第82話-3

 会話が途切れ、エヴァラントはほっと息を吐いた。あまりつつかれたくない所を、彼らは的確についてくる。誤魔化そうにも、全てばれている気がして、少し居心地が悪かった。

 改めて本に向き直る。青緑の表紙を左手で一撫ですると、そっとページを捲った。

 どこまで読んだか…考えつつ、自作の辞書を取り出した。辞書とは言っても、古文字の単語を片っ端から記しているだけである。しかも字が汚い。きっと、エヴァラント以外の人間には解読できないであろう品だ。


 しおりを挟んでいたページを開き、指でなぞりながら文章を追いかけた。じっくりと丁寧に文字を拾い上げていく。この作業が好きだった。文字は自分で「解読」するもので、勝手に何かが「見える」ものじゃない。だから、好きだ。


 作業に没頭している間、双子は大人しくソファで寛いでいた。イラーレは本の続きを読み始め、隣でガジャは転寝を始める。ページを捲る音と、時折、口内で飴玉を転がす音だけが、遠くに聞こえた。


 文字の海に沈んでゆく。


 徐々に周りの音が消えてゆき、深く水の底で蹲る様に、頭の中で自分の声だけが反響する。


 その心地よさに、完全に落ちると思われた…その時。



「ありそう? 『王の獣』に関する記述」



 不意に、イラーレが、言った。

 ぱちん、と泡がはじける様に、現実に引き戻される。追いかけていた文字の居場所がわからなくなり、エヴァラントは眼を瞬かせた。

 本から顔を上げたイラーレは、空色の視線で革表紙の本を示した。「知りたいんでしょ。赤い鷲と銀の狼のことが」

 驚きに、思わずぽかんと口を開く。そんなエヴァラントに、双子の片割れがにんまりと口端を持ち上げた。



「知ってるよ、エヴァの研究内容くらい」


「…君らは俺に興味ないと思ってた」


「まさか。さっきも言ったでしょ。僕ら君の事が大好きなんだって」



 目を覚ましたのか、ガジャが大口をあけて欠伸をする。掌で擦った寝ぼけ眼を、ぼんやりとエヴァラントへ向けた。



「何の話?」と首を傾げる。



「エヴァの研究の話」


「あぁー…動物の話かぁ」


「そうそう。鷲の声と、狼の眼の話」



 今度は欠伸をかみ殺しつつ、ガジャが伸びをする。



「全然文献残ってないんだよねぇ。公で閲覧できる資料じゃ、ほとんど何もわかんないし」


「機関内の蔵書全部読んでも、どれもこれもあやふやだったもんね」


「こんだけ資料少ないと、何か隠してんのかぁって思っちゃうよねぇ」


「だね。王家所蔵の書庫に入れれば何かあるかもしれないけど…流石に忍び込むのは、難しいかな」


「暇つぶしには丁度いいかもよぉ? 警備を掻い潜って中に入るとか、面白そう」


「となると、まずは見取り図手に入れるところからか」



 顔を見合わせ悪戯な笑みを浮かべた双子に、思わずエヴァラントが裏返った声をあげた。



「ちょ…っと待った!」



 立ち上がり、二人に向き直る。二対の垂れ目が彼を見やり、同じタイミングで眼を瞬かせた。

 ボサボサ頭に手をやり、「ええと」と考えをまとめつつ、エヴァラントが口を開く。



「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってね。頭がこんがらがって…え、機関内の蔵書全部読んだって何? てか、『王の獣』に関する文献、そんなに少ないの…てそれより、王家の文庫に忍び込むとか絶対駄目だから! 捕まる!」



 頭を抱えて大声を上げた彼に、双子が楽しげに笑った。

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