第79話 リリー

 配信を終え、再び彼女と向き直る。

 今の彼女はリリーとして私に付き従っている。

 世を偲ぶ仮の姿であるスズキさんではなくなっていた。


 美しい容姿ではあるが、どこか闇を纏っており、油断すると引きずり込まれそうになる恐怖を予感させる。

 そんな彼女が恍惚とした笑みを浮かべて傅くのだ。

 恋愛に多感な時期な男だったらあっという間に取り込まれてしまうだろう。

 しかし彼女の本来の気質はその思慮深さにある。


容姿の不気味さなどなんの障害にもならないほどコミカルな動きでお茶の間を沸かせ続けてきた手腕はお見事。

 すっかり『魚の人』で定着させてるあたり、生半可な努力では達成できないものだ。



「で、どうしてNPCである君がウチの孫を騙せたの? リアルの存在を作り上げるなんて流石に君でも無理でしょ?」


「そのことにつきましては魔術を使いました。思考を誘導する魔術です。わたくしを見ると違和感を抱くことなく近しい人物の信頼できる相手、そして長時間ログインしていても不都合ない存在が思い浮かぶ様な術です」


「そこで浮かび上がったのが偶然彼女の担任教師だった鈴木先生であったと?」


「はい。偶然とは恐ろしいものです。その時の行動していた依代もスズキだったので、恐ろしいほどに噛み合ってくれました。その時ほど自分の幸運を祝ったこともございません」



 リリーは嬉しそうに話を締めくくったが、問題はまだある。

 魔術と聞いて一番先に思いつくのがその後遺症についてだ。



「しかしね、その魔術は後遺症とか大丈夫なの?」


「作用するのはこちら側の世界に限ります。向こう側にお戻りになられた時には綺麗さっぱり忘れてしまいますよ。まるで白昼夢を見た様なものです」



 流石上位NPCと言うか。

 ゲームマスターに限らず、この子達もこれがゲームだって知ってる上での会話なあたり、人間の情報処理能力を超えてきてるよね。



「まぁ良いや。いや、よくないけど。リリーとしては咄嗟の判断で私の身内にそんな魔術を使ったと言う事で良いかな」


「否定できませんわ。それ以前にわたくしは見た者の嫌悪感を向上させる見た目をしておりました。よもや近づいてくるものが居ようなどとは思いもよらず、あの時は咄嗟に使ってしまったのです」


「それ、ある意味では私の被害者だって言ってる?」


「はい」



 リリーはスズキさんの様ないたずらっ子の笑みで頷いた。



「じゃあ仕方ないか。誘ったのは私だし、孫も孫でじっとしてないからね。あの時勝手についてきたのを了承したのも私だし。でも急に先生ぶったりした時は驚いたな。あれで私は君が本物の先生だって信じ切ってしまったよ?」


「綱渡りだったのは確かですわ」


「でも君は直接会うだけじゃなく、私のブログ内でもそう認識させてたよね。それはどうして?」


「魔術とは一度かけた相手にずっと残り続けます。特定の条件下において発動するため、それ以外では綺麗さっぱり忘れてしまう。そう言う魔術を使っています。要は思い出す時に自動で変換されるのですわ」


「聞けば聞くほど便利だねぇ」


「我らはそうして人に紛れて生きてきましたから。これも無駄な諍いを産まないための手段なのですわ。ご理解いただけまして?」


「そう考えれば納得か。君達の悲願でもあるわけだ。まぁ私にどこまでできるかわからないけど、なんとかしてみようじゃないか」


「その時をお待ちしておりますわ」


 ソファに背もたれに背中を預けると、彼女は私の横にちょこんと腰をかけた。

 赤々とした髪が蠢く。

 よく見れば毛ではなく毛細血管が浮き出た触腕だと分かる。

 遠目で見れば毛の様に見えるけど、これもまた擬態なのだろうか?

 軽く触れると、指を柔らかく包み込む様にうねうねと絡みつく。ちょっとヌルヌルするのに目を瞑れば可愛いものだ。


 アンブロシウス氏も言っていたが、私は常に正気を失っているのかもしれない。



「それで話は変わるけど」


「なんでしょう?」


「リリーとしては私が君の旦那さんに変身するのと、ただ側にいるだけなのとどちらが良い?」


「出来れば変身する事を望みますが、そうでなくてもマスターはすでに深きものとして民達に認識されております。わたくしがお側に仕えているだけで無条件で民達は従い、王と慕ってくれる事でしょう」


「本音は?」


「変身してほしいです。でもそれは博打だと知っております。如何に胆力が強靭なマスターであれど、夫の瘴気までは支えきれません。ですのでそれは無理からぬ願いとして胸に秘めておきますわ。今は少しでも長くお側に」


