第3話 三日目
三日目
同日。
寺社、神殿、それに遊廓が入り混じった中に、ひときわ目立つ、寺にも、神社にも似た、四角の角を切り取った八角形の建物があった。
新京の女相撲の聖地、ヨシワラ国技館だ。
ここでは、幕内以上の女力士が相撲を取る場所であり、女力士、特に横綱を目指すものなら誰でも、一度は憧れる場所だった。
女相撲の国技館は他に、天ノ宮が相撲を取っているマルヤマ国技館と、十両が相撲を取るカブキタウン国技館があり、それぞれの場所で女力士達が覇を競っている。
相撲がもともとあった世界では、国技館は一箇所らしかったが、この世界では、男女別々で、国技館も番付ごとに別れているほど、相撲を取る力士達の数は多いのだ。
勝者と敗者。歓喜と悲嘆。希望と絶望。隆盛と没落。名誉と汚名。富者と貧者。
それらが入り混じった場所が、国技館という場所だった。
そのヨシワラ国技館から少し離れたところにある、静かな町並みに、一つの大きめの
その集合住宅は一見すると普通の集合住宅に見えるが、実は、普通の集合住宅とは違うところがあった。
それは、一階に土俵があるということだった。
この集合住宅、実は月詠親方が所有する女相撲部屋、月詠部屋なのだ。
二階以上には、この部屋に所属する女力士達が住み、幕下以下は二人から数人一部屋で生活し、十両以上は一人一部屋で暮らしている。
ちなみに、十両以上の貴族の女力士や、平民でも幕内、特に大関や横綱になると部屋を出て一軒家、あるいは、独立した部屋を設けて暮らす女力士もいる。
が、女力士は巫女扱いであるため、結婚すると即引退という決まりになっている。
そのため、あえて引退まで部屋で暮らし続ける力士も案外多いのだ。
さて、朝早い時間だったが、月詠部屋の稽古場では、既に稽古が始まっていた。
集合住宅の玄関と昇降機入り口を入ってすぐ奥が応接間や会議室、
月詠部屋は相撲部屋としては大きい部類に入るのだ。
さて、その土俵の周りを、手足を露出させ、ピッタリとしたラインの相撲装束に廻し姿という、大勢の女力士達が取り囲み、片足を大きく上げては振り下ろしていた。
四股の動作だ。
足が振り下ろされるとともに、どんっ、という鈍い音が稽古場に大きく響き渡る。
一瞬、揺れさえ感じるほどだ。
四股を踏むたび、足の裏にべっとりと稽古場の土がつく。
その土の付き具合が、力士にとっては、どれだけ稽古を積んだかの証となるのだ。
四股は相撲においては最も基本的な動作の一つであり、それ故、稽古では重要視されている動作であり、国技館や巡業などでも、よく見られる光景だった。
それはもちろん、相撲で最重要視される腰や足の筋肉を鍛えるためであり、精神的な面においては、忍耐力をつけるなどの効果を得るために、何度も四股を行うのだ。
準備運動から四股に入り、この後、腕を壁や柱にぶつけて腕を鍛えるテッポウ、これまた相撲の基本的な動作であるすり足、対戦形式で稽古をする申し合い、相手に体をぶつけて押すぶつかり稽古などを行っていくのが、相撲部屋における稽古の流れだった。
ところで。
世間の想像とは違い、女力士達の多くは美人で体型も良いものだった。
この世界の女相撲は、決して単に体が大きく、体重が重ければいいというものではない。
女相撲の女力士は神職であり、神社や神殿、あるいは教会などの巫女、修道女などという扱いであるため、神々の覚え麗しい乙女でなければいけないという、暗黙の了解があるのだ。
そのため、できるため女力士たちは強く美しくあるべきとされ、ある程度の体型を維持しなければならないという、これまた暗黙の約束事があった。
ただし、これにも抜け道があり、決して大きな声では言えないが、強い女力士を好んだり、太った体型の女が好みという神格がいるので、その神を信仰していれば、太っていてもかまわないという慣習があった。
ただし、そういう神は決して良き神とは言えなかったので、どうしても女相撲では悪役的に扱われるのが常であったが。
また、最近は、女相撲の
