第44話-2
「祝われるようなもんじゃないですよ」
捻りだした返事は、酷く皮肉めいたもので。
きっとエーサンを困らせるとわかっていた。口下手な男は、小首を傾げ、口元に苦く笑みを浮かべただけだった。
こんなことを言いたかったわけじゃないのに。
先程までとは一変、沈んだ心の内側でため息をつく。師と仰いだ男に、もっと話したいことがあったのに。
毎朝の鍛錬を忘れていないとか。
ダンスは、慣れてくると少し武術に似ているとか。
いつかもう一度、手合わせをして欲しい、とか。
けれど、いざとなればどう言葉にしてよいかわからない。
空の上で風が渡る音がした。ざざざと枝葉を揺らす夜の風は、日中より冷たく感じた。
不意に、エーサンが横を向いた。視線の先は、深い闇色に染まった木々が覆い茂っている。
まさか誰かいるのだろうか…と、眉を顰めそちらを睨めつけるが、生憎の暗さで何も見えない。
ちらとエーサンを振り見ると、彼は小さく首を横に振った。風の音を勘違いしたのやもしれない。
エーサンは懐に手を突っ込むと、中から長細い箱を取り出した。
無垢でできたそれを、大切そうに撫ぜると、ルーヴァベルトへ差し出す。
「これを」
彼女は箱を一度箱を見やると、男を仰ぎ、小さく眼を瞬かせた後、もう一度箱へ視線を落とした。エーサンは不精髭の生えた顔で、へにゃりと柔く微笑んでいた。
黙って受け取り、蓋を開けてみる。
―――中には、銀細工の簪が一つ、納められていた。
細い棒状の本体の先に、小さな花が丸く細工されていた。花弁には仄かに赤色が乗っている。花の下には鎖が二本垂れており、先っぽには小さな赤い硝子玉が。髪に差せば揺れるようにできているのだろう。
お祝いだ、とエーサンはぼそぼそと呟いた。
「どんなものがいいか、迷ったのだけど…」
貴族の元へ嫁ぐのであれば、何でも揃っているのだろうと思った。
足りないものなど無いだろう。満ち足りたりた生活をしているに違いない。
それでも、何か贈りたかった。
エーサンが、「ルー」のために。
「ルー」
柔い声が、名を呼んだ。
「永久にお前を害するものを失せる様に、我が名を持って言祝ごう。向かう先が、例え、どのような道であったとしても」
俄かに赤茶の瞳を揺らした少女の、贈り物を持つ手を包むように握る。男の体温は、ルーヴァベルトよりも低く、武骨で荒れた指先は、ささくれ立っていた。
その手がどれだけ優しく強いかを、知っている。
受け取れない、と思った。
こんな、女に渡すようなもの…受け取れない。
けれど。
(…くそっ…)
きゅっと唇を引き結んだ。
これを渡すために、ルーヴァベルトを祝うためだけに、師と仰ぐこの男は、ここまで忍んで来てくれた。
不器用な人だ。この簪を選ぶのに、どれだけ悩んだことだろう。
どんな気持ちで、これを選んだのだろう。
…それを思えば、受け取らぬことなど、できなかった。
例え、ルーヴァベルト自身が、受け取ることをどう思っていたとしても。
もう一度、無垢の箱へ視線を落とした。月の光を吸い込んで、淡く輝く銀の花。細やかな細工がしゃらりと鳴く。
高価な品であろうに、と猫目を細めた。
赤茶を一つ瞬き、「先生」と呼んだ。
顔を上げる。出来るだけ、柔く、優しく、微笑みを浮かべた。
「大事にする」
素直な気持ちを込めて、言葉が零れ落ちる。
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