを作っていた。



「まぁ! ではルーヴァベルト様は、ジュジュ様に師事されていらっしゃるのですね」



 たっぷりとした亜麻色の髪を揺らし、マリシュカが歓声を上げる。黄色い声に内心ぎょっとしたルーヴァベルトに対し、ジュジュは朗らかに口元へ手をやった。



「基本的な座学だけですわ。専門的な分野ではありませんもの」


「謙遜なさって。人に何かをお教えできるなんて、それだけで素晴らしいです。物事を噛み砕き伝えると言うことは、とても難しい事ですもの」


「まあ、嬉しい。こんなに褒められるなんて、舞い上がってしまいそう」



 両手を頬にやり、ジュジュは肩を竦めて見せた。

 楽しげに笑いあう二人を余所に、ルーヴァベルトは紅茶を一口、含んだ。最近は多少慣れてきた紅茶には、たっぷりのミルクと砂糖。こうして飲めば胃荒れを起こすことが少なく、甘くて飲みやすいだろうと言ったのはジーニアス。今後お茶会に招かれることも増えてくるため、いつまでも紅茶が苦手とも言っていられないと、ささやかな小言を添えて。

 以来、少しずつ紅茶を飲む回数を増やしている。ミルクで紅茶の味が薄まり、更に砂糖の甘さも手伝って、初めて紅茶を美味しい飲み物だと思った。そもそも飲み慣れていない上、そのままだと苦さばかり感じていた紅茶だったが、これならば喜んで飲めるな、と心の内で独りごちる。流石執事殿、とこっそり称賛した。


 それにしても、令嬢二人は随分盛り上がっている。お互いに面識はなかった様子だったが、そんなことは微塵も感じさせぬ程楽しげだ。ルーヴァベルトが知らぬだけで、貴族同志と言うのはそういうものなのかもしれない。正直、自分抜きで盛り上がってくれるのは大変結構なことだった。


 喉を滑り落ちて行った甘さに、仄かに口元を緩めた。そっと視線をローテーブルの上へやる。真ん中に、綺麗に飾りつけられた茶菓子の皿。今日はチョコレートを挟んだビスケットに、一口サイズに切り分けられたパウンドケーキだ。

 あれが取って食べたい…と猫目で凝視した。



(ビスケット…いや、ケーキ…どっちを先に…やっぱビスケット…)



 考えつつ、客人より先に手を伸ばしてよいものかと眉を寄せる。これがマリーウェザーとのお茶会ならば、煩わしい思いもせずに好きに口へ運べるものの。

 様子を伺うように、ちろりと視線を客人へ向けた。

 と、当の二人が、微笑ましげな表情を浮かべ、ルーヴァベルトを見つめている。



「…ッ!」



 驚いて、拍子にカップを持つ手が揺れた。あ、と声をあげる間もなく、カップの中でくるりと揺れた紅茶が、僅かに零れ、スカートへ散った。深い緑のワンピースの裾に、じわり染みが広がる。



「ルーヴァベルト様!」



 控えていたミモザが駆けより、お仕着せのポケットからハンカチを取り出すと、さっとスカートを抑えた。



「火傷は」


「あ、大丈夫、です」



 慌ててソーサーへカップを戻し、気まずげに猫眼を瞬かせる。困った様子で下がった眉に、マリシュカとジュジュが申し訳なさそうに身を小さくした。



「申し訳ありません、ルーヴァベルト様。つい、見入ってしまいまして…」


「私もですわ。お菓子を見つめられる姿が、お可愛らしくて」


「あ、別に…え?」



 二人のせいではないと返そうとし、言動の可笑しさに首を傾げる。怪訝な表情で眼をぱちくりとさせた彼女に、二人はふっふと口元を抑え声を漏らした。



「だって」とマリシュカが嫣然と口元に孤を描く。



「とても一生懸命お菓子を選んでいらっしゃるんですもの」



 ジュジュも頷き、丸い頬を揺らして笑い声を上げた。



「そうですわ。そんなに悩まずとも、お望みでしたら全て差し上げましたのに」


「い、や…そんな」


「遠慮なさらないで。ルーヴァベルト様が美味しそうに食べる姿を拝見するのが、とっても好きですのよ」



 その言葉に、唖然と顔を引きつらせる。跪いてスカートの染みを叩いていたメイドは、同意とばかりにこっそりと微笑んだ。

 無性に恥ずかしい気分になり、ちらと視線をマリシュカへ向けた。すると彼女は「そうだわ」と手を叩き、皿からビスケットを一つ、抓み上げた。



「食べさせて差し上げますわ」



 さし出されたそれへ、反射的に口を開けていた。しまった、と思った時には、ビスケットは口の中。

 マリシュカは嬉しげに頬を赤らめている。ジュジュも、微笑ましいと言わんばかりの表情だ。

 流石に気恥ずかしくなり、急いで咀嚼し、飲み込んだ。頭がカッと熱くなる。からかわれているのだろうが、どう返せばよいのかわからない。



(ご令嬢の冗談とか、性質悪ぃだろ!)



 胸の内で悲鳴をあげた時だった。



「ルーヴァベルト様。御召し物を着替えた方が宜しいかと」



 いつも通りの無表情で、ミモザが告げた。「染みになってしまう前に」

 助け舟だと、ルーヴァベルトは大きく頷いた。



「す…申し訳ありません。着替えて参りますので、少し席を外します!」



 言うや否や、早足で出口へと向かう。立ち上がったメイドは、客人へ一礼し、その後を追った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る