そのため、美貌も女力士の必須条件になりつつあるのは、当然のことだった。
体格制限には他にも理由があるとされる。例えば、競技の均等性のためというものである。
相撲は競技の方式や勝敗の基準が単純なので、体格差があっても劣っている方が勝つことはしばしばである。
しかし、それでも体格や体重のある方が有利なのは変わりがない。
そこで、暗黙の了解による体格や体重制限を行うことにより、各人の差を少なくしようという考えから来ている、とされている。
これにより、比較的公平な取り組みが行われる、とされていた。
この他にも、脂肪の増大による内蔵への負担を減らすためや、自重による膝への負担を減らすため、また体格制限を行うことにより、体格の小さい魔導師系などの職能を持った人間でも相撲ができるように、などの理由で、体格制限が行われるとされていた。
さて、相変わらず女力士達は、土俵の周りで四股を踏んでいた。
その中に、天ノ宮もいた。
天ノ宮もそうであるが、幕下以下の女力士達は、本場所と同じ装束と廻しを稽古でも使用し、十両以上の力士は、稽古用の黒い装束に、稽古用の白い廻しを着用する事になっている。
これは純然たる相撲の決まり事であり、関取とそれ以外の上下関係をよく表している一例でもあった。
彼女の顔を見れば、何やら悩んでいる様子だった。
その時。
「……天ノ宮?」
「美穂乃月関、なんでしょうか?」
右隣で四股を踏んでいた幕内女力士、美穂乃月が声をかけた。
彼女はなかなか強く、あと一歩で優勝するチャンスも度々ある、有名な女力士だ。
彼女のタイプは魔力を主とするのではなく、気力を使用する相撲、気力士だ。どちらかというとこれは女子より男子に多い力士のタイプで、一番ごとに気力を大量に消費するため、力巫女と呼ばれる女性から性的などの方法で気力を補給することがしばしばである。
美穂乃月は神官・巫女の家系で、その関係上、家からは何人もの力士・女力士を排出していたので、彼女自身も、女相撲に入ることは当然であったし、またその頂点──女横綱を目指しているのは当然のことでもあった。
美穂乃月には姉妹が大勢おり、その多くは、女力士として相撲を取っていると本人は話していた。だがその名前をあげることを彼女は決してしなかった。
本人にとって、他の姉妹たちはすべて競争相手であるし、部屋の皆に姉妹の名前を知って下手に忖度などされたくない。そういう思いが彼女にはあるようだった。
ちなみに天ノ宮は、少し前に美穂乃月の付き人をしていた。そのため、美穂乃月は天ノ宮をそばに置き、世話をさせていた時期がある。しかし力巫女としては使わず、一般的な身の回りの世話などをさせていた。
天ノ宮はそれに対し、表面上は彼女を尊敬して目標にしていると多々語ることもあった。
「どうしたのー? そんな顔してー?」
「……なんでもないです」
天ノ宮の否定に、美穂乃月は顔をにんまりさせた。
何が原因か、わかっているようだ。
いや、わかっていそうな気がしているだけかもしれないが。
「はっはーん、この前また十両昇進に失敗したことを気にしているわねー?」
「……わかってしまいますか」
「そりゃ当然。ほとんどの力士が、十両の壁で悩むからねー。関取になれば、一人前の力士として認められる。だからこそみんな必死になるのよねー。それくらい、わかっているわよー?」
天ノ宮は苦笑いすると、首を横に何度か振った。
「でも、昇進の
「天ノ宮、あなたはまっすぐで稽古熱心なんだけど、型が決まっていないのが気になるのよねー。この番付になっている頃には、大体の力士は型が決まっているものなのにねー」
「はい……」
「あんたは色々な型を使えるみたいなんだけど、それ故得意な型が定まっていなくて、選択肢が多すぎる状態になっているのよー。そして考えすぎて、立ち会いや相手の技に対する反応が遅れちゃう。それがあんたの問題よねー?」
「はい……」
美穂乃月は、ビシバシと妹弟子に続けざまに言うと、自分の指摘に満足した様な笑みを見せた。
彼女の笑みに、天ノ宮は苦笑いを返すだけだった。
