第199話「家に帰るまでが祭り」
翔は後ろから桜花を抱き締める。
自分でもどうして抱きついたのか分からない。しかし、抱きつきたい衝動というものがあったのは理解していた。
桜花の浴衣姿はとても美しかった。以前にも見たが、やはり、家で見るのとそれ相応の場所で見るのでは映え方が違う。華やかさが段違いだった。
しかし、それを言うことが出来なかった。
本当ならば思った時そのまま口にすればいいものを、どこか気を張ってしまって、カルマの前だし、と意地を張り、恥ずかしさを取り繕った。
更には追い討ちをかけるように須藤が登場した。しかも桜花は平然と須藤と会話していた。
須藤が鈍い翔にさえ、分かってしまうほど、桜花との会話に喜んでいたので、翔はモヤッとした感情が湧いていた。
桜花にからかわれた時は有耶無耶に否定したものの、やはり、心の内にはあったようだ。
それで溜まった翔の感情が今になってようやく爆発したのだろう。
「浴衣姿、すっごく可愛いね」
「帰ってきてそれを言いますか」
「ごめん。カルマ達がいるとどうしても言えなくて」
「こうして抱き締めるのもですか?」
「ずっと抱き締めたかった」
桜花はそんな翔を抵抗することなく受け入れる。背後からだったので抵抗のしようがない、と言えばその通りなのだが、翔の抱擁を解こうとしなかったので、やはり桜花は抵抗しなかった。
「か、翔くんがそのようなことを言うのは珍しいですね」
「そうかな。僕は大体いつもこんなことしか考えてないと思うけど」
「そ、そうですか」
桜花が翔の言葉に動揺する。「ずっと抱きしめたかった」などと、言われて平静を保てる人間などそうそういないだろう。
おまけに、翔がぽろぽろと桜花が知らなかったことを話してくれるので余計に動揺してしまう。
「……私は前から抱きつきたいです」
「うん」
翔は名残惜しそうに抱擁を解く。桜花はくるりと回転し、翔と向かい合う。
暗闇の中であるはずなのに、もう目が慣れてしまったのか、桜花が頬を染めながらも嬉しそうに笑みを浮かべているのがみてとれる。
きっと翔も同じような顔をしているのだろう。いや、もっとだらしない顔になっているかもしれない。
暗闇でよかった、と思いつつ、翔はゆっくりと腕を広げた。
「翔くんの浴衣姿もかっこよかったですよ。他の人に取られてしまわないかと心配でした」
「桜花こそ、誰かに声をかけられないかと心配だったよ」
「翔くんがワックスを使った姿は初めて見ましたけど」
「どうだった?変じゃなかった?」
「……かっこよかった……です」
「ごめん、聞き取れなかった。もう一回言って」
翔がもう一度とせがむと桜花は広げていた翔の腕にすぽっとくるまった。
翔と桜花の身長差は結構なもので、抱き合っていると言うよりは翔が包み込んでいる、と言った方が適切だろう。
「死んじゃうかと思いました」
桜花が急に耳元で囁いた。
翔はこちらの方が死にそうになったぞ、と思いながらも耳がこしょばゆいやら、褒められて嬉しいやらで顔の火照りやにやけが止まらない。
「心拍数が上がってますね」
「ちょっ、人の心拍を測るんじゃない!」
「照れてますね〜」
「照れてないし……」
そっぽを向いて言う言葉ではまるで説得力がなかった。
浴衣姿は美しい。
特に女性は華やかな色合いのものを着込むので、とても華があるように見える。
男性はそんな女性の雰囲気を崩すことなく、しかし和というテーマは保つ浴衣を着る。だから黒や灰色などといった落ち着いた感じのある浴衣が多い。
そのように設計されているのだとすれば。
男女が二人並んで歩くことを前提として作られたものなのだとしたら。
「桜花と一緒に花火を見られてよかったよ。親と行くよりも楽しかった」
「御両親との思い出と比べてはいけませんよ。それはそれで大切な思い出なのですから。……でも、楽しかったという言葉は受け取っておきます」
「そうか。……沢山驚かされた一日だった気がする」
「そうですか?」
「うん。花火を見に来たのは初めてだ、なんて言うし。運動神経はいいのにスーパーボールとかヨーヨーは取れなかったみたいだし、おまけに……カルマ達の前でキスまでするし」
「あの、えっと……。それは……。スーパーボールなどは初めてでしたし!次回以降は翔くんが目を丸くするほどの量を取ってきます」
「そんなにとってどうするの」
「翔くんを起こす時に使います」
「どうやって?!」
鼻に詰め込むとか、そのような拷問系なのだろうか。
それは絶対にゴメンなので桜花にはこれから、スーパーボールすくいに関しては自重してもらうことにしようと決意した。
「きすは……驚かせようと思って」
「うん、死ぬほど驚いたね。というかもう死んでたまである」
「翔くんは生きてますよ。こんなに心臓が仕事をしているのですから」
「今日も元気だね、ちくしょう!」
翔がおちゃらけていえば、桜花がくすくすと胸の中で笑った。
翔もつられて笑い始めた。
そして、ゆっくりと顔を近づけ、軽くキスを交わした。もっとじっくりと、と思わなくもなかったが、不意にふらっと視界がくらむ。
結構疲れているようだ。やはり、人混みは応えたらしい。
「よし、寝る支度をしようか」
「翔くんはお風呂の準備を。私はパジャマの準備をしてきます」
当分はまた平穏な日々が戻りそうだ。
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