第13話 交渉人〜憑依Lv.6〜

 ...♪*゚

 陽の光浴びて どこまでも歩くよ

 細い糸の上 何度足が 縺れても


 月の雫集めて 君に捧げるよ

 闇に堕ちて その蒼が失われたとしても

 僕の翼の 羽根を与えるよ!

 ...♪*゚

 救いを 求めるなら

 汝を 天使の国へ 導ける

 求めるなかれ と言うのなら

 ローブを 馬の背へ 靴に花を

 ...♪*゚

 恐れるなかれ 光の園を!

 神の御名によって ah!(†アーメン

 ...♪*゚

 In the Name of Jesus Christ!

 僕達の神よ 力を!

 清らかな母の力で 祝福された者よ!

 闇に 打ち勝つ 力をおさずけ 下さい!


 陽聖なる火を掲げて どこまでも導くよ

 細い糸の上 何度足が 縺れても

 甘い果実集めて ケーキを作るよ

 君の心に 甘い香りでくすぐられたら

 僕の翼の 羽根で足元を照らすよ

 ...♪*゚


〈ギギギ……!〉


 効いてる。俺の体は四肢を振り、地面で激しくもがいている。この歌………悪魔祓いの聖書の文言が羅列してるんだ。普通の人間が聴いたり歌ったりしても違和感がないけれど、光希が歌うことで効果が出る。


〈無駄だ……俺達を追い出しても!〉


 俺の身体はブルーシートの側でジタバタと暴れている。この異様な光景にも通行人は誰一人足を止めない。


「ふふ〜ん。追い出せるならそれでいいもんね!」


 光希が歌い終わると共に、それまで我慢していたような勢いで雨が土砂降りになる。


「さぁ、悪しき者は聖なる水で叩きつけられればいいと思うよ!」


〈うぎゃぁああっ〉


 うわ……結構エグいなぁ。いや、駄目だ。同情しては。でも、ケルビムが喧嘩っ早かったのは事実なんだよなぁ。


 ずる…………


『……ん?』


 なんか今、足に違和感が。


 ズブズブ……!


『ぅわっ!!』


 見下ろすと、アムドスキアスの尻尾が巻き付いた右足首が地面の下に沈み始めていた。


『なにこれ!なにこれ!』


 薄々予想はついてはいたけど、やっぱりか!


 少しパニックを起こしている俺に、突然俺の本体の首がグリッと振り向く。やめてそれ〜。BLACK MOONに来たらいつか見る光景だと思ってたけど、まさか自分の身体で体験するなんて!!戻ってから骨折してたらどうすんだよ!


〈〈我がアムドスキアスは不滅。私が滅んでも、また悪魔の後任者がアムドスキアスとして生まれいでるのだ!〉〉


 さっきまでと声色が違う!店で聴いたしゃがれ声……。今憑依してるのはアムドスキアスだ。


『私が滅んでも……?』


 トーカだ!

 アムドスキアスをTheENDで倒したんだ!これで俺はアムドスキアスの呪縛から逃れられるはずだ!!


〈〈戻しはせんぞ!お前を地獄に堕としてからだ!!道連れにしてやる!〉〉


 あ、そういう……事になっちゃうわけ!?

 自爆スイッチかよっ!


 もう俺の霊体は腰の辺りまで地面に沈んでいた。


『くっ……』


 這い上がろうとしても地面が掴めない。

 無理だ。堕ちる!!


 悟ったが最後。


 ザンッ!!!


 地面から出てきた大きな黒い手形に、一気に頭から潰されるように押し込まれた。


『ぐはっ!!』


 意識が……途切れる……!!


 ************


 飲まれた……。あの地面から出てきた黒い手は闇だ。地獄に堕ちる者全てが一度は視る、闇の一部。

 俺は、堕ちたんだ。どうなるんだ……?

