第26話「そういう事なのです」


 だばー。

 今の翔を一言で表現するとその擬音語が一番しっくりくる。


 あれほど始まる前には泣かないと息巻いていたはずが手に持つ桜花のハンカチが意味を成さないほどに大号泣していた。


「そこまで泣かなくても……」


 桜花も翔が想像していた以上に胸打たれてしまったようで困惑していた。


「これが泣かずにいられるか!どうして最期にバッドエンドなんだよぉ……」


 翔が悔しそうに呟いた。

 あまりに引き摺っているので映画館から出る訳にも行かず、桜花は見終わって帰っていく他の人達の目線を一身に浴びながら翔が落ち着くのを待っていた。


 映画の内容は桜花が言った通りの身分差純愛ラブストーリーであった。

 最も翔の中で熱かったのはヒロインだった。


 ヒロインは初め、主人公の求婚を断ってしまう。その時は身分差という絶対的なものが壁となって気になってはいるけれど意識してそのことを表に出さないようにしていたのだ。


 しかし最後には壁を見事に打ち破り、ヒロインは「遅くなりました」と求婚を承諾した。


 ここまでは良かったのだ。ここまでは。


 翔も桜花もここで幕引きしても充分良く作られていたと思っていたのだが、そこから要らない「転」が始まった。


 二人の結婚を快く思っていなかった主人公側の人間がヒロインを殺そうとしたのだ。

 間一髪で主人公は気付き守るが相手は5人ほどいたため圧倒的な差があった。それでも最愛の人を守るため必死になってヒロインを逃がそうとするがピストルで撃たれ深手を負ってしまう。


 深手どころではなくトドメをさそうとした時にヒロインは条件を出した。


 その言葉は「私が死ぬ代わりに手は出さないでください」だった。


 そして言葉通りに物語は進み、エンドを迎えたのだ。


 ありがちといえばありがちなのかもしれないが、あのヒロインの演技力が上手かったのか翔は主人公になったかのようにひたすらに悲しかった。


 そして現実に戻された。


「まさかここまで泣くとは想定外です」

「うるさい。みんな泣いてただろ」

「響谷くん程では……」


 言葉を濁す桜花に、翔は確かにここまで泣いている人はいないな、と見回す。

 しかし、物語の途中で桜花も二筋の涙を流していたのを翔は知っていた。感動していたのは確かなのでそれが涙となって現れやすいかどうかだけだ。

 翔はどうやら自分で思っていたよりも泣いてしまうらしい。


「良かったな」

「えぇ。とても感動しました」

「あんまり長居も出来ないからな。そろそろ出よう」

「大号泣だったので流石に連れ出す訳には行きませんでしたし」

「使わなかったというか使えなかったから返すよ」


 翔は押し付けられて持っていたハンカチを返した。

 盗み見た桜花ぐらいの涙であればハンカチで拭うことが出来ただろうが、翔はバケツが必要ほどだったのでハンカチは使い物にならなかった。


「次はバケツを持ってきましょう」

「バケツを持ってうろうろするのはもう変人だろ」

「大丈夫です。響谷くんが持つので」

「なるほど……っておい」


 バケツを持って歩くぐらいならば涙を止める訓練をした方がマシだ。

 翔は涙の跡を残さないように袖で拭い、立ち上がる。


「ほい」

「自分で立てますよ」


 手を差し伸べるとそんなことを言われてしまった。しかし、映画を観たあとだったからかここで引き下がる気はなかった。


「まぁ、この映画に連れてきてもらったお礼?とでも思ってくれたらいいから」

「はぁ……」


 何を言ってるのだろう、と言う意味が含まれている「はぁ……」だった。

 それでも桜花は翔の手を取って立ち上がった。


「ありがとうございます」

「何ならこのまま外出るか?」

「出ません。響谷くんはまだ映画の世界から抜け出せていないようですね」


 翔がいつもより少し浮かれている様子を見て桜花はくすりと笑みをこぼした。

 翔も桜花に言われてから、自分が多少浮かれていたことを自覚した。


 手を差し伸べるなど、恋愛映画を見終わったあとで誰もいなくなった空間に二人きりというレアケースの場合しかしないだろう、と思う。


「今ちゃんと抜けてきたよ」

「では、もういいですか、ね」


 桜花は翔の手に乗せていた自分の手を離す。いくら抜けたと言っても少しばかりの残念感が翔の心の中を駆け巡った。


「そんな顔をしないでくださいよ」


 表情に出てしまっていたのか桜花に怒られる。少し頬が染まっていたのは気の所為なのだろうか。


 彼氏彼女の関係ではないので、「何を期待していたのですか」と冷酷な声をかけられることも頭の隅では有り得る、と考えていたのだが思ったより信頼されていたようで助かった。主に翔の心が。


「まだ時間があると思うけど」

「どこか食べる場所へ行きましょう。小腹がすきました」

「分かった。多少歩くけど」


 平気です、と桜花が頷く。

 お腹が鳴ってしまってそこから飲食店へと行くシチュエーションは数多の文献や映像で見てきたが、事前申請は初めてだった。


 まぁ、結局、行くことに変わりはないのだが。


「ドーナツとかはどう?」

「ではそうしましょう」


 翔達は余韻に浸りながらドーナツを食べに向かった。勿論ドーナツと言えばあそこだ。

 忍ちゃんも大好きの……。

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