そこで、美穂乃月はおや? という顔を見せた。
何か疑問があるようだ。
「そういえば、あなた個有魔法なんだったっけ……? 入門してから申告してなかったわよね……?」
「え、ええ……」
「世の中には個有魔法を持たずに、共通魔法で頑張る力士もいるけど、やっぱり個有魔法を持っていた方が色々出来ていいわよねえ……」
「でも、やっぱり個有魔法持ちの方が強いですし……。野須ノ姫さんとか……」
天ノ宮の言葉に、美穂乃月は、あっ、という顔をした。
そして、何かを慎重に選ぶような顔で、応える。
「……そっ、それはそうよね、そういう場合もあるわよねっ」
「……」
そこで、会話は途切れた。
美穂乃月は唇の端を少し歪めていたようにも思えた。
天ノ宮は四股を踏みながら、美穂乃月から顔を背け、目の端を細めた。
──しかしほんとうざいですわね、美穂乃月センパイ。わたくしの問題なんにもわかっておりませんし。やっぱり見た目しかわかっておりませんわね。北の出身だけあって体も大きくて強いんだけれど、その分、オツムが回ってない感じですわねー。
天ノ宮は、その美少女からかけ離れた毒舌を、内心で放った。
──わたし、型決めるの面倒くさいし……。暴発したりするのは、偶然ですし。なぜ出るのか知りませんけれど……。
憎々しげに思いながら、天ノ宮は四股を踏み続けた。
四股の、バシンっ、バシンっ、という音が、稽古場中に鳴り響る。
それから、天ノ宮は息を一つ大きく吐いた。
首を一つ横に振る。
──というか美穂乃月センパイって、個有魔法のこととか、全然わかっておりませんし! 本当になぜセンパイが幕内まで上がれてこられたのか、本当に疑問ね。
というか野須ノ姫に負けたことで、わたくしを笑っておりましたわよね?
……許せませんわ!
彼女は一つ右足を上げ、四股を踏む。
ドンッ!
怒りをぶつけるように、今度は左足を上げ、大きく地面へと振り下ろした。
ドンッ!
その時だった。
(……天ノ宮センパイ、天ノ宮センパイ)
天ノ宮の左隣から、小さい、少年にも思える、少女の声が飛んできた。
いや、声ではない。魔法による通信。共通魔法の<念話>だ。
念話を飛ばしてきたのは、序二段力士の、<凜花>だった。
彼女はまだ入ったばかりの力士だが、力はあり序二段上位まで駆け上がってきている、注目の女力士だ。ちなみに天ノ宮と同じ部屋の同居人である。
凜花はどちらかと言うと美形女力士で、相撲力士としては小柄な方だが、小柄故に多彩な相撲技を持っていて、それで勝ち上がっている女力士だ。
その名の通り、凛とした外見の鋭い輪郭の小顔に、綺麗に流れる長く黒い髪、目端が鋭い黒い目、尖った小鼻という、まるで美形剣士のようなクールビューティというかボーイッシュな顔立ちの少女だ。見方によっては少年にも見える顔つきである。
少年的に見えるのは顔つきだけでなく、体つきもそうで、女性に特有の脂肪が多めの体つきではなく、筋肉が多めの、中性的な凹凸の少ない体つきだった。
月詠部屋で一際目立つ天ノ宮の美しさ、神秘性とは別の種類の、人間とは違う異質性や神秘性を持ち合わせていたのが彼女であった。
(なあに、凜花?)
天ノ宮も<念話>で応えた。
なぜ念話魔法を使うのかといえば、この世界の角界では稽古中、上の番付の力士から下の番付の力士へ話しかける(口に出して会話すること)のは良いが、下の番付の力士から上の番付(あるいは同じぐらいの番付)の力士へ話しかけることは、基本的に禁止としているからだ。
ただし、質問や申し合いの申込みなどならば、良いことにはなってはいる。
しかしこれには抜け道があって、声に出さなければ、下の番付の力士が話しかけても良いという暗黙の了解があった。
そのため、下の番付の力士は稽古中、念話魔法を使うなどの方法で、親しい上の(同じ)番付の力士と会話しているのであった。
念話回線が繋がったのを知った凜花は、天ノ宮に質問を投げかけた。
(あの……、個有魔法とか共通魔法って、そもそもどういうものでしたっけ?)