 混濁した意識がはっきりしてくる。


「………はっ!!……はぁっ、はぁっ」


 呼吸をした途端、そんなに悠長じゃない事が一瞬にして分かった。反射的に身体が反応しる。


「うっ……!」


 戻ってる!体の感覚!肉体は確かに人間界の路上に転がってるはずだ。けれど、俺の幽体離脱は確実にいつもアカツキやクロツキに行った時と同じように感覚がある!


 けれど…………死ぬ。


「……〜〜〜っ」


 肺が、痛むっ!!息をする度、胸に激痛が走る。何だ!?

 何とか持ちこたえろ!ここで死んだら、マジで離脱したまま死んじまう!落ちてきた衝撃か?

 身体が痛い。

 何とか上半身を起こしたところで息を飲んだ。


「………なん……だこれ………」


 俺の目に飛び込んできたのはありとあらゆる生物の氷像が立ち並んでいる空間だった。

 どの人間も、生き物も凍って………。


「!!」


 やっちまった!!


『概念的感覚』


 氷像がある。床もスケートリンクのようで、氷像の他には、水晶の鉱山に埋まっているような石柱並の氷が何本も。それが床から、上空が見えない程の暗い上空まで建っている。


 それゆえの、自然な視覚による思い込み。


「さっ…………寒………」


 慌てて洋服を脱ぎ捨てる。脱いだらもっと寒いって分かってるけど!!今まで聖水で濡れていた服が「ここは寒い」と脳内で処理した瞬間、バリバリと固まり凍り付き、皮膚の冷や汗さえ霜に変化していくのが分かった。

 息どころか身体の表面からも、白い湯気が滲み出る。

 驚いて思わず脱ぎ捨てたけど、裸でどうにかなる気温じゃない。分かってる!でも、今脱いだ服。また着れるか?無理!!でも、素っ裸じゃ余計に……!

 ペシャンコになったパーカーとタンクトップを摘みあげると、床に落ちたその形状のままカパッと塊になってしまっていた。


「ふっ……ふっ…」


 どう頑張っても自分の意思に反して歯がカタカタと鳴る。

 アムドスキアスに堕とされたら、アムドスキアスの住処や城に行くんじゃないのかよ!?

 ここはどう考えても………!


 地獄 第九層 コキュートス。

 ステュクス川の終着点。地獄の毒川の流れ込んだ果て。

 地獄に最下層だ。


「はっ……はっ……」


 動きを止めたら駄目だ。体温が……クソ。

 凍る!!このままじゃ!


「し……し…死ぬ……」


 何か、何かないか!そうだ!

 ライター!クロツキなら、もう物が触れる!!


 俺は急いでカチカチになったパーカーのポケットからライターを取り出す。

 こうして握ってみると、女性向けのその電子ライターは凄くスリムで、ここでは凄く心もとない気がする。

 少し、風がある。

 そっと手を添えて、火が消えてしまわないようにするけれど、どうにも身体の震えが止まらない。


「うぅ……ぅっ……!」


 カチ…………カチ……!


 小さい。なんの意味も成さない小さな炎だ。

 そうだ。服を燃やせれば暖が取れる………わけないか 。もうこんなカチカチじゃ、火が燃え移るとは思えないし、燃えたところでほんの少しだけの間だ。身体を暖めるには不十分……。


『死』


「クソ……!」


 納得がいかない。

 自分が死んだことに。

 BLACK MOONに関わったのが間違いだったのか!? 自分の行動となんの意味もない、こんなつまらない逆恨みで死ぬのか俺。


 何気なしにライターの火を近付けて、周囲の氷像を見つめる。


 こいつは……中世くらいの女性かな……。こっちはもっと古い……。猫もいる……化け猫にでもなったのかな。後ろはアジア人だ。ターバンを巻いた若い男もいる。

 小さな灯りを頼りに、歩き回る。

 皮膚の表面はもう白く氷が張りつき白くなってきて、感覚はもう無いに等しい。

 どうしようもなく、ただ歩くだけ。止まったら終わりだ。とにかく体温を上げないと。

 でも、この気温は流石に……もう限界だ……。


 足を止めたすぐ隣の氷像の肩に手をかける。


「あっ」


 まずい……!

