第11話 氷河▷▷愁弥とルシエル

ーー氷河を渡る。


一面が分厚い氷に包まれた大雪原。

雪山は辺りを囲むが、そのうち見えなくなる筈だ。


海の上ーー、そこを渡りこの島から離れるからだ。


うっすらとしか陽の光は刺さない。

この雪原の先には……私の知らない世界が、広がる。


隣では白銀の毛皮のコート。

それを着た愁弥。


異国人と言う事だが、巻き込んだ旅になってしまった。


それでも彼は……私や愁弥の荷物の入った白い、革製の袋を肩から革紐掛けて運んでくれている。


「大丈夫か? 愁弥しゅうや。その荷物も重いだろう? それに……雪は歩きづらそうだ。」


サラサラのブロンド髪になってしまった。始めて見た時は、少しツンツンとしていたが、この吹雪で濡れて落ちてしまったのだ。


彼はフードを被っていない。

全く印象が違う。


私はこの方が……好きだ。


「ん? たいしたことねーよ。これでも男っすからね。それより……このブーツか? すげーな。歩きやすい。」


軽快なのはよくわかる。

膝下まであった雪道も軽やかに、進んでいた。この氷河は、雪がそこまで深くない。


地面の底で氷ついてしまうからか。

道は氷の上に雪を降らせ積もらせ、凍る。


その繰り返しだ。

やがて……溶けて雪は海に還る。


「さっきよりも深くないからだろう。それにサーベルベアーの毛皮だからな。雪に強い魔物のものだ。」


現に今は私の足首までの深さだ。それは愁弥も変わらない。


ザクザクと歩けるのだ。

ここは柔らかな雪ではないからだ。


「瑠火は慣れてんのか……。けど、大丈夫か?」


驚いてしまった。


「え……?」


だからか聞き返していた。


ちらちらと舞う吹雪は、少し弱まっていて視界もかなり良好だ。

隣の愁弥の顔がハッキリと見える。


「いや。だから大丈夫か? って。雪道。」


愁弥は私から視線を反らし、雪道を見ながらそう言った。

その横顔は少しだけ……紅くなっていた。


寒そうだな。


「ああ。大丈夫だ。それよりフードをしたらどうだ? 頬が紅いが。」


私は気になってしまったので、そう言ったが、愁弥は私を見たのだ。


しかもその瞳はくりくりと丸い。

とても驚いていた。


「瑠火ってアレだな。“鈍い”んだな。」


と、そう言われてしまったのだ。


鈍い?

何がだろうか?


「瑠火!」


その緊迫した声に……私は、ハッとした。


しまった!

油断した!


そう……。

私達は囲まれていた。


周りには“アイスタイガー”の群れだ。


白銀の毛に覆われた大きなトラに似た魔物たちだ。アイスタイガーは、大きな牙を持つ凶暴な者たちだ。


すでにその唸り声は、グルルル……と、牙の突き出た口元から響いていた。


ザッと見ても……三十。


数少ない獲物を求めてここまで追って来たのか。里の者達も何人と犠牲になった。


コイツらは、私達……月雲つくもの里の者たちにとって必要な食糧でもあったが、天敵でもあった。


こうして群れで襲ってくるからだ。

里の者達は逃げるしか術がなく……無残にも殺され喰われたのだ。


「虎か? でかくね??」


この大物たちを前にして、素っ頓狂な声をあげたのは愁弥だった。


何とも……呑気な男だな。

里の者たちは逃げ惑うのに。


「アイスタイガーだ。ここにいる獲物が、私達だけだと知り……追いかけてきたんだろう。最後の獲物だと知っているんだ。」


コイツらにとって人肉は、最大の獲物だ。当分……食えなくなると知り、ここまで追って来たな。


島の異変に気が付き……隠れていたのだろうが、獲物となれば別なのだろう。


彼等も生きているのだから。


私は、腰元の檻篭に手を掛けた。


「ふ〜ん。俺様を出すのか? 瑠火。どうしたんだ? いつもなら嫌がるよな?」


この! クチの減らない奴だ。


ルシエルの嫌味はごもっともだ。私は彼を放つのを良しとは思っていない。


出すのはいいが、戻すのが面倒だからだ。


だが……そうも言っていられる状況ではない。


愁弥……。

彼を護りながらの戦いに……敵の数が多すぎる。


「うるさい。出すから暴れていいよ。」

「へっ。なんだ。助けてください。って言えば? 素直に。愁弥のことを護りたいんだろ?」


あーうるさい!


