第51話 二階堂研究所生物科学ラボ研究員・御手洗(2)

 この混乱の中で、硫黄島の試験が人々に希望をもたらしたのは事実だ。

 今まではカビを退治しても退治した先からどんどん増えて行くという状況だったが、硫黄島ではウィルスを撒いてからはカビ退治をしたところに新たに生えてくるカビがほとんどないという試験結果が出ている。


 カビをウィルスに感染させてしまえば増殖自体は止まるのだ。増殖を止めることができれば人工物は人の手で消毒できるし、木や土などに生えた分に関しては自然の復元力に任せられる。

 人体への影響は全くわからないとはいえ、それがわかるにはあと十数年必要であり、それまでに人類が淘汰されていないという保証はどこにもなかった。


 あとは各国が決断するだけだ。

 アイスランドはゲイシールと同時にブルーラグーンホットスプリングスにもウィルスを撒いた。隣のスヴァルスエインギ地熱発電所も放置すれば使い物にならなくなる。いずれにしろダメならば、いっそゲイシールと同時にウィルスを使い、僅かな可能性に賭けてみようということになった。それほどまでにアイスランドは切羽詰まっていた。

 ブルーラグーンやゲイシールはそもそもが人工物ではない。もちろんブルーラグーンの施設は人の手が介入するが、基本的に溶岩質がそのままむき出しになっている。試験をしてもなかなか効果が目に見えてこないのだ。

 そういう意味ではスヴァルスエインギ地熱発電所にもウィルスを撒いたのは正解だった。ここではウィルスの効果がはっきりと見て取れたのである。


 これによってアイスランドは少々見切り発車気味ではあったものの、国内全域にわたってウィルスを撒く決断を下した。世界に先駆けた第一号である。

 このままではアイスランドの経済は立て直しが利かなくなってしまう。それを避けるには一秒すら待ってはいられなかった。


 世界各国が息を詰めて待っていた。アイスランドにはウィルスに怯えて国外へ出る者もいたが、完全な結果が見えるには数日というわけにもいかない。それだけの滞在費が捻出できるだけの上流階級に限られるだろう。

 そもそも本当の結果を見極めるまで国外に逃げるのなら移住するしかないのだから、全くの無駄骨なのではあるが。


 日本でもその様子を見ながら国内で議論が高まっていた。とは言え国土のほぼ全域が火山で構成されているような日本がいつまでものんびりと待っていられるわけがない。場所によっては見ている先からカビがモコモコと増殖しているのを目の当たりにできてしまうのだ。大涌谷辺りでは日常がホラーと言っても過言ではないだろう。


 最近では筧大臣の動向が興味深い。硫黄島での試験の頃から、筧大臣の発言が今までのような歯切れの悪いものではなくなってきている。それまでは総理の決定を待ちながらという雰囲気だったが、このところ総理と張り合う事が多くなってきた。SNS上では『筧の乱』などと呼ばれ、若者の支持を集めているようだ。


『こちらの写真をご覧ください。これは私自身が硫黄島で撮ったものです。こちらは現地の隊員がその二日前に撮ったもの。たったの二日でこれだけの増殖が見られる。この日にウィルスをばらまいて、数日後にもう一度行き、全く同じ場所で撮影しました。わかりますか? 増殖が抑制されている』


 スタジオの大きなモニターに筧の撮ったという写真が大写しになったところで司会者が感嘆の声を上げる。


『これは……大臣も硫黄島へ行かれたのですか』

『ええ、どうしても試験に参加したかったので、天野博士にお願いして連れて行っていただいたんですよ』


 不謹慎ではあるが、硫黄島帰りの飛行機の中で「森さんが青島君のヒーローだったんだ」とそれはそれは嬉しそうにはしゃいでいた筧を思い出すと、御手洗はついつい顔がほころんでしまう。


『筧さん、カメラ片手にジャージで走り回ってくださったのよ。私はウィルスに感染させたカビをヘリから散布するだけだったけど、大臣はそのカビを頭からかぶりながら必死に頑張ってくださったわ』


 スタジオにどよめきが走る。どよめきと言ってもゲストは全員リモート参加、恐らくテレビ局スタッフとリモートでの感嘆の声が重なったのだろう。

 確かにあの日の筧大臣は御手洗の目にも恰好良く映った。頭からカビを被りながら、どろどろになって走り回っていた。スーツは死守したが、あの日の高そうな革靴はどうなったのだろう。