 指は一瞬にして氷像の表面に張り付き、俺の指先の皮膚を奪った。


「……っ」


 痛てぇ。火傷と同じだ。皮がめくれた。

 クソ、こんな調度いい身長で居るんじゃねぇ!

 その氷像は俺より身長が低い。子供のようだった。

 全く、こんな子供までここに堕ちてんのかよ。

 俺はライターの火をその子供の顔に近づけた。


「……そ………そんな……!」


 思わずもう一度、ライターの火を近付ける。

 間違いない。この二体並んだ子供の氷像。


 セイズとガンドだ。


「………」


 駄目だ。

 頭が回らない。寒すぎる。

 どの道、俺もこうなって終わりだ。


 誰か………!

 誰か助けてくれ!!


 ガツっ!


 俺の身体は遂に崩れ、氷の床に膝が張り付く。

 孤独だ。誰も居ないこんな場所で……一人で死ぬのかよ……!


 ************


〈目を開けよ〉


 声が……する。


〈目を開けよ〉


 男の声がする。暖かい……。

 そっか。俺、死んだからか。

 ???

 いや、死んでコキュートスに堕ちたんだよな?


「……?」


 そっと目を開けると、さっきまでとは打って変わって、光射す明るい石洞に俺は自分の足で立っていた。


「…………っ!」


 明るい!

 土……? 巨石の隙間だ。頭上は丁度僅かな空洞しかないのに、太陽が真上に存在しこの空間を光で満たしていた。


 コキュートスの暗く刺すように冷たい氷の世界とは裏腹に、ここは少し暑いくらいだ。目の前の石壁に、俺の影がハッキリ写っている。


 何かある。

 視線を下げるとそこには祭壇があった。真ん中に銀の杯。その中にはユラユラと炎が焚かれている。いくつかの供物と、灰の入った椀のようなもの。


「ここは………?」


 どこだ……?

 だが確かに声がした。気配も感じる。俺の背後から。


〈ああ。いいんだ、振り向かず聞いてくれ。

 今の君では、私を見た瞬間に身体が燃えてしまう〉


 何それ怖い。

 言われるまま固まって前方を向く。

 すると俺の影と少し違う場所に、影がもうひとつ。背後に異形の者が立っているのが分かった。

 人……にしては、下半身が広がっているし……。そしてその影は、上半身に付いた大きな翼を左右に広げるのを映した。


『神。炎を祀る鳥神』


 アフラ・マズダー……!?

 まさか!!俺、コキュートスに居たんだよな?


〈散々な目にあったようだ。力を貸そう〉


 えっ!? それだけっ!?

 俺を戻してくれたり、しないのかっ!?


〈……ふふっ。

 果たして、その価値があるかな?〉


「はぁぁあっ!?」


 俺の身体は突然失った足場を求めて、再び体勢を崩した。

 まただ!堕ちる感覚!!闇が舞い戻り、俺の身体を掴む。


 ビテンッ!!


「ぐはっ!!」


 痛っぇえええええ!!

 道路で煎餅になった蛙の気持ちが少し分かる……。そんなことより、ここは地面かっ!?叩きつけられたぜ!?

 慌てて顔をあげる。


 ヒュォォォォッ!!


 んにゅうぅううううううっ!!!寒いっ!!

 なんで一回、場所変わったんだよ!

 コキュートスに戻ってんじゃねーかっ!!!

 って…………あれ………?


 周りを見る。

 俺、さっき程寒くない。服も着てるし、ちゃんと凍る前に戻ってる。


「…………」


 力を貸す……って、そう言う事……? でも、一気に脳が動く。そうだ。焔に結んだトーカのリボン。あれを使えば一度だけなら好きな場所に行けるんだ。でも、身体……虫湧いてたよな今戻って大丈夫なのか……?


 アフラ・マズダー……。

 ゾロアスター教の善神で最高神でもある……そんな神が俺なんか気に止めるのか?

