第65話

 婚約者殿の有様に、ランティスは身の内から火が出るかと思った。


 その背に続いたユリウスは、息を飲み口元を抑える。最後にバルコニーへ足を踏み入れたアンリは、仕切りが捲れぬよう、後ろ手に薄布を握った。

 ぎゅっと唇を引き結び、大股でルーヴァベルトへ歩み寄る。強張った顔には明らかな怒りが浮かんでおり、灰青の双眸が冷えた炎を宿して爛々と輝いていた。

 目の前に立つ赤髪の男を、ルーヴァベルトが見上げる。どんな顔をすればよいかわからず、結局怒ったような、困ったような、曖昧な表情を作った。ランティスの背後にユリウスの姿が見え、笑った方がいいだろうか、とも思ったが、流石に違う気がしてやめた。

 じいと婚約者殿を見据える王弟殿下。その後ろで、顔を歪めたユリウスが、低く呟いた。



 「早く…手当を」



 しかし、それを無視し、ランティスがルーヴァベルトの腕を掴む。もう一方の手で彼女の肩を抱くと、無言のまま歩き出した。



 「ちょっ、おい、ラン!」



 慌ててユリウスが声をあげるが答えない。マリシュカは無表情にその様子を見送るだけで、何も言わなかった。

 腕の中のルーヴァベルトは、されるがままについて歩いた。この状態で、他の客の前には出られない。これからどうすればいいか、彼女には皆目見当もつかなかった。今は、おとなしくランティスに従うことが得策だろうと、男に歩調を合わせる。

 その前に立ち塞がったのは、ユリウス。



 「待てって! 広間を突っ切る気かよ!」



 緑がかった碧眼でランティスを睨む。赤髪の男は臆することなく、ただ低く唸った。



 「退け」


 「退くかよ。ルーヴァベルト嬢をそのまま中に連れて入ってみろ。明日にゃとんでもねぇゴシップのネタにされちまうぞ」


 「煩い」


 「頭冷やせ、馬鹿が!」



 声を荒げると、ユリウスは男の腕を掴む。鋭い視線を向けてきた相手を負けじと睨めつけ、低く告げた。



 「下に抜ける階段がある。そっちから出るぞ。部屋を用意するから、とりあえずそこに」

 

「…」


 「腹立ててんのはわかる。言いたいこともあるだろうが、まずは怪我の手当が先だろ」



 きゅっと唇を引き結んだランティスは、結局強張らせた全身から力を抜いた。自分を見上げる婚約者殿の赤茶の瞳へ眼差しを向けると、ゆっくりと灰青を瞬かせる。



 「そう、だな」



 わかった、と息を吐いた。

 同じくため息交じりに緊張を解いたユリウスは、壁沿いのバルコニーの端を視線で示す。先程までルーヴァベルト達が座っていたベンチのすぐ側だ。



 「手すりの一部が開閉式になっていて、外に階段がある。そっから下へ降りれるから」



 そう言うと、マリシュカを見やる。



 「マリシュカ嬢、悪いが…」


 「ええ、私と兄は、一度広間へ戻りますわ」



 にこりと妖精の笑みで、彼女が答えた。片眉を跳ねたユリウスだったが、苦笑いで頷いた。



 「話が早くて助かる。悪いな」


 「お気になさらず」



 ユリウスを先頭に、三人が歩き出した。バルコニーの端まで行くと、手すりの留め具を外し、内に引く。簡単に開いた扉をすり抜けて、闇に紛れる様に階段へと消えて行った。

 その背を見送りつつ、マリシュカは兄の側へ向かう。隠す必要がなくなったと判断したのか、薄布を抑えるのをやめた彼もまた、足早に妹へと近づいてきた。

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