第97話「膝枕です」
頭を撫でられているように感じる。
優しく包み込むようにゆっくり撫でられているように感じる。
肌に伝わる感触はソファにしては随分と柔らかく、温い。翔の体温でソファに熱が移り、温かくなっているかもしれないが、それを感じるということはその温かみは翔からのものではないはずだ。
翔は寝惚けた頭でそこまでは考えることが出来た。
だが、あともう一息足りない。
視界が開け、ぼんやりとした思考がはっきりとした時、頭上から声がかかった。
「起こしてしまいましたか」
翔はその声が上の方から聞こえたので驚いた。はっと見上げると、そこには見知らぬ天井……でもなく、見知った天井でもなく、桜花の顔があった。
完全に寝てしまっていたことに不覚を取りながらも、この世のものとは思えない桜花の美貌に彼氏となりながらも思わず見とれてしまった。
いや、彼氏となったからこそなのかもしれなかったが。
桜花は風呂に行っていた訳では無いようだ。髪の毛が濡れていない。しかし、ぱっちりとしたカラメルの瞳や柔らかそうな唇、垂れた髪を耳に掛け直すその普段の動作でさえ、こうして近くで見るとおかしくなるほどに愛らしかった。
「……」
「翔くん?」
脳内処理が追いつかず、固まってしまう。桜花はそんな翔を知ってか知らずか、もう一度翔の頭を撫でた。
血圧が上がり、頬が熱くなるのを感じた翔はぱっと視線を背けるが、頬に触れる温かく柔らかなものを遂に何なのか察した。
「……これ……は」
「翔くんが上を向いて大きな口を開けていて……。苦しそうに思ったのでつい」
申し訳なさそうに言う桜花にぎゅっと胸が締め付けられる。
翔はどうして桜花が申し訳なさそうに言うのかが分からなかったし、どちらかと言えば申し訳ない、というのは翔の方だろうと思った。
強引に起こしてしまってもよかったのに、そうしなかった。翔を気遣っての事だろう。
「凄く寝心地がいい」
「はっきり言わないでくださいっ」
翔が素直に感想を言うと、ぺし、と肩の辺りを叩かれた。しかし、桜花は満更でも無い様子で、翔に起きてくれ、とは言わなかった。
その厚意に甘えて、翔は叶うことならばもう一度このまま寝てしまいたい、と思った。
「髪の毛をいじられるのは恥ずかしいけど」
「翔くんの髪の毛はネコみたいにクセがありますよね」
桜花は翔にそう返しながら翔の髪の毛を自分の指に巻きつけたり、梳かしたりして遊んでいる。
「ネコみたいなのか?」
「梳かされて大人しいのもそっくりです」
「にゃー」
翔は試しに猫の真似をしてみた。
すると、桜花がぴたりと動作をやめて固まってしまった。
「桜花?」
「何でもありません」
桜花は何があったのかを話そうとしなかった。翔としては膝の上に乗っているので、気になって仕方なかったのだが、教えてくれないのでもうどうにも出来ない。
しかし、どうしても諦められない翔は陽動作戦に出た。
「ネコがいれば暮らしが変わるらしいね」
「掃除も洗濯もままならなくなりますよ。特に勉強時には邪魔をされないようにしなければなりませんし」
「でも鳴き声とか可愛いぞ。子猫とか特にさ」
「にゃ〜ん、にゃん」
桜花がネコの鳴き声を真似する。
危うく吐血しそうになったが、何とか押し留める。
子猫特有の甘える囁き声に相通じる桜花の鳴き真似は翔の庇護欲をこれでもかと掻き立てる。
「桜花にゃん」
「あ、もう寝ないでくださいよ。夕食もまだですし、勉強も終わっていません」
「そんなこと言ったって……」
人間気持ちのいいものには逆らえない。人をダメにするソファが売れていくのと同じように、人は快楽を求めやすい生き物である。しかも、三大欲求の中の睡眠欲が発動したとなれば、もう止められないだろう。
「気持ち良すぎて……寝る」
「余程お疲れなのですか……?翔くん?」
再び翔は睡魔が夢の中へと誘っていく。しかし、翔は迷っていた。このまま寝れば、睡眠欲の勝利だが、こんな言わされるような感じでは言いたくなかった。
「耳掻きもしてしまいますよ〜」
耳元で囁かれ、ふーっと、軽く吹かれる。ぞくぞくする気持ちと、耐え難い感触にぶるる、と猫のように震えた。
「……勝手にしてくれ」
翔はして欲しいとも言えず、ツン、と素っ気なく言った。桜花は先程の翔の様子も鑑みて、それはやって欲しいという意味だとちゃんと理解した。
「ちょっと取ってきますね」
「……うん」
「取ってきたらちゃんとしてあげますからそんなに悲しそうにしないでください」
桜花に優しく頭を浮かされ、ソファへと下ろされる。
全て桜花に心を読まれたかのようで翔は堪らず桜花に背を向けた。
そういう関係になったからこそ少し我儘を言ってみたくなったという、子供じみた衝動で言ってしまったことが恥ずかしい過ぎる。
(これは……破壊力が強すぎやしないか……?!)
先程の眠気はどこへやら。
翔はばくばくとうるさい鼓動を宥めようと頑張ったが、一向に収まる気がしなかった。
そうした一種の緊迫状態の中でも別の思考では、彼女とは凄いな、としみじみ思うのだった。
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