「なるほどね。ならば私は変身しないで君たちを導こう。ゲームマスターさんから今の私を失ってほしくないみたいだ」


「それがよろしいかと思います」


「さて。私からのお話はこんなものだ。あとは君が私を自由にする時間に当てようか。配信でだいぶ時間を使ってしまったが、あと数時間になってしまうが良いかな?」


「では少しの間お手を拝借させていただいて構いませんか?」



 リリーはモジモジしたあと、頬を染め上目遣いで問うてくる。

 そんな彼女の方に手を置き、引き寄せた。

 さっきアンブロシウス氏の前で辛く当たったから断られると思ったのだろう。けれど安心させるべくそっと囁く。



「良いよ。今は私が君のマスターなんだから。私のやれる範囲でならなんでも言いなさい」


「ありがとうございます」



 瞳に涙を浮かべて、それを拭い去りながら彼女は満面の笑みを浮かべた。やはり女性は笑ってる時の方がよりグッとくる。

 娘どころか背格好は孫と同じくらいなのに、何を私は胸を打っているのだろうか?

 浮気じゃないよ、これは。


 今時の若者の言葉を借りるなら、推しだ。

 推しが尊い。そんな感情が胸中に湧き上がる。



 リリーは私との海中散歩を提案した。

 一度ファイベリオンに赴き、海の中に入って泳ぎながら過去のエピソードをいくつか語ってくれた。


 人間と魚人の関係。

 搾取するものとされるもの。

 魚人は後者であった。


 主神である旦那さんが眠りにつき、リリーもまた海中にひっそりと身を隠して生きてた頃。

 魚人達は人類に迫害されていたのだと言う。


 魚人達は神に祈り続けた。

 その祈りが届いてリリーは目覚めたらしい。

 とはいえ意識を戻そうにも器である彼女が目覚めたところで一人ではどうしようも無い。


 そこでリリーは夫をその身に宿せる存在を探す様に依代を使って世界を巡った。


 そんな出来事が数万年つづく。

 私達が遊ぶ前からそれほどの歴史を刻んだ舞台だとは露知らず、プレイヤー達は降り立った。


 世界に神々の祝福が鳴り響き、リリーもその日のことはよく覚えていると語ってくれた。

 けれど海の中にまで手を広げるもの達はいなかったらしい。



≪でもマスターに出会うまでめぼしい方はいらっしゃいませんでした≫


≪リリーが面食いだったからとかじゃなく?≫



 話を茶化すと、彼女は本気で悲しそうな表情となる。



≪マスターはそうやってすぐわたくしを虐めるのですね。これでも結構傷ついているのですよ?≫


≪そうだね。でも君は悪戯で何度私をそんな気分にさせたか覚えているかね?≫


≪10から先は覚えてませんわ≫



 満面の笑みでいけしゃあしゃあと述べる。

 そう言うところだよ?

 過去の旦那さんもそれを知ってるから居眠りしてるんじゃないの? いや、起きてこられても困るんだけどさ。



≪取り敢えずリリーの気持ちはわかったよ。私が人類と魚人の橋渡しをすれば良いんだよね?≫


≪出来るのでしょうか?≫


≪その為には持っているものをなんでも使うんだよ。例えば今冠番組になりつつあるこの配信とかさ≫


≪それはあまりお勧めしませんわ≫


≪また迫害されるかもしれない。そう思うと怖いかな?≫



 リリーは黙り込む。

 過去に何度も手をかけて一度も成功しなかった人類との共存。

 それを達成できるなんて聞かされても寝耳に水だ。



≪やれるかどうかではなく、やるんだ。やってダメだったら次はよく考えてやる。人はそうやって成長してきた。魚人だってそれが出来るはずだ。過去に失敗したぐらいなんだ。できないからってイジケテ諦めたのが今の竜宮城にこもってる人たちだとしたなら、私がその性根を叩き直してやる。私が監督するからにはスパルタだよ、果たして君たちはついてこれるかな?≫


≪マスター、やはりわたくしはあなたを選んで良かったです≫


≪まだまだこれからだよ? 頑張るのも君たちなんだ。でも一度引き受けた以上、私は完遂する事を約束しよう。リリー、着いてきてくれるか?≫


≪勿論です、マスター。我ら魚人族は御身と共に≫


≪では次の配信に備えて準備してほしいものを発表する。時間はあまり残されてないぞ?≫


≪それくらい、今持ちうるコネを駆使してでも揃えて見せますわ≫


≪その意気だ。音頭取りは私に任せなさい≫


≪はい!≫



 普段のおちゃらけてるスズキさんとは違う。

 懸命に一族の悲願を願う彼女の真摯な姿がそこにはあった。

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