その初歩的な質問に、天ノ宮は上げた片足を思わず落としそうになったが、こらえて、みんなと揃えて足を落としては、内心でため息を付いて応えた。
(あの……。中学校とか相撲教習所で習わなかった?
(その……。ボクはちょっと忘れぽくって……)
(それでよく相撲ができるわね……。まあ、説明してあげるわ)
もう一度ため息を吐きながら、天ノ宮は言葉を続けた。
(個有魔法ってのはね、その人だけが持つ固有の魔法や能力などのことを言うのよ。はるか昔、異世界から転生してきた勇者などに、神々が能力を与えたものがその始まりとされているわ)
(へぇ〜)
(個有魔法には使える能力が一つだけのものから、使える
(個有魔法と、
(あと個有魔法や特技などは、遺伝や訓練などで発現するものがほとんどだけども、中にはその人の感情や性格、望みや心の弱さ、コンプレックスなどが個有魔法として具現化したものもあるわ。なので本当に変な能力があったりするわよ。だけど、その変な能力が相撲などで強かったりするし)
(ふむむ……)
(共通魔法や個有魔法にはそれぞれ色や紋章などが付いていて、炎の魔法は赤色、水や氷の魔法は水色、風の魔法は青色、土の魔法は緑色や茶色などとなっている場合が多くて、発動時にその色に体が光るなんて場合もあるわね。その色とりどりの様を評して、魔法を『虹色の力』と呼ぶこともあるのよ)
(へぇ……。流石ですねぇー! 天ノ宮センパイっ!)
(よくわかった?)
(大変良くわかりました! ……先輩が個有魔法がないって気にしないほうがいいですよ。身体能力が高い人は個有魔法が発現しないなんてことも多いですから、先輩もそうなのかもしれませんね。ごっつあんです!)
凜花はそう念話で言うと一瞬天ノ宮に笑顔を向け、それからまた前を向いて四股を踏み続けた。
──ふぅ……。
内心で、天ノ宮はまた大きくため息を吐いた。
──もうっ、疑問に思ったら調べなさいよ。あなた、脳無しなの? それに余計なことまで心配してくれちゃって……。
それから毒舌の一つや二つを内心吐こうとしたが、待てよ、と思い直した。
──でも尊敬しているから、わたしを頼って聞いてくれたのかしら? そうだったら嬉しいわ。将来の付き人候補にしようかしら。……でも付き人、あまり欲しくないんだけど。
そう思っていると、自然と唇の周辺が歪んできた。
その時だ。
「天ノ宮! ニヤついてんじゃない!」
土俵に隣接している上がり座敷から、怒声が飛んできた。
見ると、月詠部屋の部屋付きの親方の一人、
現役時代は月詠乃華の太刀持ちだった彼女は、今でも月詠親方の友人で、部屋を一緒に運営しているのだ。
厳しい親方のカミナリに、
「はっ、はい、すいません!」
と頭を下げると、天ノ宮は真面目な顔になって、四股を続ける。
しかし、心のなかでは小さく舌を出していた。
莫迦。と。
部屋の女力士一同が、準備運動やすり足、四股鉄砲などを終え、本格的な稽古を始めようとしたときだった。
部屋の上がり座敷に、玉座に王が姿を表わすように、月詠親方が現れた。
赤い目に白い髪の妖しい美しさを持った顔の親方にその場にいた全員が頭を下げる。
皆が挨拶をした後、親方はこう皆に告げた。
彼女の視線は、天ノ宮に向けられていた。
「ちょっとお前らに……、というか、天ノ宮。お前に紹介したい人がいる」
「はあ? 自分に、ですか……?」
天ノ宮は目を丸くした。
──わたくしに、紹介したい人って? 親方の指名だから、特に重要な事かもしれない。
でも、誰? それに紹介して、何をしようというの?
