1-3

 現在一つ屋根の下に暮らしているボルドー、アーニャ親子は、倫にとって、文字通りの命の恩人であった。


 話は、倫がこの世界にやってきてすぐの頃に戻る。

 倫は、迫りくる電車に轢かれて、自分は死んだのだと悟ったはずが、次に気づいた時には、どこともわからない深い森の中に立っていた。

 先程までいた駅のホームとはあまりにも景色が違い、目の前に広がる現実を受け止められず、ただただ呆然とした。

「な、なにここ……あ、そうだ、地図!」

 倫ははっとして、地図アプリで現在地を確認しようと、かろうじて手にしていた鞄からスマホを引っ掴んだ。だが、電車との衝突のせいかスマホの画面はバキバキに割れており、電源もつかず、全く使えない状態になっていた。

「うっそ……」

 倫はがらくたと化したスマホを握りしめ、絶望に顔を歪める。

 ここがどこなのか、そもそも電車に轢かれたはずの自分がどうして生きているのか、わからないことだらけで、危機感が背中ににじり寄るのを感じた。

「──てか、なんで、あたしはこんなところに居るんだ……?」

 周りを見渡すと、よく見れば自分が立っているのは森の中に作られた道のようで、固い土が露出した道が一直線に伸びていた。

 それに、木々の間からほどよく日の光が差し込んでいて、ここは誰かに管理されている林道のようだ。

(ここに居たら、ひょっとしたら誰かが通るかな……?)

 そんなことを考えていると、タイミングのいいことに、ガラガラ、と何かが転がるような音が聞こえた。

 ふと音の方に目をやると、道の奥の方から、荷車を引く馬車がゆっくりとやってきていた。

(馬車……?)

 今日日この現代で荷馬車を見る機会などなく、倫は多少引っかかったが、道の途中で荷馬車の荷台から誰かが降りて、こちらに駆け寄って来た瞬間、そんな違和感などすぐに吹き飛んでしまった。

(誰かがこっちに来る!)

 倫はようやく人に出会えた嬉しさで表情を明るくした。

 そして、この出会いが、倫とアーニャの出会いであった。

「あなた、大丈夫? こんな所に一人で、一体どうしたの?」

「あの、あたし……」

 駆け寄って話しかけてくれた少女、アーニャと、とにかく何か話そうと口を開くが、倫は寸でのところで固まってしまった。

 そもそも、倫は自分の置かれた状況を全く理解できておらず、なんと言ったらいいか、どこから話したらいいのかわからず、倫は頭が混乱して、彼女の心配げな顔をじっと見つめることしかできなくなってしまった。

 アーニャは何も話せないでいる倫を見て、心配げな表情の色を濃くして、更に問いかけた。

「怪我は無いみたいだけど……もしかして、野盗か魔物に襲われたの?」

「……え?」

 倫は、あまりの聞き馴染みのない言葉に、思考の止まった頭をあげる。

 現代日本で『野盗』や『魔物』という言葉を聞くのは、ゲームや漫画や小説などの、創作上でだけだ。

 倫は最初この少女がふざけているのかと思ったが、それにしてはアーニャの顔が真剣そのもので、辺りを警戒している様子も見せているのだ。

(え、言ってる意味が全然わかんないんだけど⁉ でも、この子がふざけてるようには、全然見えないし……──あれ)

 その時、倫は記憶の引き出しが開く音を聞いた。

 自分の弟が、トラックや電車に撥ねられた主人公が異世界にやってきて無双したりしなかったりするような、正に今の状況と酷似した展開の小説や漫画を好んで読んでいたことを、その時何故か思い出したのだ。

(まさか……いやまさか、そんなこと、ないよね?)

 それはもちろん”フィクション“で、現実に起こることなど無いはずだ。

 倫は頭の中でそう言い聞かせるが、そんなはずはないと信じたい心とは裏腹に『もしかして』という気持ちが、ひどい寒気となって、全身を小刻みに震わせる。

「とにかく、この森はウルフの群れが縄張りを作っているから、こんな所に居たら危ないわよ。荷馬車に乗せてあげるから、一緒に王都まで行きましょう?」

「……王都って?」

 またしてもウルフやら王都やらと聞き慣れない言葉が飛び出してきて、倫がこわごわと問いかけると、アーニャはぽかんとした顔をした。

「え……あなた、こんな所にいるから、ミンデルンに行きたいんだと思っていたのだけど。違うの?」

「うーん……その……そもそも、ミンデルンって場所が分からなくて。どんな所か教えてもらってもいい?」

 すると、アーニャは怪訝な顔をしながらも説明してくれた。

「どんな所もなにも、ミンデルンはイザネリアの王都で、沢山の冒険者が集まる、世界随一の魔法都市よ」

「……嘘でしょ⁉」

 倫は思わず、悲鳴のような大声をあげる。

 アーニャはそれに驚いていたが、そんなこと、いまの倫には些末な出来事だった。

 疑いとして胸にあったものが、ご丁寧に説明付きで確信になってしまい、倫は、どんどんと気が遠のいていくのを感じた。


その後はあっという間で、アーニャが乗っていた乗り合いの荷馬車に好意で乗せてもらい、その道中で、この世界のことや今から行く場所のことを色々と教えてもらった。

 今から行くところは、イザネリア王国の王都ミンデルンという場所で、アーニャはそこに住んでいるようだ。

 国名や都市名、果ては魔法という存在を知らない倫を、アーニャはかなり不思議がったが、彼女は人を疑うことを知らない質のようで、

「とんでもなく僻地の田舎から家出して、どこか大きい街を目指していたら途中で迷ってしまい、道で人が通るのを待っていた」

 という、倫が咄嗟に吐いた嘘を簡単に信じた。

 それどころか、職も住む所も無い倫の身を強く案じてくれて、自分の家でやっている酒場で雇えるかどうか、父親と話してみるとまで言ってくれた。

 父親のボルドーも娘と同じくとてもいい人で、見ず知らずの倫の身を案じ、ウェイトレスとして住み込みで雇ってくれることになった。

 二人に強い恩を感じた倫は、とにかくそれに報いなければとがむしゃらに働いていると、気づけばこの世界で一か月が過ぎていた。

 気づけば、アーニャとボルドーとは最初から家族の一員だったかのように仲良くなって、倫は、この親子の事が大好きになった。

 だが、それでも自分の正体を明かす事は、どうしても出来なかった。


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