『もしも人体への影響が見たいのなら、筧大臣を観察することね。私の作ったウィルスを全身に浴びて駆けずり回ったんだもの』


 心なしか梨香の声が誇らしげだ。あの日の筧大臣を見ていたら、誰だって彼の自慢をしたくなる。

 と。司会者のもとへアシスタントディレクターらしきスタッフが駆け寄った。

 何かを小声で伝えたかと思うと、司会者の目がみるみる見開かれた。


『ここで臨時ニュースです。つい先ほど総理が入院された模様です』




『喘息持ちだったらしいです。カビの胞子にやられたようで。まさか総理自らカビにやられたとは言いにくかったんでしょうな、ずっと無理をされていたようです』

「臨時国会を召集できなかったのもそれが原因なんでしょうかねぇ」

『恐らく。健康不安は政治家には命とりですからね』


 二階堂とやり取りしている筧の声が心なしか沈んでいる。

 あれからすぐに筧は病院へと走り、総理を見舞ってきたようだ。総理自身、喘息でカビの胞子に怯え一刻も早く解決したかったらしいが、ウィルスという未知のものへの安全性がわからない以上、カビとウィルス両方の被害が出てしまっては取り返しがつかないと案じていたらしい。


 筧の話を聞いていた梨香が御手洗にこっそりと「引きこもり総理なんて酷い事言ったわ」と反省している。


「大体、天野さんはあちこちに喧嘩売りすぎですよ。こっちの身が持ちませんよ」

「でも宣伝効果は絶大よ?」


 そんなことは百も承知だ。だからこそ所長もテレビの討論会などには彼女を派遣しているんだし。

 だからと言ってこの全く悪びれない態度は一周回って尊敬に値する。


「筧大臣はやりますよ。今のうちに前倒しで各都道府県分のウィルスパックを作って、使い方を周知する必要がありますね。各自治体から専門の担当者を集めますか?」

「逆に専門家を集めなきゃできないようなのは困るわ。匠エージェンシーの人達でもすぐに使えるように改良すべきよ。大容量パックにするとそれぞれの自治体の中で分けないといけないから、少量ずつのパックを大量に作る必要があるわ。現在の市町村数はどれくらいかしら」

「一七〇〇強です」

「最低三〇〇〇ね」

「やはり感染させたカビを使うのが有効ですね」

「さっすが御手洗君」


 褒められた気がしなくて笑ってしまう。手配しろと遠回しに(直接的に?)言われているようなものだ。

 人使いが荒いうえに喧嘩っ早い、だけど途轍もなく有能。彼女には付いて行きたくなる何かがある。


「で、説明書も書けってことですよね」

「もちろん。よろしくね」


 ――わかってますよ。何年あなたの下で働いてると思ってるんですか。それどころか所長は筧大臣ととんでもない話をしてますよ。


『臨時国会を召集します。ここで賛成多数で可決します。ウィルスの準備を本格的にお願いします』

「決定なんですね」

『決定です』


 二階堂が苦笑いで確認するが、筧の声は真剣そのものだ。召集する前から可決が決まっているらしい。


『総理もこれを最後の仕事にして辞任されるそうです』

「あー……そうなんですか。まあ、あれですね、カビがある限り健康被害の心配はついて回りますからねぇ。賢明な判断かもしれませんねぇ」

『総理に最後に一花咲かせてあげますよ』


 青カビ特別担当大臣を拝命し、総理に代わって説明や調整をし、自らカビとウィルスを浴びながら硫黄島で走り回り、最後は総理に花を持たせる。なんのかんの言って、案外筧大臣は丹下知事に似ているかもしれない。

 八街ピーナツのネクタイを締めてラーメンをすすっているか、イタリアブランドのスーツに身を包んで颯爽と永田町を闊歩しているかの違いはあれど、一皮剥けば似た者同士だ。


 ――もしかすると僕と天野さんもどこか似ているのかもしれないな。……いや、似てない似てない、断固似てない!


「何を一人で首振ってるの? 御手洗君は仕事! はい、行った行った」


 ――はいはい。天野さんに言われれば何でもやりますよ。

 もしも。もしもこのウィルスが想定外の動きをして。天野さんと所長がこの世界から追われるようなことがあったら。僕も絶対に連れて行ってくださいよ?

 届くはずのない心の声を彼女に投げ付けて、御手洗は部屋を出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る