第41話

「忘れてましたわ。結婚式より前に、婚約式がありましてよ」



 不穏な単語に、ルーヴァベルトは頭を抱えたまま視線を上げた。ふわふわの笑みでにこにこと自分を見ているジュジュは、小首を傾げる。



「やはりご存じなかったようですわね」


「…嫌な予感しかしません」


「まぁ、そんなことを仰って」



 至極真面目に告げたのだが、冗談と受け取られたらしい。うふふと軽くあしらわれ、がっくり肩を落とす。

 内心を知ってか知らずか、ジュジュはおっとりと続けた。



「婚約式というのは、王族…また、一部の貴族間で行われるもので、国王陛下と精霊王の前で、婚約を宣誓する、という式典ですの」


「それ…結婚式とどう違うんです?」


「結婚式は、小指に愛と永遠を誓うもの。婚約式は…平たく言えば、地位を持つ者が、『既に婚約済だから、無用な横槍を入れるな』と周りに知らしめる儀式ですわ」



 小指、という言葉に、更に「げぇ」と潰れた呻きを上げた。


 小指は愛の指と呼ばれ、小指へのキスは、敬愛、そして束縛を捧げる証である。

 その行為は神に「自分は相手に心臓を捧げ、命ある限り相手からの束縛を許す」と誓う神聖なもの。信心深くなくとも、この行為は軽々しくするべきではないと考えられており、基本的に生涯ただ一人の相手のみへ捧げるとされる。


 故に、結婚式で行われることが常なのだが…。



(結婚式…結婚式かぁー…)



 ああくそ、考えてなかった、と小さく舌打ちをする。

 ランティスと結婚する、ということに関しては、不承不承諦め交じりに受け入れていた。自分が選んだ道だ、仕方がない。

 けれど、結婚式やら国王陛下の前でなんやら等は、全く頭に無かった。



(なんでそんな御大層なことを…)



 呪わしい気持ちになったところで、相手が王弟殿下であったことを思い出す。くそっ、あいつのせいか、と歯ぎしりをする。

 大勢の前に引っ張り出されるのも嫌でたまらないが、そこで小指に愛を誓え、というのに寒気がした。冗談じゃない、見世物ではないか。

 俯いたまま黙り込んだルーヴァベルトに、ジュジュは困った様子だ。



「元気を出して下さいませ、ルーヴァベルト様。その、大聖堂の装飾は本当に素晴らしいんですのよ」



 必死に慰めようとするが、話題が全く心に響かない。


 彼女曰く、豪奢絢爛な大聖堂には、精霊王や彼が従える鷲と狼、五人の部族長を表す壁画が壁に天井にと描かれているらしい。細々とした細工は、一昔前の有名な細工師の手の物。一般ではそうそう拝める品ではないから…と言われても、ルーヴァベルトの興味を引く話ではなかった。



「中でも素晴らしいのは、赤き鷲と銀の狼の彫像ですの。一鳴きで大軍をも意のままに操ったとされる鷲が大きく羽根を広げる姿はとても優美で、今にも飛び立ってしまいそうですし、全てを見通す眼を持った狼に見つめられると、何もかも暴かれてしまう気がして…」



 記憶の中を見つめる様に、宙をうっとりと見やるジュジュの柔らか頬が、仄かに上気し染まる。甘いため息に、よほど好きなのだなと思う心は随分覚めていた。

 彫像も絵画も有名な細工師もよいので、どうにか面倒な式典をしない方向で話が進まないだろうか、と思案する。脳裏に浮かんだ赤髪の男が、「それは無理」と笑顔で言うので、むかっ腹が立った。意識の中でさえ腹立たしい男である。


 と、ふと思いつく。



(いや、そんな話、出てもいないわけだし…もしかしたらやらない方向性だってありうるのでは)



 前向きな思い付きに、ぱっと顔を上げた。

 突然明るい表情を浮かべたルーヴァベルトの内心を読み取ったのだろう。ジュジュが苦笑を浮かべた。



「多分、やらない…ということにはなりません」



 一刀両断。再度、がくりと肩を落とした。



「まだお話が出ていない、ということは、直ぐ直ぐに行う予定ではない…ということでしょうね。もしかしたら、何度か夜会に出席して、ルーヴァベルト様の存在を知らしめて、時期を見て…とお考えなのかも」


「知らしめて頂かなくてもいいんですが…」


「楽しみですわねぇ」



 切実な願いをおっとりと流し、家庭教師は変わらず微笑む。それから、そっとルーヴァベルトの手を取った。

 大丈夫ですわ、と握る手に力を込めた。



「申し上げたでしょう? 私は貴女に、戦う力を差し上げる、と」



 盾と、剣、そして全てを振り払う槍、を。


 大丈夫、とジュジュは繰り返す。



「貴女の身についたもの、身につけてきたものは、誰にも奪えない力。目に見えぬ武器は、どんな姿であろうとも、例え何処へ行こうとも、貴女を守り戦う力をくれるもの」



 これから先、立ち向かう世界。そこで立っているための力を、自分が貴女に叩き込んだことを忘れるな、と。



「背筋を伸ばし、前を見なさい。ここはもう、貴女の生きる世界なのですから」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る