第81話-2
吸い込まれて、飲み込まれて、奪われてしまいそうな双眸。
ぞっ、とした。
なのに、目が逸らせない。
灰を含んだ青が、それを許さない。
じわじわと足元から何かを奪われていく気がした。それはどうして心地よく、気を抜けば全身の力が抜けてしまいそうになる。思考が、止まる。身を委ねてしまえれば、どれ程楽になることか。
「失せし王の眼」―――向けられた視線がそうだとは気づかぬまま、ルーヴァベルトの赤茶の瞳が僅かに揺れた。
と、次の瞬間。
「…ッ!」
頤に触れる男の手を、思い切り振り払った。同時に、顔を思いきり捻り、眼を背けた。
驚いたように、ランティスが眼を瞬かせる。
「ルー…」
「余計なお世話だ!」
足を踏ん張り、両手でスカートの裾を握りしめた。鼻で大きく息を吸い込むと、床を睨めつける。磨き上げられた面に、自分と男、二人の影が落ちていた。
頭の中がくらくらと揺れる。見えざる何かに、脳を掴まれていたような違和感を感じた。動悸が激しい。指先が震えるのを隠し、ぐっと拳を握りしめる。
顔を上げることができなかった。
今、赤髪の王弟殿下を見るのが、その双眸に捕えられることが、怖い。
「別に、大人ぶろうなんざ、思っちゃいない」
絞り出す声で、言葉を紡ぐ。
震えるな、震えるな。声が震えていることを、決して相手に悟らせるな。
「そんなんじゃない」と、息を吐きながら続けた。
「ただ、私が私で、いたいだけだ」
ゆっくりと、平常が戻ってくる。胸の奥で早鐘を打っていた心臓が、ゆっくりと元の速度で音を刻む。
鼻で息を吸い込み、細く吐き出した。もう大丈夫と、心の内で独りごちた。
顔を上げた。
真っ直ぐに、相手を見上げる。頭一つ分高い場所にある灰青の瞳と目が合った。一つ瞬いた双眸は、今はもう、感情の色が宿る。驚きと、僅かな喜色。
先程までの恐ろしさは感じなかった。それに、ほっとする。けれど気づかれぬよう、睨み続けた。
払いのけられた手を見やり、ランティスはにんまりと笑みを浮かべた。
くっくと喉を鳴らす。「流石」
改めて婚約者殿へ視線を向けると、口端を弓なりに、告げた。
「やはり、お前が好きだ、ルーヴァベルト。何より、一番愛おしい」
突然の言葉に、彼女は怪訝な表情を浮かべる。けれどランティスは上機嫌に、もう一度少女の手を取った。
触れられ強張った片手を、逃がさぬとぎゅっと握りしめる。
「何を言おうが、どう伝えようが、お前にはわからんのだろうがな」
それでもランティスは彼女を愛している。
何度でも、小指に誓うだろう。
心臓も、頭も、手足も、ランティスの全てを、ルーヴァベルトに捧げることを厭わぬ程に。
そして、望んでくれるなら。
「お前を真綿に包み、屋敷の奥深くに隠して、二度と誰の手にも触れられぬようにするものを」
すると、彼女の眉間に刻まれた皺が、更に深くなった。
「絶対に、嫌だ」
「だろうな」
返事はわかっていた。
言ってみただけだ。
これはただの、ランティスの勝手な願望で。
「俺は、お前を愛している」
濃紺の、軍服の裾を引いた婚約者殿の姿が、脳裏に浮かぶ。ほんの一瞬の幸せ。
「だから出来る限り、お前の望まぬことをしたくはない」
「…胡散臭ぁ」
「そう言うな」
逃げ出そうと握られた手を引くルーヴァベルトに、逃がす気もなく指に力を込めながら、にっこりと笑みを向けた。
「お前が望まぬから、俺はお前を閉じ込めないし、ボサボサ頭の兄貴も追いかけない。お前が許すのであれば、マリシュカ嬢がこの屋敷に留まることも許そう」
「え」
「同じ年頃の友人が側に居るのも、良い刺激になるかもな」
「いや、あの…」
「お前が手元に居るのであれば、俺は、寛容なふりをしてやる」
そっと手を離した。
だから、と苦いものを噛むように、顔を歪めた。
「偶にでいい。エヴァラントではなく、俺を、選べ」
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