第63話「高級旅館ですね」
「ごめんなさい……」
「気にするなって。それより首は大丈夫か?」
「少し……。でも、大丈夫ですよ」
翔達は今回宿泊する旅館に向かった。
新幹線が目的の駅に着いた時は桜花は揺さぶって起こしたのだが、その時に自分がすっかり寝てしまっていたこと、翔の方へと身体を預けていた事など、本人にとっては死活問題だったようで降車した後に散々謝られた。
実際はもう少しあったのだが、忘れると決めたので、翔は思い出さないようにしている。
翔にとってはそこまで謝られることでも無かったので、桜花の謝罪を何とかして止めようとしたのだが、頑として譲ってくれなかった。
「後で何かさせていただきます」
「意固地だなぁ」
もう何を言っても無駄であることは翔の家に桜花が訪れたその時から身に染みてわかっている事なので気がするまでさせてやるしかない。
「いらっしゃいませ」
女将さんの出迎えを受け、翔達は受付を済ませる。
この旅行のきっかけは露天風呂に入ること、綺麗な景色を眺めること、が主だ。この旅館は昔ながらの老舗旅館のようで、どこか心が踊る。
そんな翔の気持ちが表情に出ていたのか、桜花が笑みを浮かべながら、
「翔くんはホテルよりも旅館の方がお好みですか?」
「う〜ん、時と場合によりけりだな。露天風呂に入りたいなら、旅館っていう個人的イメージが」
「翔くんらしいです」
ふふふ、と嬉しそうに笑う桜花に翔は恥ずかしくなり後頭部をぽりぽりとかいた。
「お部屋までご案内させていただきます。どうぞこちらへ」
タイミングを見計らったように女将さんが声をかけてくれる。どうならずっと見られていたらしい。ついそう思ってしまうとまた別の羞恥心が湧いてくる。
女将さんに大人しく付いていくと通されたのは二人で泊まるには少し広すぎる部屋だった。
いや、それを表すにはそのような簡単な言葉では済まされないだろう。
広々ゆったりとした居間に畳と座布団が敷かれ、和の雰囲気が醸し出されている。そして極めつけは風呂だ。
何と、宿泊するこの部屋に露天風呂が付いている。しかもそこから覗くことのできる景色は最上級のものだ。
「おいおいマジかよ……」
翔の思っていたよりも何倍も強い衝撃に驚き呆れるしかない。桜花も口をぎゅっと紡いで翔の服の端を掴んでいた。
「当旅館の最高峰のお部屋でございます。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」
女将さんが深々と頭を下げる。
とりあえず、何か言わなければ、と焦った翔は、
「ここって大浴場もありましたよね?」
「はい、ございます」
「今日は大浴場に……」
頭がお風呂のことしかなかったので浴場について訊ねた。
女将さんは怪訝な顔一つせず、はきはきと答えてくれる。
「分かりました。他にも御用があれば呼んでくださいませ」
「お世話になります」
女将さんに負けじと頭を下げた。
にっこりと微笑んでくれた女将さんを見送ったあと、未だに服の端を掴んでいる桜花へと目を向けた。
「固まってるぞ〜?」
「翔くん……これ」
桜花がスマホを見せつけてくる。翔がその中を見るとそこには目にしたこともないような値段のとある旅館が……。
「なぁ、ここに乗ってある旅館ってさ」
「私達が現在進行形で立っている場所です」
「ですよね」
どうやらとんでもない高級旅館に来てしまったらしい。
速攻で頭を切りかえた半分の翔が「楽しまないと損だぞ!」と訴えてくるが、翔の半分が「それでどころではない!やばいやばい」と語彙力を低下させて叫んでいた。
「私が見せたせいですけど、その……ね、値段を気にするのはやめましょう」
「そ、そうだな。勿体ないもんな」
桜花が荷物を広げながら言ってきたので、翔も何とか良い方へと気持ちを切り替えることが出来そうだ。
こんな心臓に悪いことをしてくれた修斗にお礼と皮肉の一つでも後でくれてやろう、と心の中で決め、翔は手早く身支度を整えた。
こんなに高い旅館に泊まるのだから今からまったりしてもいいのだが、これから出掛けるつもりなのだ。
桜花と決めたプランでは風情ある街並を見ながら食べ歩くらしい。
夕食では豪華な料亭のような気がするのであまり満腹になるまでは食べないようにしよう。
「桜花」
「もう少し待ってください。服の整理が」
「食べ歩きの食べ物は二人で分けないか?」
「もう行けます。……はい?」
思わず急がせてしまったことと上手く伝えられていなかったことに詫びを入れ、もう一度言う。
「夕食も美味しく食べるためにはんぶんこしないか?」
「それは構いませんけど、諦める、という選択肢は無いのですね」
「それは桜花が嫌だろ?」
折角、旅行へ来たのだから我慢するのや、諦めるのはできれば避けたいところだ。普段の日常生活ならば、それを必要なことだろうが羽目を外したい気分の時まで律儀に守る必要は無いだろう。
「はんぶんこ、です」
「なんか嬉しそうだな。いっぱい種類が食べられるからか?」
「それもあります」
それも、ということは他にも理由があるのだろうが、この後何度桜花に聞いても答えてくれなかった。
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