 でも、あれは確かに神聖なものだった。声も、影も、目の前の杯の炎も。

 疑いようもない。

 手に握ったライターを見る。彫られた鳥男の柄。まさにこれがデフォルメされた姿だ。


「……」


 そうだ。俺、何がなんでも戻らなきゃ。皆、

 人間界で頑張ってくれてるはずなんだ。


 その時だった。氷の氷像を縫うようにして一人の男が姿を現す。


〈こんばんわ〉


「!!?」


 反射的にライターの火を指先に移す。俺の手の中で形成した赤いリボンの付いたメタリックピンクの銃は、一度はそいつに向けたもののすぐに射程外へ外した。


〈ようこそ。ユーマ。ここが俺の家。本来の姿だ〉


 見た目がセルだ。両手を広げ、にこやかに俺へ近付いてくる。


「………違う……」


 セルのフリをしたナニカだ。

 こいつは匂いが完全に悪魔だし、何より体外に漏れ出てる魔力が桁違い過ぎる………。

 かなり高位の悪魔なはず。それもとびきりヤバい奴。


「俺の知ってるそいつは、あんたみたいな実力者じゃねぇぜ?」


〈俺はお前が騙されてくれるなら、その方が楽なんだけどなぁ〜?〉


 その口調。嫌いなんだよな俺。


「最初から騙す気ないだろアンタ」


 奴は諦めたのか、笑いながら頭を掻く。


〈ははは。お前の親しい人間を選んだつもりなんだけどなぁ。

 そうか。こいつは力が無いのか!〉


 自分の胸に手を当て、不思議そうにする。セル自身を知らずに化けたのか? 口調も真似てるし、だとしたら俺の脳内の記憶を読んでる可能性もあるな。


「まぁ、良い奴だけど。あんたの方が強いと思うぜ。悪魔さん」


〈あはは。そう言われると悪い気はしないな。

 じゃあ……〉


 セルの顔をしたそいつはゆっくりと顔を両手で包み、滑らせるように胸元まで下げていく。


〈こぉんな感じはいかが?〉


 奴の身体が見る見るうちに変形する。

 黒いドレスに大きな胸、シルクのような白い肌。蜂蜜色の髪をした、妖艶な女に変わった。


〈どうかしら? 悪くないでしょう?〉


「悪趣味過ぎねぇか?

 いかがも何も、彼女と俺はなんの面識もないからなぁ。

 まぁいいや。あんた何者なんだ?」


 大人のトーカに化けたそいつは残念そうに、ムッとして見せた。


〈もぅ。ちょっとは変身に触れなさいよ〉


「だってあんた『実体』じゃないだろ?」


〈ああ!気付いてたから銃口を降ろしたのね?

 ふふ。 そうよ。貴方が見える位置に私は居るけど、貴方の目の前にいるこの私は氷の世界とほんの少しの上空の光が作り出した、ただの幻影〉


「ここに住んでるのか?」


〈簡単に言うと、そうなるわね〉


「……皆、凍ってる。あんたがやったのか?」


 ここにはセイズとガンドの身体もあった。生身の身体さえ人間界に残ってれば、助けてやれたかもしれない。

 セルの言う通り、あの二人は悪魔祓いで命を落としたんだ。こんな所で俺が見つける羽目になるなんて。


〈私がやったかと聞かれたら、NOだわ。ここは私を幽閉するため神が創った、生きる物の居ない空間だから……〉


「幽閉………! まさか………!?」


 とんだ予想違いをしていた。氷も言うなれば水だ。地獄にある複数の毒川であるスティクス。そこには管轄する女神がいる。てっきりその女だとばかり思い込んでいたけれど、ここはコキュートスだ。

