第219話「文化祭前夜」
「遂に明日ですね」
「結構楽しみなのか?」
「えぇ。初めはそこまで乗る気ではなかったのですが、色々と時間が経過していくにつれて楽しいと思うようになりました」
「今日は疲れた」
翔は背中を預けていたソファから少し状態を起こして思い切り伸びをした。日頃の運動不足が響き、机を運ぶために何回か同じことを往復する、と言うだけで相当な疲労であった。
脚はもちろんのこと、持ち上げていた腕にも力を加えると電流が走り、上手く神経が伝わらないためか、握力の低下がある。
「よく頑張りましたね。明日は本番ですが……」
「大丈夫、ちゃんと起きてるから。寝れば治る」
「膝、使いますか?」
蠱惑的な甘い誘惑が聞こえたような気がした。翔がひょっと、かぎょっとか、どちらかと言うとぎょっとして瞳を桜花の方へと向けると、桜花は自分の膝をぽんぽんと叩いた。
どうぞ、ということなのだろう。
今すぐご相伴に預かりたいところではあるが、そう何回も何回もしてもらっては気が引ける。
翔は誘惑を断ち切るように首を横に振ると瞳をそっと閉じた。
「翔くん、そこで寝ないでくださいね」
「ちょっとだけ休む」
「その格好は寝る、と言っているようなものですよ」
「そんなことは……」
もう桜花への返しさえも難しくなってきてしまっていた。
明日は文化祭本番だからという緊張と、疲労のダブルパンチで上の瞼と下の瞼が仲良くなっていた。
「私の膝は使ってくれないのですね」
「……えっ?!」
恨み節というわけでも、使って欲しいという訳でもなく、桜花にとっては他意はなかったのだろうが、翔にはその言葉はとても残念そうに聞こえた。
そう聞こえると、折角誘ってくれたのに断ってしまったという背徳感が翔の心に迫ってくる。
「どうせ寝るのは分かっていたので、良ければと思ったのですか……。仕方が無いので私は家事を終わらせてきますね」
「……」
桜花は翔が反応をしたのを察したのか今度は思わせぶりな言葉をわざと選び翔を惑わせてくる。
桜花がひょい、と立ち上がり、翔の前を通った。
翔は目を開けることなく、桜花の気配を感じとり、手を伸ばして桜花を捕まえる。
急に掴まれた桜花がバランスを崩すのは無理もなく、倒れてくる桜花を翔は優しく抱き留める。
翔の中にすっぽりと収まっているような形になっていた。
「翔くん……?」
「そんな言い方をされたら……して貰いたくなるだろ」
「この体勢ではできませんけど……」
「このままでいい」
桜花を後ろから抱きついてみる。
心地よく温かい。
これはこれで、膝枕と肩を並べる程にはいいのではないか、と思えてしまう。
「す、少し恥ずかしいですね」
「そうか……?誰もいないけど」
「それはいつもの事ですが。翔くんがいつもよりも積極的なので……。しかも身動きできないですし」
「そりゃ、僕が抱き締めてるからね」
「はっきり言うのですね……」
「それは……事実だからな」
「……漢らしいですね」
桜花の顔色は窺えないが、照れているのか、呆れているのか、兎も角も、嫌がられてはいないようだった。
家事をしなければならない、と言ってはいたが、実は翔が既に大体は終わらせているので桜花がしなければならなことは案外少ない。
「このまま寝れる」
「この状態で寝るのですか?……私は少し落ち着かないのですが」
「人に背中を向けたままだと落ち着かない人はまぁまぁいるらしいけどね。安心できないから、らしいけど」
「……ならこのままでもいいです」
翔が前に手に入れた雑学を桜花に教えてあげると桜花は急に意見を手のひら返しした。
背中を預ける、という言葉があるが、その意味としては信頼している、という意味がある。それは逆にすれば背中は視界が届かないので弱点だ、ということでもある。
翔がもし桜花の位置だったならば、むず痒くて仕方がないだろう。
「私は翔くんを信頼しているので預けられます」
「そうか」
「ところで、翔くん。もう眠気が冷めていませんか?」
「そう?桜花が温かいからいつでも寝れる」
「私は抱き枕ですか……。それとも、湯たんぽでしょうか」
「どちらにと言うと抱き枕かな。抱き心地もよくて」
翔達は明日の文化祭前に二人の時間を過ごすのであった。
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