第72話-2

 扉が二度ノックされ、カートを押したミモザが入ってきた。カートの上には、色とりどりの可愛らしいお菓子が、花と共に綺麗に飾り付けられた。

 途端、ルーヴァベルトの視線が釘付けになる。頭の後ろで一つに結んだ黒髪が、尻尾のようにふわりと揺れた。



「失礼致します。こちら、ファーファル様から頂いたお菓子でございます」


「え、マリシュカ様が?」


「はい」



 淡々と告げたメイドの言葉に、少女が眼を瞬かせる。



「先日のお礼ですわ」


「そんな…」


「どうぞ、召し上がって下さいませ」



 どうすべきか思案するように、ルーヴァベルトはミモザを見やった。メイドは小さく頷き、取り皿を手に取る。



「お取りいたします」


「あ、じゃぁ、マリシュカ様から…」


「これはルーヴァベルト様にお持ちしたもの。どうぞ、私の事はお気になさらず」



 気遣いは即座に切り替えされ、更におろおろと困った様子の少女に、ミモザが言った。



「ルーヴァベルト様。こちらは木の実のタルト。その隣は、シロップ漬けにした苺のムースです。クリームをつけて頂くのが美味しいかと」



 淡々とされる説明に、思わずごくりと喉が鳴る。先程までの惑いは何だったのか、既にルーヴァベルトの心はお菓子だけに向いていた。



「こちらのクッキーは、ジャムが乗っています。先日、同様のクッキーを召し上がった時、とてもお気に召していたかと思いますが」


「あ、あれ! 美味しかった!」



 ぱっと顔を輝かせ、ミモザを見やった。

 顔から作り笑いが剥がれ落ちていた。客人がいるのも忘れ、菓子を夢中で見やる表情は、真実彼女本来のものだ。


 その様子に、メイドの表情が緩む。口端に笑みを浮かべ、ちらと横目で客人を盗み見た。


 マリシュカは、笑っていた。


 口を弓なりに、堪えきれぬように、笑っていた。


 妖精のような微笑みではなく、どこか妖艶な嗤い。


 が、それもすぐに隠される。膝の上に置いていた手で口元を覆い、いつも通りの微笑みを上書きする。



「ど、どれ食べていいですか?」


「全てルーヴァベルト様のものですわ」



 亜麻色の髪を揺らし、菫の双眸を細めた令嬢は、おっとりと告げる。「どうぞ、召し上がって下さいませ」

 その言葉にルーヴァベルトは再度ミモザを見やり、彼女が頷いたのを見て、ぱっと顔を輝かせた。

 僅かに心の壁が揺らいだ。そう感じたマリシュカは、徐に立ち上がった。取り分けた皿を渡されたルーヴァベルトの側にするりと腰を降ろすと、隣り合って座る。

 フォーク片手に食べる態勢に入っていたルーヴァベルトは、驚いた表情で赤茶の瞳をぱちくりとさせた。



「え、マリシュカさ…」



 薄い黄色のワンピースを纏った彼女は、近くで見ても陶器のような肌で、澄んだ瞳は菫の花弁をそのまま硝子に閉じ込めたよう。眼を奪われる美形だな、と頭の隅で誰かが呟くのを聞いた気がしたルーヴァベルトは、その通りだと息を飲む。

 そんな彼女の手から、マリシュカがフォークを奪う。え、と声を上げたルーヴァベルトへにこりと笑みを返し、皿の上のムースを切り分け、その一片をフォークで刺した。



「はい、あーん」



 反射的に口を開けたルーヴァベルト。舌の上に置かれたムースは、甘くて、しゃわりと溶ける様に軽い。

 美味しい、と思うと同時に、何だこれ、と困惑した。

 けれど彼女はお構いなしに、次々菓子をルーヴァベルトの口へ運ぶ。さながら、先日の夜会と同じく。

 結局、あっという間に皿は空っぽになってしまった。驚いた表情のまま口を動かしているルーヴァベルトの後ろで、同じくメイドも驚いた顔をしていた。

 そんなミモザへ皿を差し出し、マリシュカが小首を傾げて見せる。



「お代わりを頂けるかしら」



 一度眼を瞬かせたミモザは、すぐに皿を手に取ると、菓子をよそいはじめた。

 最後の一口を飲み込んだルーヴァベルトは、一拍置いて、口を開いた。



「あの、マリシュカ様?」



 どう尋ねようか言葉を探す。何をどう聞けばよいかわからず、膝の上に置いた手の甲を、もう一方の手で撫ぜた。



(貴族令嬢って、こういうもんなのか?)



 胸の内に浮かんだ疑問を、いやいや違うだろうとすぐに打ち消した。

 距離感が近すぎる。

 しかし、考えてみれば、赤髪の男も随分距離感が近い。特に、出会った当初は酷かった。思い出すと腹が立ち…少しだけ、腹の底がきゅっとなる。

 考え込んで俯いた少女の頤を、細い指先がついと持ち上げた。上向いたルーヴァベルトの視界に、菫の双眸が飛び込んでくる。至近距離にある綺麗な顔に、無意識に息を止めた。



「ルーヴァベルト様」蕩けるような極上の笑みと、甘い甘い声が、名を呼ぶ。



「私、ルーヴァベルト様の事が、とっても好きになってしまいましたの」


「え」


「だから、お友達になって下さいません?」



 一瞬、「好き」という言葉の意味を考えた。好きってどの「好き」だ、と。

 けれど、続いた言葉の「お友達」に、ほっとする。自分の自意識過剰さに、少しだけ照れる。



(んなわけあるかっての)



 赤髪の男に同様の言葉を投げられ過ぎて、少しおかしくなっていたらしい。考えを振り払うように二度、目を瞬かせ、出来る限りの笑顔を作って見せた。



「えと、私でよければ…」



 瞬間、菫の瞳がぎらりと輝いた。


 マリシュカの、華奢な指がルーヴァベルトの手を取る。さりげなく手の内に触れると、微かに傷跡を感じた。

 気づかぬふりをして、小指の先を抓む。自分とは違い、少し武骨な症状の指先。


 そっとそっと持ち上げ―――唇を、落とした。


 ぞわり、ルーヴァベルトの肌が泡立つ。背後で、ミモザが息を飲んだのがわかった。

 小指に触れた柔い唇は、たっぷり一拍置いて離される。

 身を固くした少女に、変わらず妖精に似た麗しの令嬢は、これ以上ない程恍惚の表情で、口元を三日月に囁いた。




「私の『花』を…貴方へ、捧げますわ」

  

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