第46話 アオカビ対策特別担当大臣・筧

 筧は相変わらず煮え切らない態度の総理大臣と、毒にも薬にもならない会話を強いられていた。


「総理、いい加減腹を括ってください。日本人の穏やかな国民性に期待するにも限界というものがあります。これ以上長引かせると暴動が起きかねない。二階堂研究所の開発したウィルスは、恐らくどこの国も試験はしないでしょう。日本が先頭立ってやることに意味があるんじゃないですか」

「でもねぇ、危険性が残っている限り――」

「ですから硫黄島にという案が出ているんじゃないですか。民間人の住むところやその近辺で試験などできるわけがないでしょう。自衛隊すら引き上げてきているんです、そこで試験をするのは妥当な判断です。これ以上一分一秒も先延ばしするわけにはいかない」

「いやぁ、しかしね」


 ――本当にこの男の危機感の無さには心底呆れる。これが日本の総理大臣かと思うと反吐が出る。

 筧は今にも吐き出してしまいたい言葉をぐっと飲みこんで、敢えて強い口調で切り返す。


「総理はハンコだけ下されば良い。あとは私の責任で動きます」

「責任と言うけどね、万一のことがあったらどう責任を取る気なんですか」


 いい加減、自己保身を第一に考える時期は過ぎている。それがわからないなら黙っていてもらうしかない。


「責任責任と……このまま放っておいても総理が責任を追及されるんですよ。万一のことがあった時の責任の取り方を考える暇があったら、今どうすべきかを考えるのが先でしょう。いいですか総理、あなたには全ての日本国民の命がかかっているんです」

「命ってねぇ。カビで人は死にませんよ。ウィルスの方が危険でしょう」

「だからその試験をすると言ってるんじゃないですか。カビで人は死なないかもしれませんが、カビで会社は倒産するんです。その会社と取引していた会社が次々と巻き添えを喰らうんです。そして会社が倒産すれば、そこで働いていた人は路頭に迷う。総理の返事を待っている間にカビはどんどん広がって、明日の仕事に困る人が出てくるんです」

「そうは言ってもまずは国会で審議して――」

「その暇はないんですよ」

「しかしねぇ」


 筧は今になってようやく天野の言った意味が分かった気がした。筧が総理の許可待ちの間、丹下や二階堂はずっと今の筧の五倍くらいイライラと待っていたに違いない。


「私はこの青カビ対策を任された身だ、この件に関しては私に一任していただきたい。総理の許可なしで私の采配で動けるように」

「だからその責任は――」

「ですから総理は責任を放棄してくれと言ってるんです。全ての権限を私に譲渡してください。これはお願いではない。宣言です。総理が何と言おうと私の権限で捌かせていただく。あなたの返事を待っていたら、日本国民を死に追いやることになる」


 筧は相手の返事を待たずに踵を返した。こんなところで時間を取られるわけにはいかない。

 自分のデスクに戻ると、即、二階堂研究所に回線をつないだ。ノーアポだが繋がるだろうか。筧の心配を他所に白衣の天野が画面に映る。


「お待ちしてたわ、筧大臣。こちらは準備万端よ」


 さすが二階堂研究所、準備が早い。昨日の敵は今日の友か。いや、筧側がダラダラと引っ張っていただけに過ぎない。


「すみません、こちら少々手こずってまして。この件に関して総理には手を引いて貰いました。今後は私の判断ですべて動かすので、私に直接つないでいただいて結構です」

「あら、筧さんもやるじゃない。俄然仕事が楽しくなってきたわ。あたし、チンタラやるのは好きじゃないの」


 画面の向こうの天野が楽しそうに見える。本当はこんなにチャーミングな笑顔の女性だったのかと、筧は今更ながら彼女の魅力に気づく。


「大変遅くなって申し訳ないが、これから防衛大臣と調整のうえ、厚木の方に連絡を取って輸送機を手配します。天野博士も行かれますか?」

「あ、ごめんなさい。そのことなんだけど」

「なんでしょう」

「輸送対象が生物だから、少々特殊な機材を積んでいるの。二階堂のプライベートジェットを使ってもいいかしら。そちらの関係者は二名乗せられるわ。こちらは私と助手が一名、丹下知事のカビ対策部隊から一名の計三名に操縦士つきです」

「いつ出発ですか?」

「五分後でも出発できるわ」


 ――なんだそれは。とっくに準備ができていて、ずっと待っていたということか。


「日帰りですか?」

「ええ、ここから硫黄島まで約千二百キロ弱、時速八百キロ巡行で約一時間半で到着するわ。到着したら一時間で仕事を終わらせて一時間半で戻って来る。帰って来るまでたったの四時間よ」

「わかりました。ではこちらからは自衛隊の案内役を一名と私が行きます」

「えっ? 筧大臣が? 東京離れて大丈夫なの?」

「たったの四時間ですからね。それに、私自身この試験に参加したいんですよ。自分の目で確かめたい」


 天野がクスッと笑った。何かおかしなことを言っただろうか。


「筧さんって本当はそういう人だったのね。見直したわ。自衛隊に一つお願いがあるの。現地で使えるヘリを一機、押さえてくださらない?」

「手配します」

「今から防衛大臣と話を付けて、自衛隊の案内役を選定して、あとウィルスの運搬だから厚生労働大臣とも話を付けなきゃならないけど、何時間かかりそう?」

「話をつけると言っても私の指示に従っていただきますよ。国難ですから。そうですね今からなら……」


 今は正午少し前か。


「十三時には二階堂研究所の正面玄関に到着してみせますよ」

「OK。じゃあそのつもりでこちらも準備するわ。ちゃんとお昼ご飯食べてから来てくださいね。機内食は出ないわよ」


 いたずらっぽく笑う天野に、筧は思わず笑顔を返した。


「よろしくお願いします」

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