私は檻篭から手を離した。


「あーうそうそ! 悪かったよ! 出せ!」


この。可愛くない幻獣だ。

クチが減らない。


「出すけど後で大人しく戻ってくれ。」


私は檻篭の檻に手を掛けた。

私の手には彼との契約が施されている。

これが、この檻篭の“鍵”だ。


檻を開ける。


「気が済んだら帰る」


そんな憎まれ口を叩きながら、勢いよく飛び出す。

この円球にいる間は、小さな掌サイズの黒狼犬だが、外に解放すればその姿は変わる。


大きな幻獣。

体格も良くその見てくれも狂暴になる。


目の前のアイスタイガーたちが、一歩下がるほどに。


獰猛な紫色の眼。

白い雪の中に立つ獣は、紅と黒の混じった毛に包まれる。


更に金色のトサカだ。

針山の様に伸びたそれは、鋭い


口から生えた牙

それすらも武器になる程に、鋭く尖る。


「これが……ルシエルなのか?」


愁弥の驚いた声が聞こえた。


「そうだ。俺様が“破滅の幻獣”。ルシエル様だ。」


大きな頭を愁弥に向けて言い放つルシエルは、その声もかなり低い。


凛々しい狼に似た獣だ。


私は双剣を構えた。


辺りを囲むアイスタイガーたちは、一瞬は怯んだが、私と愁弥を見据えている。


この大きなルシエルを前にしても、群れだ。私達を喰い殺せると疑っていない眼だ。


冷ややかに向けられる銀色の眼。

その瞳はまるでダイヤの様なカタチをしている。奇妙な瞳だが、コレクターがいるらしい。


宝玉として売られるそうだ。

何しろ彼等は、この島にしか棲息していない。


「ルシエル。愁弥を」

「へ? それは瑠火の仕事だろ? 俺様は人を護るのはゴメンだ!」


私は後ろからルシエルの雪の上に垂れ下がる、黒と紅の長い尻尾を踏みつけた。


思いっきり。


ギャン!!


と、泣いた。


「な……なにすんの? え? 何だったんだ? 今のは」


紫色の眼が潤んでいる。


「ルシエル。愁弥を。」


私はそう言った。


「わ……わかった。けど……後で、肉。」

「これだけいれば……喰えるだろ。ハラいっぱい。」


三十はいるのだ。

贅沢な夕飯になりそうだ。


「そうだな。うん。今夜は肉祭りだ。」


ルシエルはとても嬉しそうに笑うと、身を低くした。


愁弥のことはルシエルに任せるしかない。

この数だと、私に向かってくるであろう。どう考えても。


と、思っていると業を煮やしたのか、アイスタイガー達は、一気に向かってきたのだ。


私は手を翳す。


「“火炎舞”!!」


炎の渦だ。

これは広範囲攻撃で本来は使用するものだ。

つまり、有効的。


数頭のアイスタイガーを紅炎の渦が包み込む。


その上を飛んで向かってくるアイスタイガー。

雪飛沫あげて飛びかかってくる。


「“火炎焦”!!」


突っ込んでくる者たちには、この火炎放射だ。これが一番効く。


火の発動は攻撃主体。

私の得意とする術であり、聖霊術のなかでも強い部類に入る。


白い雪のなかで紅炎が、白銀の魔物たちを燃やしてゆく。


氷属性の魔物たちには、よく効く。


それでも数が多い。

次々に向かってくる。


隣でルシエルは、愁弥に向かっていくアイスタイガーに向けて、波動を放つ。


破滅の力。

ルシエルの黒い波動は、アイスタイガーたちを消滅させる。


凄まじい力なのは私も知っている。


この力がこれで半減なのだ。

全開になった時はどれ程なのか。


想像したくはない。


それでも……今は居て良かったと思う。


炎に焼かれ雪の中に倒れてゆくアイスタイガーたち。


それらを横目に向かって来る白銀の虎たち。


その口から氷の球を吐き出す。


“アイストール”と、私が勝手に命名した技だ。彼らはこの一種類の魔法の様な力しか、使わないが、当たると凍る。


前に右足が氷ついた。


それにより……動きが鈍くなる。


「“火炎焦”!!」


火炎放射。

氷の球は弾丸の様なものだ。

この火炎放射なら打ち砕く事ができる。


「瑠火!!」


愁弥の声が聞こえた。


その直後だった。


ざしゅっ……っと、風を切る様な音がしたのだ。


それが、私の後ろで愁弥がその腕を引っ掻かれたと知ったのは……雪の上に、愁弥の血が滴り落ちたからだった。


「バカ! 突っ込むな!」


直ぐにルシエルが愁弥の前にいるアイスタイガーを、その前足で踏みつけた。


ギャン!!


