第165話「砂浜といえば……」
「結構気に入ったかもしれない」
翔はぽつりと呟いた。
しかしながら、桜花に埋められたことが、ではない。
翔は桜花が満足するまでは好きにさせていた。翔も桜花も充分に満足した後に、翔は自分の身体が砂まみれであることに今更ながらに気づき、先程と同じように、波が来れば海に浸かることが出来るが、引いてしまうと水が来ない、というなんとも微妙な位置で横になっていた。
自分でも驚くべきことだが、これが案外楽しくて、翔はすっかりこの定位置がお気に入りになってしまっていた。
「それに……寝れるし」
砂浜に埋められたのも拍車をかけ、翔はとても眠たいと感じていた。しかし、何度も言うように翔はせめて、船長の船に乗り込むまではしっかりと起きていようと思っている。
二人きりの旅行で一番困ってしまうことは何か。
それは片方が興味を失う、または眠ってしまい、一人旅行のようになってしまうことだ。
翔は梓と修斗との家族旅行で取り残されてしまうことも多々あったので、自分が受け身側ならば別に構うことは無いのだが、自分がやってしまうというのは相手の辛さをよく自分が理解しているので、どうしてもやりたくなかった。
「まぁ、寝ないけどな」
足元だけ海に入れて、パシャパシャと遊ぶ桜花を見ながら、どうして寝られることが出来るだろうか、いや、できない。
反語だ、と翔は心の中で自分にツッコミを入れながらも、細くした目で桜花を捉える。
「砂はもう落ちましたか?」
「たぶん。ちょっとみてくれ」
「後ろ向いてください」
桜花が翔に気づき、翔へ向かって手を振った。翔は桜花とその後ろに夕焼けに染っている太陽のまるで一枚の絵のような美しさにはっと呼吸を一旦止めてしまった。
殆ど無意識で手を振り返すと、嬉しそうに微笑むので尚更にどきっとしてしまう。
もう彼女として結構日にちが経ったはずなのに未だに桜花の一つ一つの動作や表情のどれをとっても簡単に平常心を奪われてしまう。
翔は桜花に言われた通りに背中を向ける。すると、局所局所で叩かれたような痛みが走る。
砂を落としているのだろう。上裸であるために直にその痛みが伝わってきて、少し辛いが自分が頼んだこととほぼ同義なので、じっと我慢する。
「落ちましたよ」
「ありがとう」
「それっ」
翔が振り向いた途端に桜花は足元の海水を翔にえいっ、とかけた。
「うわっ?!びっくりした……」
「うふふ」
「……む」
悪戯が成功した子供のような顔をする桜花に翔は目一杯の海水を思い切り桜花にかけた。
勿論、男女差というか、桜花と翔の差というか、水をすくう量が極端に差があるために翔の方が桜花にかけた水の量は多い。
「やりましたね」
「先にやっただろ」
「量が違います!えいっ」
翔の顔に水が舞う。
視覚を奪い、呼吸器官を塞ぐ。
翔も負けじと水をかけ返した。
いつの間にか何のためにしているのか、などはどうでも良くなってしまい、二人の中にはこの時間を楽しむ、というものだけしか残っていなかった。
だが、それは翔達にとっては他の何にも変え難い楽しみもので、いつしか笑い合いながら水を掛け合っていた。
この場に修斗か、充か、カルマか、船長がいたならば、この光景を「青春だなぁ」と口を揃えて言ったに違いない。
「えーい」
「ひゃっ」
翔が両手の中に水を含ませて、水鉄砲のように水をピンポイントで飛ばす。その水は弧を描きながら桜花の元へと飛び、頬へと着陸する。
「もうっ!」
桜花は顔を腕で拭うと、翔の方へとかけてきた。捨て身の特攻だろうか。翔が一瞬の躊躇をした。このまま同じ要領で向かい合うか、それとも新たな攻撃に備えるか。
しかして。それは意味があったとは言えなかった。
桜花は翔の首に自分の腕を巻きつけたかと思うと、勢いそのままに翔に身体を預けた。
物理の何とかという法則にあったように、物体は急には止まれない。今回は壁役となっている翔も、暴走した列車が壁を突き破るのと同じことで、とてもでは無いが吸収しきれずに倒れた。
最大の水飛沫が柱を作る。
翔達は目を見合わせるとくすくすと忍び笑いをし始めて、次第に何の我慢もなく笑い始めた。
「体当たりはずるいだろ」
「効果は抜群です」
「……まぁ、確かに」
桜花が翔の今のこの状態のことを言っているのか、それとも翔の心の中を言い当てているのかが分からなかったので、曖昧に誤魔化すことにした。
「綺麗な夕焼けだな」
「そうですね」
「桜花も綺麗だな」
「……ありがとうございます」
「桜花も」
「もういいです」
からかいと本音が入り交じった言葉を紡いでいると、桜花に人差し指で唇を塞がれた。
しかし、涙目になるほどに顔を赤くしていたので、成功した、と心中で握り拳を作った翔だった。
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