 全ての毒川が流れ着く場所。


 その昔、とある天使がコキュートスに堕とされた。地獄に落下し、コキュートスの氷に頭が刺さり頭部が凍ってしまったという。


 そいつが………地獄の王。

 初代 ルシファーだ。


 まさか、こんな奴にホイホイと出くわすなんて……本当にツイてねぇ。憑いてはいたけど。

 変に刺激したくない。でも、足元見られんのはもっと駄目だ。

 セルの言葉を思い出せ。


『悪魔の誘いや誘惑、提案、妥協案、それらに惑わされないでくれ。きっと文字通りだお前は地獄を見るだろう』


 コキュートスは裏切り者の堕ちる地獄だ。


 俺、裏切ったか? 楽器隊の事か? 確かに主人は店に来て行ったけど、別になんの契約もしてないのに。


 俺は……死んだんだ。

 身体は人間界で心肺停止のはず。コキュートスの極寒も、とんでもない責め苦だった。


 でも、分かってるから。

 まぁ、信じてるっつーか。

 あいつらは絶対諦めてない。

 それに俺にはこれがある。手に握った焔に結んだ赤いリボン。


 とにかく今は、こいつの口車に乗っては駄目だ。変に刺激せずに、隙を見て……。


「アムドスキアスは、どうなったんだ?」


〈ふふ。そう言えば、私は部下を持つ中位以上の悪魔たちに言ってあるのよ。一人につき年間、百万の魂を献上するようにね〉


「それは闇の意思か?」


〈残念かもしれないけれど、違うわ。それとは別に。

 私が求めたそれらの魂は、地獄を回すのに必要なエネルギーなの。私が捕って食ったりする訳ではないの。

 犬の餌や下位の悪魔が人間界に迂闊に行かないように、餌として与えて飼い慣らしたりもするわ〉


 でも、言い方変えてるだけで食ってんじゃん。


〈私はここでエネルギーを回収しながらひっそり生きてるだけよ。現役は引退したの。貴方にも悪意は無いわ。小さなエクソシストさん。

 若い頃は私も野心家で、野蛮だったわァ!〉


 魔力の差………力に差がありすぎる。俺が焔を撃っても、こいつだけは……致命傷を与えることは出来ないだろう。そもそも本体がどこにいるのか気配すらしない。

 俺の焔……悪魔なら皆、撃てると思ってた。ルシファーがまさかこんな強いなんて……!


〈……ふむ。アムドスキアスはTheENDをされたようよ?〉


「えっ!!?」


 知ってんのかよ!じゃあ、俺が今、焔を持ってるのも見えてるはずだし、油断はしないはずだ。撃たれるのも、俺が逃げるのも。


〈事の経緯を使いの者から聴いたけれど、しょうもない話よねぇ。アムドスキアスは最後に貴方をにえとしてここに堕として、悪足掻きしようとしたのよ?

 でも、私はそんなんじゃびかないわ。代わりの悪魔もいっぱいいるもの〉


「じ、事情を知ってるならば分かるはずだろ? 俺は何もしてないんだ。ケルビムってのがいちゃもんつけて楽器隊をやっちまったんだよ!」


〈そうなのよねぇ。貴方に責任は無いと、私も思うのよねぇ。

 ん〜じゃあ、いいわよ? 可哀想だし、助けてあげても〉


「え……? いいのか?」


〈ええ。ケルビムのせいで堕ちてしまった貴方を、地獄で苦しめたりするのは気が引けるわ。天国に送ってあげる!〉


 天国かぁ。地獄で責め苦を受けずに済むのか?

 多分、断れば俺はまたさっきみたいな極寒に見舞われて、その苦しみが永遠に続く訳だ。

 なら……。

 天国に行けるなら、その方がいいよな?


〈ただ、簡単な条件があるの〉


「条件?」


〈貴方が死んだのは、ケルビムが楽器隊を地獄に送ったせいなのよね? 許せないものだわ。

 天国に送るから、ケルビムを倒しちゃいなさいよ〉


『悪魔の誘いや誘惑、提案、妥協案、それらに惑わされないでくれ』


 セルの言葉が俺の身体の内側にずっと、存在を示す様にモンヤリと流れ込んでくるんだ。

 分かってる。これが悪魔の誘惑だってことは。

 でも正直、俺はもうあんな寒い思いしたくない。

 寒いなんてもんじゃなかった。痛い。氷に付いた皮膚は張り付き、剥がれ、出てきた血液すら凍る。

 このまま要件を飲んでしまいたい。アフラ・マズダーのこの力もいつまで続いてくれるかも分からねぇし、空腹だ。

 そもそもあの天使が少しの慈悲でも持っていれば……そうだよ。悪いのはアイツなんじゃねぇのか?