身構える天ノ宮をよそに月詠親方は、上がり座敷の見えないところへ声をかけた。
「そうだ。……オニコンゴー、でてこーい」
その声で、一人の浴衣姿の男が、畳部屋に姿を現した。
彼は酒瓶を手にしていた。
「元大相撲力士、鬼金剛だ」
それを聞いた女力士達は、お互いを見合った。
そして、小さな声で話し始める。
天ノ宮も、あれ、あの人って……、という顔を見せる。
「鬼金剛って……」
「あの、三年前の角界を揺るがした、
「三矢屋っていう遊郭にいた、あの人の力巫女の一人が実は多股かけていたんでしょ?」
「うん、それで男相撲とか女相撲とかの八百長とか違法賭博とかの仲介人になっていたって……」
「で両方の力士に、多数の追放者や引退者が出たあの事件のことでしょ……?」
この世界では、皇国の建国者──皇帝を始めとする皇族の祖先だ──である「勇者」が、神々が派遣した大勢の巫女たちと共に国を統一し、初代皇王となった故事から、一夫多妻、あるいは一妻多夫が認められている。
また男相撲は気力型の力士が多く、それゆえ関取は一人以上の力巫女をそばに置くことが多い。鬼金剛も例外ではなく、力巫女役の女力士や遊女などと交際していたのだが、その一人の遊女が違法相撲賭博や八百長などを手引していた。それが「三矢事件」なのだ。
ひそひそと話し合う弟子たちに、
「こほん」
月詠親方は大きなせきばらいを一つして、皆を黙らせた。
そして、言葉を続ける。
「天ノ宮のタニマチから依頼され、天ノ宮の指導のため、しばらくここに住み込みで指導することになった。皆も、よろしく頼む」
それから顔で鬼金剛を促すと、彼は上がり座敷の前に出て、一礼をした。
その顔は現役時代から比べると、どことなく張りがなく、情けなくも見える顔だった。
──この人が……。わたくしの指導をなさる……?
天ノ宮は困惑と言うか、疑惑の表情を浮かべていた。
「えー、諸君。俺が月詠親方の依頼を受けて天ノ宮の指導に当たることになった、元大関鬼金剛だ。期間は天ノ宮が十両昇進するまでの間だ。短い間だと思うが、よろしく頼む」
そう言って鬼金剛は上がり座敷の畳に、どっかりと腰を下ろした。
天ノ宮はおずおずした顔を見せては鬼金剛に近寄ると、一礼をする。
「あの……、幕下西筆頭、天ノ宮と申します。鬼金剛関、ご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします……」
が、内心では不信感を百パーセント露わにしていた。
──なによこの人。これで、わたくしを本気で指導しようというの?
見た目がこう情けないものであると、不信感を抱くのは当然のことであるが。
対して鬼金剛は、挨拶されると少し機嫌の良い表情を見せ、
「おう、よろしくな。天ノ川」
と笑った。いきなり名前を間違えたのだ。
それに天ノ宮はむっとして、声を荒げ、叫んだ。
「天ノ宮です!」
それに合わせ、鬼金剛のそばにいた月詠親方が、手にハリセンを召喚してしばいた。
「おい鬼金剛!」
「いってぇな親方!」
「いきなり名前を間違えるな! 礼儀だろ!」
月詠親方がそう叱るとハリセンはどこかへ消えた。
「そんなに怒らなくても……。でだ、お前さんの得意な技ってなんだ?」
頭を擦りながら気を取り直し、鬼金剛はそう問いかけた。
天ノ宮は良いお嬢様という見かけの表情で、応えた。
心の中では、なによこの人、という気分だったが。
「特にないです。四つになっての寄りと相手に合わせて返すぐらいしか出来ませんし」
「……お前さんの個有魔法ってなんだ?」
「まだわかりません。時折何かが爆発したりしますが、何が原因なのかよくわかってないです」
「……お前さん、それでよく幕下筆頭まで上がってこれたな」
「運もあると思います」
「運だけじゃ、これだけ短期間でそこまで上がってくるとは思えんが……」
そう言って首をひねった鬼金剛は、気を取り直して尋ねた。
これで最後にするつもりだった。天ノ宮の顔が、飽きかかっていたからだ。
「相撲の目標は?」
「目標ですか……。いつか……、親方のような名女横綱になることです。そして自分の部屋を持って独り立ちすることです」
「横綱や大関になれば部屋を持てるもんな。でも、どうしてだ?」
その問いに、天ノ宮はきっぱりとした口調で即答する。
「……わたしは一人で立ちたいの。誰にも頼ることなく。誰にも支えられることもなく。ただ自分の力だけで、この世を生きてゆきたいの。それだけ」
「一人で、立つ、か……」
鬼金剛はその言葉に、彼女の本当の姿を思うと、目を細めた。
「なにか文句でもおありですか?」
「いいえ、なにも?」
眼の前に立つ巫女力士の疑惑の眼差しを躱すと、彼は目を細め、内心で思った。
──映像で見たよりも上背はあるし、手足も長いな。
この体つきの良さが、ここまで上がってこれた原因の一つではあるか。
それに胸もでかいし尻もでかい。まあ、胸は別にいいが、尻がでかいのは腰がいいという証拠でもあるしな。映像でもちらっと見たが、腰を据えて四つになって寄る相撲が好きみたいだし、これはこれでいいんじゃないか。
……それにこいつ、映像で見たときよりすげえ美人だな。相撲取るより舞踏会で踊ってたほうが様になるんじゃないかぁ?
