第36話
露骨に興味なさげなルーヴァベルトの様子に、やれやれと内心ため息をつく。それでも、客の目のある時だけでも作り笑いをする姿勢は褒めてやりたい。
「人前では婚約者たれ」と口を酸っぱくして言い含めた甲斐があった。この一か月の努力が報われる思いだ。
ダンスや礼儀作法、その他諸々は何とか形になった教え子だったが、一点、表情だけが何とも難題であったからだ。
存外素直に顔に出てしまうルーヴァベルトは、「楽しそうに」「嬉しそうに」「幸せそうに」「うっとりと」と言った表情作りが全く持ってできない。どれもこれもぎこちなく顔を歪め、一層不機嫌な顔に見える始末だった。
あまりの不出来に眩暈がした。一応、彼女も申し訳なさそうに愁傷な態度を見せ、表情作りの努力はしていた…が、一向に上達しない。
結局、ジュジュによる「上手く振る舞えたら、チョコレート」というご褒美作戦が功を奏し、今に至る。
ランティスの隣で大人しくしているルーヴァベルトだが、大方頭の中では客が引けた後に貰えるはずのチョコレートの事を考えていることだろう。毎度ご褒美として用意されるのは、たった一粒。それでも、彼女は心底幸せそうに微笑み、頬張るのだ。
普段、仏頂面ばかりの少女が浮かべる恍惚の表情を思いだし、知らず口元が緩んだ。常にそうであれば、もっと生きやすかったろうに、とも思う。そうでなかったからこその「ルーヴァベルト」という人間なのだろうけれど。
ほんの少しだけ、主人の気持ちが、わかる。
僅かに睫毛を伏せ、改めて背筋を正した。
今は主人の来客中。余所事を考えている場合ではない。
ドレスの話がまとまると、小太りの仕立て屋は意気揚々と帰って行った。彼を見送ると、入れ違いに、次の客が訪れる。
現在ソファで談笑している人物が、その客である。
ランティスとルーヴァベルトは変わらず並びで腰掛けており、向かいに座るのは亜麻色の髪の青年。齢二十四。クセのある前髪からの覗く瞳は透き通った菫色で、面立ちは優しい。
一見女性とも思える彼は、数少ない主の友人―――アンリ・ファーファル、その人である。
十代の時分からの友人であるからか、先の客の時よりも、ランティスの表情が柔らかい。快活に笑う様子は、普段よりも若干幼く見えた。
他愛ない会話に笑みを浮かべつつ、ちろりとアンリは視線をルーヴァベルトへ向けた。菫の眼差しに、彼女は務めて笑顔を作って見せる。
「それにしても、驚いたわぁ」と特徴的な口調で、彼は言った。
「ランったら、突然婚約したぞって連絡してくるんだもの」
ふふっと口元を抑えたアンリの声は、存外低い。
倣って口元に手をやりながら、ルーヴァベルトは小首を傾げて見せた。
初見で彼の喋りを聞いてからこっち、ルーヴァベルトの表情に変化はなかった。驚く様子も見せず、言われた通りに微笑み続けている。
正直、女性のような言葉使いをするアンリに対し、彼女がどんな反応をするかと心配していた。場合によっては失礼になるかもしれない。驚きも失笑もしてくれるなよ、と様子を伺っていた。
そんな心配をよそに、ルーヴァベルトは全く意に介す様子もなく、淡々と対応する。アンリ自身に興味が無いせいかもしれない。一か月共に過ごしたおかげで、彼女がそういう性質であると知っていたためだが、知らない人間相手であればばれないだろう。
ほっと安堵する。
これから先、ランティスと共に社交の場へ出る際も、その調子で対応してくれれば重畳。貴族と言う生き物は、僅かな反応の差異にさえ、くだらない理由をつけたがるものだから。
「可愛らしいお嬢さんだわ。飾り甲斐がありそう」
「飾り立てられるのは好きじゃないみたいだぞ」
「あら、残念」
こてりと首を傾げ、アンリが眉尻を下げた。表情は笑んだままであるから、困った振りだろう。
彼は徐に卓上に並べられた箱をに手を伸ばすと、それぞれの蓋を開け始める。中には細々とした瓶や丸い陶器の入れ物が詰められていた。小さな刷毛や筆もある。
まるで絵画の道具のようだ。
初めて興味を引かれたように、ルーヴァベルトが箱の中を覗き込む。その様子に、アンリはにこりと微笑み、陶器の入れ物の蓋をあけた。
「紅?」
猫目をぱちくりとさせ、少女が呟く。ご明察、と亜麻色の髪を揺らし、菫の双眸が細まる。
「その通り。箱の中身全部、お化粧道具よ」
「アンリは化粧品の会社の代表を務めている。人気らしいぞ」
ランティスが続けて説明し、俄かに眉を潜めた。
「俺は匂いが苦手だが」
「アンタは化粧品全般の匂いが好きじゃないでしょ」
「まあな。お前んとこのは、他に比べりゃ随分マシだ」
ふんと鼻を鳴らした時、部屋の扉がノックされた。さっとジーニアスがそちらへ向かい、扉を細く開くと、廊下に控えた使用人から耳打ちを受ける。無言で頷き、ランティスの側へ戻ると、言付けられた内容を囁いた。
「あー…」
渋面を浮かべた主は、しかし立ち上がる。
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