「ダメだよ!ユーマ!」


「……え!?」


 氷の世界の最深部。巨大な霜柱が折り重なる真っ暗な隙間から、一人の少女が屈んで這い出て来た。


「天使を殺したら、罪に問われて……結局、ここに戻ってくるのがオチだよ!」


 その聞き覚えのあるデカい声、オレンジ色のシュシュで纏めた黒髪のポニーテール、そして手に持ったトランペット。


「みかん!!」


「あはは!あの後大変な事になってるって聞いて、百合子先生に家から連れ出して貰ったんだぁ」


「俺、泣きそう!」


「あはは! ほんとに泣いてるし!

 ルシファー様もお変わりないですね〜」


 うん。今、お前に対する希望と嬉しさと感動が、一瞬にして呆れに変わったよ……。お前、ルシファーとも友達なの?

 訳分からん!!でも、みかんが来てくれたってことは、マジで俺まだ終わってない!


〈来たわね。もう少し遅くても良かったのに〉


「そりゃ飛んで来ましたよぉ。ユーマのためにも………貴方の為にもですけど」


〈私……?〉


 ルシファーはトーカの顔のまま、怪訝そうにして眉を寄せる。


「残念かもしれないけど、貴方がユーマに手を出したらデメリットの方が大きいんですよね〜」


〈私にはただの少年にしか見えないわよ。それにTheEND持ちだなんて、早めに処分しちゃいたいのよ〉


 ひでぇ事言うなぁ。それが本音かよ。

 でも、俺の生死がなんでルシファーに損得が発生するんだ?


「ユーマには火の加護があるんです。感じませんか?

 地獄の業火とは違う……神聖な火」


〈ええ。分かるけれど。あのケルビムが放った攻撃波動を浴びたか何かしたのかと……〉


「それ、本気で言ってます?」


 聖なる火……あの鳥男の聖火か……。俺自身、ゾロアスター教信者じゃないんだけどな……。母さんは関わりがあったのか……? 何も聞かされてないなんて。

 そうだ……。あの鳥男と話したんだ……。

 今、俺が凍え死んでしまわないのは、火の加護があるからか。


 ルシファーがじっと俺を見定める。

 その眼光の鋭さは、偽トーカのものじゃない。この氷の世界のどこかにいる本体の視線だ。ピリピリと全身に痛みすら感じる。


〈神聖な火の加護があるのは分かったわ。けれど、異教の者なら尚、関係の無い事よ〉


「いいえ。ゾロアスターはキリスト教より古い神々な上に悪神もいます。敵に回したら厄介な古参だと思うんですよねぇ〜」


〈……。

 色んなモノを見てきたわ。感情、物、生き物、行動。賢く狡く生きなきゃ。損をしてもいつか報われる、なんて思えない。皆が幸せになれるわけじゃない。報われない者もいるのよ。

 だから、捕れる時に捕るの。逃がさないわ〉


 ルシファーが俺に、そこまで執着する理由は無さそうだな。頼むみかん!


「賢明とは思えませんです〜。

 あのアフラ・マズダーですよ?