そう思いながらも、酒瓶を口につけた。
──まあ、アイツラに頼まれた以上、この依頼はやり通すがな。
金が目的ではないところが、真面目といえば真面目ではあるが。
しかし、彼が酒を煽る様子を見た天ノ宮は、少し顔をしかめると尋ねた。
「あの……。本当に指導していただけるんですか?」
「ああ、ちゃんと指導してやるとも。そのためには、お前さんがどんな相撲をやるかだ。さあ、申し合いをやれ」
「……はい」
天ノ宮はとりあえず元気を出して答えると、くるりと背を向け、申し合いが始まる前の女力士達の輪の中へと向かった。
背中を向けた途端、天ノ宮は内心不安そうな顔を見せた。
──このひと、本当にわたくしのことをちゃんと見てくれるのかな……?
そう内心でぼやくと、他の女力士達と共に稽古の輪に加わるのであった。
しばらく時が経ち。
月詠部屋の稽古場では、天ノ宮を含めた部屋の、女力士たちの申し合いが行われていた。
申し合いとは、一言で言えば実戦形式の稽古のことだ。
やり方には色々あるが、一番取って、勝ったものが次の相手を指名するものと、三番勝負と言って、同じ相手と何番か(「三番」とは「たくさん」の意味で、十番以上の場合が多い)相撲を取る、というやり方が主な稽古方式だ。
今は前者の方式が取られ、土俵上では女力士同士がぶつかり合い、技を繰り出していた。
季節はミナヅキを迎えていたが、稽古場はその平均気温よりも優に二〜三度は超える熱さと湿気に溢れていた。
それらは、女力士達の熱と汗が生み出したものだった。
そのもわっとした熱を帯びた空気の中、鬼金剛は酒を飲みながら、申し合いを眺めていた。
視線の先にいるのは、自分の指導相手、天ノ宮だ。
──さてね。お手並み拝見といきますか。
天ノ宮は申し合いを何番も繰り返していた。
彼女の相撲は彼女が申告したとおり、四つに組んでの寄りと相手の技に合わせて返す取り口だった。
その取り口からわかるように、彼女は速攻型というよりも遅攻型だった。四つに組んで相手の攻めに耐え、じわっ、じわっと寄ってから多彩な技で勝つか、相手の技に対して投げ返しや、土俵際でのうっちゃりなどの技で勝つか。大体その勝ち方だった。
その相手の技に合わせて返す返し技や、寄りからの技の種類が多彩なので、
──彼女、なかなかやるな。幕下上位でくすぶっているとはとても思えないぜ。
……何が原因なのか、見定めてやる。
と、鬼金剛は酒を煽って、申し合いの行方を眺めていた。
天ノ宮は取組をしていないときは、美穂乃月のそばで土俵の申し合いを見ていたが、時折、ちらっ、ちらっ、と鬼金剛の方を見ていた。
その目は、どうにも不信感が拭えないものだった。
──まいったなあ〜。俺様、どうにも信用されてないじゃん。まっ、酒呑みながらだらしない格好で眺めていりゃあ、そう思われるのも仕方がないことかもしれんがな。
そう思うと、酒瓶を一つ口につけた。
そうこうするうちに、申し合いが一番終わった。
勝った相手に、周りの女力士達が、一斉に勢いよく手を挙げる。
そして輪の中央にいる女力士が指名したのは、天ノ宮だった。
彼女は一つ気合を入れるような顔をすると、土俵へと向かった。
相手は、十両下位の力士。
稽古の場合、お互いの呼吸を合わせて立ち合う。
実際の本場所でも、呼吸を合わせて立ち合うが、行司がいる場であることから大体の立ち合う目安はある。が、稽古では完全に相対する二人の裁量だ。
お互い手を付け、見合ったところで──。
立ち会った! お互いの体が、ぶつかりあう!
