第238話「私の言葉」



 翔は寝たフリをしながらもしっかりと耳はテントの外へと傾けていた。

 修斗にいつしか言おうと思っていた台詞を取られてしまったのは少し癪ではあるのだが、修斗達は翔が寝ていると思い込んでいるので、翔が何食わぬ顔をしていれば何も問題は無い。


 桜花が一体どのような返事を返すのかが気になって仕方がなかった。

 数十秒程度の少しの時間が何時間にも伸びているように感じる。


「ここでは言えません」

「……」

「そういうことは私達の、本人達の意思ですから。翔くんから言われたら私も誠心誠意、向き合って返答しますけど、翔くんではなければ私の答えを教える訳には行きません」

「……できた娘さんだな」


 修斗はしみじみと呟いた。

 翔は安心半分、驚き半分の心持ちだった。

 今ここで翔が見ていない、知らないと思っている状態でどんなことを言うのかは気にならないといえば嘘になる。

 だが、その桜花の心の内はできれば修斗などがいない、二人きりの時に知りたいというの気持ちもあった。

 そんな板挟み状態だったので、翔は半分半分の感情で複雑な気持ちだった。


(とりあえず、家に帰ったら抱き着いて寝よう)


 翔は心の中で決意した。


「褒められています?」

「あぁ、勿論。尚更に翔には勿体ないぐらいだと思ってしまうよ」

「翔くんだから、です」

「そうか」

「色々と訊かれたので私もいくつがいいですか?」

「おっ。答えられる限りなら何でもどうぞ。結構、踏み込んだ質問をしてしまって不快に思われたかもしれないからね」

「不快だとは思っていませんが、遠慮がないな、とは」


 桜花の言葉に修斗がからからと笑う。

 随分と桜花も言いたいことを言うようになっていた。


 翔はふと、それが狙いだったのか、と思った。


 翔は勿論、梓も修斗も桜花のことはもう立派な一人の家族としてみている。だがその一方で翔に対する態度と桜花に対する態度が何となく違うのはいくら意識下では平等にしようともどうしても無理な事だ。


 梓は桜花と同性ということ、それから持ち前のコミュニケーション能力を駆使して、瞬時に距離を詰め、親子関係と言うよりは友人関係に近いものを構築した。


 しかし、修斗はどうだろうか。


 父親としては確かに父親のポジションにはいるのかもしれない。だがそれは桜花とコミュニケーションをとる、ということには向いていない。昭和のお父さんでは年頃の女の子と仲良くすることは出来ないのだ。


 修斗も初めは翔との男キャンプを計画していたのだろう。しかしその一方で桜花も共に来ることは何となく予想していたはずだ。翔とは一緒に行くのに桜花は家でお留守番ということは流石にできないだろう。


 そこで修斗は桜花との距離を縮めることも計画に入れていたのだろう。


「ははは……。桜花にそう言われてしまうとは。これは翔が聞いていたら怒って当分は口を聞いてくれないな」

「今は眠っているので大丈夫でしょう」

「そうか。なら親の馴れ初め話も止められないな」


 馴れ初め話とは……。


(今から地獄が始まる。誰が実の親の馴れ初め話を聞きたがるんだよ……)


 全力で止めに行きたかったが、どうしようもできない。桜花にその話は辞めさせてくれ、と祈るしかなかった。


 その祈りが通じた訳では無いだろうが、桜花はその修斗の提案を辞退した。


「それより翔くんが生まれた時の話が聞きたいです」

「……お、そうかい。ならリクエストにお答えして細部まで全部教えてあげよう」


 親の馴れ初め話も嫌だったが、それと同じ、いやもしくはそれ以上の恥じらいがある。


 生まれた時の話や物心着く前の話などされても翔は当然ながら全く覚えていない。

 しかし、それは親にとってはかけがえのない時間であるわけで。


 当然、語りたい。


「翔が生まれたのは午前2時22分なんていうゾロ目の時間だった。産声を上げた時は親族が全員ほっと胸をなで下ろしたものだ」

「それは長男だからですか?」

「勿論その理由もあったが、翔は予定日よりも大幅に早く生まれてきたから、というのが私達の最もな理由だよ」

「早産だったのですね」

「NICUに入ることはなかったがそれでも発達段階はやはり少し平均に届いていなくてね。私もあの時はその時代には珍しく育休、というものを取って翔のお守りと梓のケアをしたものだ」


 翔は自分が少し未熟な状態で生まれてきたことを知らなかった。もしかすると、小さ頃に聞いていたのかもしれなかったが、それでも忘れてしまっていた。


「そのおかげで翔くんは立派になったのですね」

「まだ修行が足りないよ。明日の朝は滝行をさせないと」

「滝行」

「桜花もするかい?」

「遠慮しておきます」

「あれ?遠慮はなくなったのではなかったのかい?」

「……」

「ははは。そんなにむっとしないでくれ」

「分かりましたよ。やってやります」


 それから桜花が掘り下げて、掘り下げていくので、興が乗った修斗がそれに全て応えていく。

 翔はテントの中で一人、悶えたり、感嘆したり、感謝したり、泣きそうになったり、恥ずかしくなったりした。


 明日は滝行だ。

 泣きそう。



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