第185話「編み込み浴衣美人」
女性の髪型の一つに「編み込み」と呼ばれる結び方がある。
翔がその髪型をリクエストした理由は桜花に手間をかけさせようと思った訳ではなく、最近読んだ漫画に影響されていた。「白聖女と黒牧師」というタイトルのほんわかイチャイチャラブコメディな作品だが、その作品の中で編み込みの話が出てくるのだ。
「できたかー?」
「もう少し待ってください」
かれこれ一時間は経過しただろうか。
翔はこれ迄にも何度か訊ね、その度に同じような文言を返されているのだが、訊かずにはいられない。
それは翔が何も出来ないから、という理由もあった。翔も準備万端で浴衣を着ている。そのせいか、寝転がってごろごろと自堕落を極めようとはできなかった。浴衣に皺がついてしまったら、などと普段は気づきもしないところに気が回ってしまっていた。
翔は自分で気を張りすぎている、と分かってはいてもそれを上手く抜いてやる方法が分からない。
「できました」
「おぉ……」
「どうでしょうか」
そんなこんなしていると、桜花は完成したようで、翔の目の前でくるりと一回転して見せた。
それは奇しくも「白聖女と黒牧師」で見たような編み込み、そのままで大変驚いた。
その驚きと、やはり想像通り、いや、想像以上に美しいために、翔は言葉を失った。
「折角頑張ったのに何も言葉がないのは酷いと思います」
「あ、いやごめん。つい綺麗で言葉が出なくなって……」
「そ、そのありがとうございます」
微笑む桜花に翔はどうしようもなく頭を撫でてやりたくなったが、今の髪型を崩す訳には行かなかったので、そっと優しく抱き締めるだけに留めた。
桜花ももう翔の突拍子もなく抱きついてくる行為については慣れてしまったようで少しの驚きはあったが、ぽんぽんと桜花も腕を回して翔の背中をあやすように叩いた。
「桜花……」
「まだダメです」
翔が桜花の名前を呼び、顔を近づけようとしたが、桜花がその顔を手で押えてきた。
壁に当たったかのように顔が潰れる。
急に冷めたように聞こえてしまったか翔は少し不安になり、桜花に訊ねる。
「何がまだダメなんだ?」
「……きす、です」
「ごめん、聞こえなかった。もう一回言ってくれ」
「キスです!翔くんは直ぐにしようとしてくるのですから」
翔としては本当に聞き取れなかったのだが、桜花は抱きつかれた時とは比べ物にならないくらい顔を真っ赤に染めていた。
まぁ、確かに先程にキスをしようとしたことは認める。
しかし、それではいつもいつも翔がしようとしているような、キス魔のような、変態のように聞こえるではないか。
だがふと引っかかりを覚えた。
まだ、ということはもう少しあとならば良いということなのだろうか。
桜花の表情を窺うも、その意図は読み取れない。
たまたま偶然、口から飛び出してしまった意味の無い「まだ」なのか。それとも意味を含ませての「まだ」なのか。
別にキスがしたいからという訳では無い。
別にない。
しかし、とても気になる。
「桜花……。まだって?」
「……言葉通りの意味です」
「それは……」
後で、ということだろうか。
花火大会中なのか、終わったあとなのか、夜中なのか。
何れにしてもどこかではあるということなのだろうか。
翔が悶々と悩んでいると、桜花はふーっと途端に深呼吸を始めた。
何かに覚悟を決めているのか、真剣な表情を浮かべている。
「どうした?」
「翔くん」
名前を呼ばれた瞬間に、唇に柔らかなものが触れてくる。
ぱちりと瞬きをする。
深いものではなかったが、非常に甘い味がした。
「では行きましょうか」
「え、ちょっ!?切り替え早くない?!」
「人生は切り替えが大事なのです」
「何か話が大事になってる気がするけど……。そういうことなのかな……?」
「そういうことです」
「えー」
「行かないのですか?」
「行く、行きます!」
翔は桜花から二歩ほど離れて恭しく頭を下げた。浴衣姿なので、少しおかしくはあるものの、すぐに執事の真似事であることは桜花も気付いただろう。
いや、ここは男らしく堂々と王子という方がいいのだろう。
「御手を拝借」
「御随意に」
桜花はその手に迷うことなく自分の手を重ねる。翔の上体が起き上がり、二人の手は翔の手に乗せている状態から、深く密着する恋人ならではの繋ぎ方へと変形する。
「時間よし」
「携帯もよしです」
「財布もある」
「帯も締めてますね」
「……それは開いてたから捕まらない?大丈夫?」
「迷惑はかけないようにしてくださいね」
「肝に銘じます」
翔が重々しく言うと、くすっと桜花が笑ったので翔もつられて笑った。
今の時間から逆算すると電車とバスを駆使して目的地に辿り着く頃には約束の時間に余裕で間に合う。
翔と桜花は花火大会へと向けて二人で歩き始めた。
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