と、次の瞬間!
天ノ宮の突き出した手のひらに、それぞれ違う色の小さな光が二つ生まれ──。
そして、爆発した。
黒と白と灰色が入り混じった煙がわたあめが広がるようにもわっと広がり、天ノ宮の体を包んでいく。
そしてその爆発の勢いで天ノ宮がよろけた隙を、相手は一瞬驚いたものの、それを見逃さなかった。
相手の女力士はそのまま突っ込むと、天ノ宮を突き飛ばした。
突き飛ばされた天ノ宮は、その場にいた凜花と衝突し、どうっと、倒れ込んだ。
「あいててて……。ごめん、凜花……」
「いいって……」
凜花達に助け起こされた天ノ宮は、
──また、これが起きた。……これって、一体何?
と首を傾げながら、申し合いに勝った相手が、別の相手を指名して取り組む様子を、悔しそうに見つめていた。
鬼金剛はその時、おや、という表情を見せ、酒瓶を畳に置いた。
そのまま考え込む表情を見せる。
──これは……。
彼は
それは個有魔法、あるいは共通魔法の発動に失敗したときの状況などを記録した資料だった。
──爆発して黒煙が吹き出すというのは、魔法発動に失敗した時にはよくある例だ。で、その直前の二つの光は……。あった。
彼はその資料のある一文に目をやった。
そこには、こう記されていた。
『魔法の不発時の直前に、二つ以上の発動光が確認された場合、その原因の多くは、二種以上の(個有)魔法の発動を、<二重発動>の能力無しで発動しようとしたときに起きる世界干渉系の
その一文を見て、鬼金剛はやはりな、という顔をした。
──彼女には二種類以上の個有、あるいは共通魔法があるに違いない。それを無意識的に同時発動しようとして、魔法による世界干渉の際に不具合を起こし、あの現象が起きるんだ。
そこまで思い、彼は天ノ宮の姿を見た。
彼女の背中から、何かが揺らめきながら立ち上っていることに気がついた。
それは、微量の魔力が作る
鬼金剛が持つ個有魔法の一つとして、相手を凝視することにより、わずかながらだが、その相手の体から放出される気や魔力を見ることができるのだ。一種の魔眼、と言ってもいい。
──そういえば魔力って、そいつの持つ個有魔法によって色が決まってくるんだよな……。こいつの色って、何色かいな。
そう思いつつ、酒を煽ろうとした時。
鬼金剛は、はっきりと気がついた。
天ノ宮の周りの魔力がごくわずかだがいくつもの色、例えるなら、虹のように揺らめいていることに。
酒瓶をあげようとした腕が、止まった。
──まさか、こいつ……。
だが、確かめて見る必要はありそうだ……。
依頼主があいつらなら、それだってあり得るかもしれねえからな……。
そして一息吐いた。
その顔はさっきのみずぼらしい男のそれではなく、生き生きとした、猛禽類そのものだった。
彼を知るものならば、現役時代の鬼金剛が戻ってきた、というに違いない。
それほどまでの顔だった。
──面白え……。面白くなってきたぜ……。
なるほど、こいつはあいつらが伸ばしてくれ、上に上げてくれと依頼するわけだ。
……さてっ、いっちょ揉んでやるか! 腕が鳴るぜぇっ!!
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