 そもそもユーマはここの地獄に堕ちてることの方がおかしいじゃないですかぁ? ゾロアスター教の死後の世界はここじゃないですもん。

 その上、天界に刺客として送るなんて、トラブルの元ですよ……」


〈……くっ。

 ……ユーマとやら〉


「はい……?」


 ルシファーが俺を見据える。


〈ゾロアスター教の加護は承知した。

 だが、本当に守護神はアフラ・マズダーなのか?〉


 そう言われても、ゾロアスターなんての最近知ったし、海外の宗教ってイメージだしなぁ。ただ、火の加護ってのはトーカも初対面の日に探ってたよな? ミカエルの加護かもって。結局、違ったわけだけど。

 確かな事もある。

 さっき、意識の中で呼びかけられたあの鳥男。あれは本物だった。天使や悪神は見たけれど、アフラ・マズダー……あんな強烈な存在感と、あの炎を見つめた時の包容感はまるで全てが浄化されるような……神聖な火だったんだ。


「……さっき、アフラ・マズダーとコンタクトを取りました。神聖な火の前で。

 俺が今、コキュートスの冷気に負けてないのも加護が働いてるからです」


〈確かに。一度は凍ったのをこの目で見た。

 そうか……TheENDの使い手はカトリック教徒だけではないのね〉


「私が暖かいのはセルのアミュレットのお陰〜」


〈あんたにゃ聞いてないわよ〉


 ルシファーは軽く溜息をつくと、またトーカのモノマネをして微笑み、頷く。


〈本当にそうだとしたら、確かにこっちもごめんだわ。人一人の魂をとったせいで、異教の神の怒りを買うなんて。挙句、エクソシストのお前達に追い回されたくはないし〉


 ……って、事は……!? 帰ってもいいのか!?


〈ただ、何も無く帰れるとは思ってないわよね? 悪魔憑きにあった人間がコキュートスに堕ちて、それを救うのだもの。

 見返りが欲しいわ〉


 抜け目ねぇなぁーもぉ〜……。


「例えばどんな見返りです? 命とか、そーゆーの無しですよ」


 みかんが淡々と話を進めて行く。


『交渉人』


 多分、この仕事の一番の条件は『相手を恐れない事』だ。

 対等に居ないと、足元を掬われ全滅する。


〈そうだな。

 ユーマとやら。ペットを飼う気なんて無い?〉


「ペットっ!?」


 間の抜けた俺の返答とは違い、みかんは首を傾げる。


「千里眼で私たちを監視したい……ってことで合ってますか?」


〈……そう言う事よ。

 今回だって、アムドスキアスが粗相をした時点で私が気付けていれば、TheENDで倒されることも無かったわ。私なら仲裁に入れたのに。私にも責任があると思わない?〉


「でも、監視されるのはちょっと。

 私たちエクソシストですよ? 倒す前にターゲットに逃げられる事があったりしては、困るので……」


〈なら、それも契約内容に書きましょう〉


「条件、多くなりますよ? こちら側の条件だけ並べ立ててもいいのなら」


〈構わないわ〉


 みかんが俺のそばに来る。


「ユーマはどう? 動物好き? たまにこの人に覗かれてもいい?」


 ……にしても、帰るにはそれしか方法無いようだし。仕方ねぇのか。


「じゃあ、その『条件』っての厳しく頼む」


「分かった!」


 みかんが前に出ると、ルシファーは大きな羊皮紙を広げ、魔法で何やら描き始めた。手を翳すだけで、文字や魔法陣がヌラヌラと浮かび上がってくる。

 みかんは真剣にそれを目で追う。


「いえ、常に千里眼は駄目です!」


 みかんが指を指して咎める。


〈いつならいいのだ?〉


「例えば仕事から離れてる時と、店に居ない時。会話の盗聴も駄目です。あと、性的な問題も堕落を招きかねないので駄目です。プライベートも人間関係を掻き乱されては困るしぃ〜」


〈それ、見る意味あるのか?〉


「さぁ? ご自分で提案したんじゃないですか。店の顧客も知りたければ御自身で来てくださいよ!サービスします」


〈行かないわよ!ええい、面倒な〉


「あ、動物はこっちで用意します。指定もしないでください。あと、憑依も駄目です。

 あくまでその動物はユーマのペットです。ルシファー様がご自分で聞き出してください」


〈なんだと?!〉


「白熊とかメガマウス鮫とか言われても困るもん」


〈流石に言わんぞ!!