アイスタイガーは雪の上でルシエルに、踏み潰された。


それよりも……私は、愁弥が心配だった。

右腕から血を流していた。


顰めた顔。

左手で抑えているが、痛そうだ。


「愁弥! 何で出てきた?」


私は直ぐに腰元に引っ掛けてある、布を取る。これは所謂。手ぬぐいの様なものだ。


持ち歩いている。


「いや。後ろから飛びかかるのが見えたから……咄嗟だな。」


愁弥は相当深く斬りつけられていた。

爪痕が三つ。


右腕の肘から手首辺りまでを引っかかれていた。


毛皮すらも切り裂き肌を傷つける。アイスタイガーの爪は出し入れ自由だ。


長いもので四十センチは越える。

ルシエルに踏み潰されたアイスタイガーは、それぐらい爪を出せた者だろう。


私はぐるぐると布を巻いた。


「瑠火!」


その声に私は愁弥に引き寄せられていた。


私の背後が彼には見えたのだ。

後ろから飛びかかってきたアイスタイガー。

だが、ルシエルが纏めて殴り飛ばしていた。


雪の上に倒れ込む様になってしまったが……愁弥が私の身体を支えていた。


「だ……大丈夫か?」

「俺のことはいい。とりあえず……コイツらを、何とかしねーとヤバそうだな。」


愁弥は右腕を怪我しているにも関わらず、そう言った。

私は……咄嗟に退いた。


倒れ込んでいたのだ。

愁弥の身体に。


傷を深くさせてしまう。


と言うよりも……庇ってもらったことに、驚いていたのが先だった。


「すまない。大丈夫か?」


愁弥は起き上がると、右腕に巻いている布を自分でぐるぐると巻いていた。


中途半端になってしまったからだ。


「大丈夫だ。気にすんな。俺が勝手にやったことだ。」


この笑顔は……反則だ。


なんて優しいんだ。


この人は。


私は同時に“心の底”から思った。


護りたい。


と。


こんな感情が沸き起こるのは、始めてだ。

月雲つくもの民……に、感じていた想いとは少し違う。


それが何かはわからない。

でも、この時。


私は……思ったのだ。

この人を護りたい。


だから……立ち上がっていた。


「愁弥。あとでちゃんと手当てをする。私から離れるな。」


ルシエルはもう勝手に戦っている。言葉の通り大暴れだ。


アイスタイガーたちを薙ぎ払い殴り飛ばしていた。


雪の上には倒れ込む白銀の虎に似た魔物たち。


「ん。女に護られんのははじめてだな。これはちょっと……、ハズいな。」


そんな声がしたので、振り返る。

愁弥は白い布を無造作に巻きつけた右手に、“レイネリス”の神剣を握っていた。


蒼く煌めく刃はやはり神秘的だ。


それを握りながら笑っていた。


「愁弥……。武器えものを持つと言う事は……相手に敵意を認識させる。やめておけ。」


アイスタイガー達の唸り声が、響く。剣を握り立つ愁弥を“敵”と、認識したのだ。


銀色の眼はギラリと煌めく。


「使ったことはねーけどな。ブン回すぐれーなら出来る。」


この人は……強い。


不思議な少年だ。

こんな大きな虎なんて見た事も無い。そんな顔をしていたのに。


この状況で、自分も戦おうとするとは。


底知れない。


思えば……この時。

だったのかもしれない。

私が……“久我愁弥くがしゅうや”と言う男に、惹かれたのは。


「俺様がそれなりに使い方を教えてやるよ。本当なら肉丸焼き貰うけどな。」


ルシエルがぺっ。


と、アイスタイガーに齧りついたのか、血を雪の上に吹き出しながら戻ってきた。


見れば雪の上には、首元掻っ切られたアイスタイガーが、倒れていた。


噛み付いたのか。わざわざ。

なんて“肉食”なヤツなんだ。


つまみ食いしながら戦うとは。


恐れ入る。


「そりゃ助かるな」


ルシエルと愁弥ーー。


不思議な関係が出来上がったのも、この時だった。


氷河の上で二人は並んで立っていた。


幻獣と異界の少年。

彼らに“友情”が芽生えたのを知ったのは、もう少し先だが……。


ルシエルの眼は何だか嬉しそうに見えた。女の私にはわからない“関係性”だ。


弱々しい吹雪がちらつく氷河の上で、私達とアイスタイガーの戦いは、まだ終わらない。


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