第298話「桜花の誕生日」


「翔様よりサプライズの誕生日ケーキでございます」


 恭しく頭を下げ、桜花の目前にひとつのホールケーキが置かれた。シェフは未知の分野にも関わらず桜花のために、頑張ってくれたらしい。

 翔がそっと厨房の方を見ると、シェフがひょっこり顔を出しており、桜花の感想を今か今かと待ちわびていた。


 シェフというのは自分の作った料理の感想をいの一番に知りたいようだ。


「誕生日おめでとう」

「あ、ありがとうございます。……大きいですね、私だけでは食べきれそうにありません」

「まぁ、とりあえず一口」


 翔がシェフのために桜花を急かすと桜花は「いただきます」といって、フォークで多めにとって口へと運ぶ。その量は桜花の小さな口では残念ながら全てを包み込むことが出来ず、途中で断念したようで、桜花のフォークにはとった半分ほどのケーキが残った。


「ん〜ッ!」


 桜花が喜びに打ちひしがれている。

 この表情はどの言葉の羅列よりも一番の感想だろう。翔は再びシェフの方を見た。シェフは満足気に頷いた後、また厨房へと消えていった。


「美味しい?」


 翔が訊ねると桜花はうんうんと頷く。口いっぱいに含ませているために話せないのだ。

 そんな桜花の様子に翔はふっと破顔した。


「な、何で笑うのですか」

「可愛いな、と思って」

「……そういって冷やかす翔くんにはあげませんよ?」

「冷やかしてないよ。本当に可愛い」


 桜花はケーキを飲み込んだ後、翔が笑っているのを問い詰めた。しかしながら尽く返り討ちにあった桜花は「可愛い」の連呼に完全に主導権を取られ、ようやく収まったかに見えた顔の熱がまた上がっていく。


「翔くんにもあげますから……。こちらへ来てください」

「食べさせてくれるのか?」

「……えぇ。そのつもりです」


 今度は翔が頬に熱がこもる番だった。今度こそ冷やかしのつもりだったのに、完全なカウンターをくらってしまった。

 翔はぎこちない動作になりながらも、ナプキンを手に取って桜花に近付いた。


「ここについたままだよ」


 翔はそういって、桜花の口元付近に付いたケーキをナプキンで拭ってやる。桜花は高校生にもなって他人に恥ずかしいことを指摘されたということと、翔にそれをとってもらったということが重なって、ドレスと同じほどに顔を赤くさせながら翔に「あ〜ん」とやけに大きいケーキを差し出してくる。


「ふがふが……?!」

「ふふっ。お返しです」


 思った通りにケーキは翔の口に収まる訳もなく、しかし男の意地で全てを口の中に頬張る。きっと翔の口周りは生クリームでベトベトのギトギトであるだろう。


 むしゃむしゃと咀嚼しながらナプキンを探すが、桜花に使ったものはどこかにいってしまったようで、見当たらない。そもそもあっても使わないが新品のものも確かにそこにあったはずが、何も無くなっている。


 そこで翔は桜花が笑いを堪えているように思えて、ひとつ気がついた。


 翔は少し恥ずかしかったが、どうしようもないので座っている桜花に合わせて腰を落とし桜花の顔の前で自分の顔を突き出した。

 それは結果的には当たりであったようで、くすっと悪戯に微笑んだ桜花は隠し持っていたナプキンで翔の口元を丁寧に拭いた。


「翔くんも可愛いですよ」

「……可愛くはない」

「可愛いですよ。可愛いは正義なのです。最強なのです。可愛いの前には全面降伏するしかないのです」

「……可愛いの圧がすごい」


 翔がそうぼそりと呟いた時に突如として照明が消えた。

 瞬間的に闇に包まれる。

 勿論これは翔のサプライズの計画の中には入っていない。


(……地震か?!)


 翔はすぐにこの結論に辿り着いた。地震がもう起こったのか、これから起こるのかは分からないが、結構な高さがあるので、地震としては感じ取れないと思われる。


 しかも最近のビルは耐震、免震工事がなされており、小さい震度ではびくともしないといわれている。


 だがそれでも翔は人間である。

 翔の全身が現状の危機を告げてくる。翔は何も考えずに自分の頭ではなく、桜花に覆い被さった。


 桜花の頭を守るためだ。しかも今日の服装は正直、身を守っているとは言い難い。


「桜花、大丈夫か?」

「私は大丈夫ですよ!それよりも自分の頭を守ってください!」

「僕よりも桜花の方が大事なんだ!」


 翔は気丈に叫ぶ。


 翔は振動に備えるが、まったくその振動が来ない。照明が消えてからこれだけ長く何も起こらないということはもう収まったと考えていいのだろうか。


 翔はそっと桜花から離れる。そして、はーっと安堵のため息を吐いたところで。


 パーンッ!パーンッ!


 と、銃声のような何かが鳴り響いた。




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