 自分の目で視ずに、そのペットにペコペコ頭を下げて情報を聞き出せと言うのか!?〉


「はい。聞けるだけでもいいじゃないですか。

 あとは……これです。

 仕事中、私達のターゲットを逃がしたり幇助する事があったら……うーんそうですねぇ〜……」


〈………〉


「ん〜。じゃあ……地獄をいただきます☆」


〈却下だ!釣り合いが取れてないだろ!〉


 ルシファーともあろう者が、口調が遂に崩れてる。のせられてんな……。分かる。分かるぜ。みかんの突拍子も無い行動と発言とか、考え無しに勘だけで動いてるもんな。


「えぇ〜? ルシファー様、我儘なんですねぇ。

じゃあ、ターゲットの命は消滅し、このペット契約書は破棄される、でどうです?」


〈いいだろう〉


 聞いてる感じ、ルシファーに何もメリットがない契約に感じるけど……。


「そこまでして……俺の何が知りたいんですか?」


 素直な質問だった。

 ルシファーは簡単に答える。


〈アフラ・マズダーの加護のある男の観察だ。TheEND使いの生活も知りたい〉


 ああ。そんな理由なんだ。

 でも、いいのかなぁ……? 私生活だけでも、何かヤバい気がするけど。でも、特に何か他の人間と変わったことって、俺は何もしてないしな。普通の現代の若者だよ。


「えっと、他の条件はいいかな。じゃあ、最後の条件です。

 ユーマがアフラ・マズダーの加護を受け続けられるように、この宗教概念ではルシファー様がユーマを守護して下さい」


〈馬鹿な!!既に他宗教の最高神の守護を受けている者に!更に私程の男の力を使えとっ!!?

 そんな馬鹿な要求飲むわけがないだろう!〉


「ペットを通してそそのかされちゃ困りますから。それにあくまでユーマの守護神はアフラ・マズダーです。ルシファー様の息のかかったペットがユーマを監視してるなんて知られたら……言い訳が必要ですよねぇ? ちょっとした調査でしょ? ね?」


〈くっ……糞が。持ってけ!〉


「あはは〜」


 みかんはルシファーが書き終えた紙をクルクル纏めると、背負って来た楽器ケースに入れる。


「では一旦預かります。うちの代表に確認を取りますね?

 問題が無かったらユーマと、そのペットから採取した血液で印を押させます。書き直し事項があれば、私がここにまた来ますので、書き直し、もしくは書き足しをお願いします。

 印を押してから一時間後、契約内容開始。

 それでいいですか?」


〈……構わん。早く帰ってくれ〉


 皆言うのな。みかんに会った悪魔って必ず……帰ってくれって……。

 みかんは俺に満面の笑みを向ける。


「良かったね!」


 良かった……のか?

 基準がよく分からないけど、良かったんだろうな。


「帰ろうか!」


 ドフッ!!


 みかんの言葉に反応したかのように、コキュートスの硬い床からドアが突き出てきた。


「ではルシファー様、失礼します!」


 みかんは一礼すると、さっさと出てってしまう。俺も慌ててドアノブに手をかける。


 そうだ………。


「あの……」


〈なんだ……?〉


「ここにある氷像は、壊れることなくずっと存在し続けるんですか?」


〈ああ。何者かに壊されたりしなければ。私のコレクションだ〉


 壊したら敵に回る……か。

 セイズとガンド……。セルかみかんにRESETをかけてもらえれば、あの二人の魂はコキュートスから天界に行けるんだよな?

 今、あの薔薇の園にいるのは憑依したアムドスキアスが俺を掴んでいたように、あの空間に閉じ込められたまま誰も解放してやれなかったんじゃないのか? 一種の後遺症だ。


「わかりました。失礼します」


 俺は既に氷柱つららの出来てるドアノブを回す。

 結局、リボン使わなかったなでも、持ってるのと持ってないのとでは、気分的に違うな。少し安心する。


 ドアの先は光の射す、暖かな世界だ。見覚えのある光景。ビルの中の教会だ。


 俺は無事、地上へ戻った。

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