第186話「イメージチェンジ」
「あれじゃないか?」
「そうですね、少し急ぎますか」
「いや、転けるかもしれないし。ゆっくり行こう」
翔はあえてゆっくりと歩いた。手を繋いでいるため、桜花も合わせて歩む速さがゆっくりとなる。
翔はカルマがこちらに気付いたタイミングで桜花と繋いでない方の手を上げる。
カルマはそれに気が付いたようで、反射的に翔へと振り返した後に蛍へ何やら話し始めた。
恐らく、翔達が来た、と言っているのだろう。
「待たせたな」
「ごめんなさい、遅れてしまいましたね」
「いやいや、そんなことないよ。約束の時間よりも先に着いてるし」
「そうそう。問題なし!」
近くの時計を見ると確かに約束の時間よりも早くに着いている。余裕を持って、と思っていたのだが、カルマ達の方が先に来ていることに驚いた。
「カルマも浴衣着てるんだな」
「まぁ、どうしても、なんて言われたら断れないさ」
「どうしても、なんていってなーいよ」
「『お願い、ね?ね!』だったかな?」
「真似しなくていいのー!」
相変わらず仲が良さそうで何よりだ。
カルマは紺色の無地の浴衣姿で体躯が良いせいかとても様になっていた。蛍がせがむのも無理はないような気がする。
桜花も嬉しそうに頷いているので、翔にだけ似合って見えている、という訳では無いだろう。
「みんな浴衣で来るなんて意気込みが違うね」
「蛍さんの浴衣、とても綺麗ですね」
「ありがとー!桜花ちゃんのも大人っぽくて似合ってる!」
蛍の浴衣は赤色を基調としたとても華やかなものだった。椿の色の如き深紅の赤色はこの場に華を咲かせているような錯覚を与えてくる。
しかし、それに負けず劣らず桜花の静かな気品を与えているため、この場には二輪の華が咲いている、と表現するのが適切だろう。
「翔、感想は?」
「もう言った。控えめに言って最高」
「分かる」
「カルマ、感想は?」
「言えてない。でも最高に綺麗だ」
「分かる」
桜花と蛍がお互いの浴衣を褒め合い、触れ合っている最中に翔とカルマは目を合わせることなく会話をする。
その瞳は自分の彼女に釘付けだ。
……ちょっと待て。言えてないのかよ。
翔は今更ながらに言葉の意味が理解でき、カルマの横顔を窺うも、カルマは未だに釘付けになっており帰ってくる様子がない。
「言ってこいよ」
「タイミングを逃した」
「タイミングって……。僕達よりも先に来ていたのはそれを言うための時間を確保するためじゃなかったのかよ」
「我が親友、そこまで分かっていて、どうして俺がそこでヘタレたことが分からない?」
「そんな所まで分かってたまるかよ。……まぁ、恥ずかしくて言葉にしにくいって言うのは分かるけどさ」
カルマの気持ちも痛いほどに分かるのだ。翔も桜花の服装を褒める時に何度ぎこちなくなってしまったか分からない。
しかし、それは超えなくてはならない壁である。彼女がいる男ならば尚更で、それを言えるか言えないかによって交際期間が決まると言っても過言ではないだろう。
人間は誰しも褒められたい生き物なのだ。それが好きな人ならばそれはより顕著に現れる。
そして、頑張る。期待をして、胸を膨らませて、気合いを入れて身なりを整える。
つまりは褒められる前提で準備をしているのだ。
それがもしも褒められなかったら?頑張ってきたものは徒労に終わり、愛想を尽かされる原因にもなり得る。
「言っておくべきだと思うよ、僕は」
「俺も……言いたい!」
翔は多くを語ることなく、代わりに重々しく言っておくべきだ、と換言する。
カルマは心を決めたように蛍へと歩み寄った。桜花はカルマのその様子に気付いて、自然に蛍との距離を取り、カルマとバトンパスをするかのように入れ替わり、翔の隣へと戻ってきた。
「何か蒼羽くんに言ったのですか?」
「蛍の浴衣を褒めてないやって言ってたから褒めといた方がいいぞ〜って言っただけだ」
「乙女心をしっかりと分かっています」
満足気に頷く桜花だったが、ふと、翔の二の腕をぺしっと叩いた。
暴力、とまでは言えないが、急な衝撃に翔は戸惑いと不思議さに桜花を見つめる。
「な、何だよ」
「何でもありません」
「桜花が「何でもない」って言う時は大体何かあるんだけどなぁ」
「そう思うのなら、当ててみてください」
「分からないのでお手上げ」
翔がジェスチャーまで付けて降参すると、桜花はその姿が面白かったのか、くすくすと笑った。
指先しか見えない袖で口を隠しながら笑う桜花は一昔前の貴族のようだった。勿論、いい意味で。
「翔、ちょっといいか」
「ん?今ちょっといい感じなんだけど」
「まだ始まってもないのにイチャつくな。……ところで、翔は身なりを整えようとは思わないのか?」
「身なりは桜花にも確認して貰って整えてきたつもりだが……。何か変かな?」
「前髪」
そう答えたのはカルマではなく、蛍だった。
桜花が一人で少し寂しそうにしていたので、早く戻りたそうにしていると、蛍がぶすーっと分かりやすいほど頬を膨らませてくる。
「後はカルマに言っておいたから。よろしく」
「任された。翔、いいか?」
「何がだよ」
「翔は何か気づかないか?」
気付かないか、と訊ねられ、気付いていたが気付かないふりをしていたことを答える。
「僕だけ不似合いなんだよな。この四人の中で」
そうなのだ。桜花も蛍も学年、いや学校一、二を争うほどの美少女であり、カルマも顔は凛々しく整っており、翔だけ、どうしても浮ついた存在になってしまっていた。
「それは違うぞ。ちょっとマジックを見せてやるよ」
「何持ってるんだ?」
「ワックス」
カルマはどこからともなく取り出したワックスを片手に翔に詰め寄った。
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