第47話
急に吹き抜けた強い風に、黄色の花弁が宙を舞う。
そのまま、濃紺のドレスへ落ちた。明るい花弁は深い色に馴染まず、浮き上がった違和感だけがはっきりと感じられた。
指先で黄色を抓み上げ、宙へ放る。柔い花弁はひらりと一回転すると、離れた土の上に落ちた。
感じた違和感は、ルーヴァベルト自身だ。
この花園で、自分だけが馴染めないまま。
気持ちが落ちてゆく。鮮やかな花々が、嘲笑うように揺れた気がした。
その場にしゃがみ込むと、膝を抱えて、深く息を吐く。
(こんなんじゃ、駄目だ)
腹の底に溜まった黒い澱を、絞り出すように、ゆっくりと長く呼吸し…ぐっと上向く。
立ち止まって至って仕方ない。うじうじして、腹が膨れるわけでもなし。
今自分がここに居るのは、自身の選択の結果に他ならない。
それがどれだけ、歪な形だとしても。
「よしっ!」
気合を入れ、立ち上がった。
その時。
何で、と言われれば困る。
けれど、確かに感じた。
痛いような、痒いような、不愉快な生臭さ。安い酒と混ぜ物をした煙草の煙が、ごった煮になったような不快感。
―――公娼街の裏側で、男たちが纏っていた、下卑た臭いだ。
思うより先に、身体が動いた。
たっぷりとしたボリュームのスカートに沈む形で、前のめりにしゃがみ込む。
同時に、頭上を細長いものが風切音をさせ、突き抜ける。反射的に目で追いかけたそれが、離れた場所で落ち、花の中に消えた。けれどわかる。あれは、矢、だ。
すぐに両手で頭を抱え、転がる様に走り出した。屋敷とは反対方向だと気付いていたが、立ち止まれば死ぬ、と本能的に感じた。足元では折角の花が蹴散らされている。正直、ヒールも脱いでしまいたいが、とにかく身を隠せる場所まで行かなければ、という一心で走り続けた。
向かう先に、中庭をぐるりと取り囲む林があった。こことは違い、木々が茂っているため、余程の腕でなければ飛び道具も使い辛いだろう。ルーヴァベルト自身も動きづらいやもしれないが、弓矢を持っている相手と、こんな見通しのよい場所でやり合うよりは余程マシだろう。
赤、白、黄色と花弁を巻き上げ、濃紺のドレスを翻しながら、中庭を取り囲む林の中に飛び込んだ。
矢で狙われた。
明らかに、ルーヴァベルトを狙っていた。
矢尻が掠めていったのは、直前まで自分の頭があった場所。一瞬反応が送れていれば、こめかみを打ち抜かれていたかもしれない。
ぞっとする。
ああ、何だってんだ、ちくしょうめ! 内心で悪態をつきながら、歯を食いしばって走り続ける。踵の高いヒールは走りにくく、ボリュームのある長いスカートは邪魔でしかない。既にあちこち引っかけて、かぎ裂きがいくつもできていた。
林を抜けると、こんもりとした葉で覆われた低木が連なって植えられている場所に出た。その内の一つの陰に飛び込むと、その場でヒールを脱ぎ捨てる。ついでにスカートの裾を捲り上げ、中に履いていたパニエも脱いで捨てた。嵩張っていたものが無くなり、幾分動きやすくなる。それでも長くて邪魔なドレスに、忌々しげな舌打ちをした。
しかし、こんなところでぐずぐずしている暇もない。
辺りの様子に注意を払いつつ、四つん這いで低木沿いに進む。他よりも大きめな低木を見つけ、葉をかき分け中へ潜り込むと、外から見えぬようドレスの裾を引き寄せた。
その直後、走ってきた方から足音が聞こえ、ひゅっと息を止めた。
ぼそぼそと話し声がする。音からして、男らしい。少なくとも三人はいるようだ。
小さな声をかき集める様に、神経を集中し耳をそばだてる。
「…したか」
「いや…遠く…この辺り…」
「さ…せ」
探している。
ルーヴァベルトを探している。
ざわりと泡立つ腕を、抱える様にして身を縮ませた。代わりに眼を大きく見開き、呼吸は浅く浅く息を殺す。
かちゃかちゃと金物が鳴るのが聞こえた。相手は武器を持っている。対して、自分は丸腰だ。
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